魔法使いの箱

七三公平

第1話 お題「箱」

 かつて、魔法使いが使っていた箱があった。

 その箱が、どんな箱だったかと言うと、なんてことはない――お菓子が詰められていた紙製の箱を、再利用したものだった。魔法使いは、折り紙で作った動物や植物を、その箱に飾って、一つの世界を造り上げていた。普通の人が見たら、子供の工作にしか見えないものである。

 魔法使いの箱。それは、どうしたことか人々に受け継がれていた。もう、中身の折り紙はとっくに無くなっていた。その箱が、魔法使いが使っていた箱だということも、誰も知らない。

 ある人は、その中に洋服を仕舞っていた。ある人は、思い出の品を仕舞っていた。そして、また別の人は――。箱は、箱でしかなく、雑多なものを整理するために使われたり、箱そのものが大事に扱われることはなかった。それでも、ただの箱の割には、長く使い続けられた方だった。


 そうして、その箱は巡り巡って、とある家庭の食器棚の上に置かれていた。その日、男の子は母親から、何も知らずに魔法使いの箱を受け取ることになる。学校から出された宿題で、何か手作りの物を提出しなければならなかったのだ。何でもいいから、手作りの物というのが、男の子の頭を悩ませていた。何でもいい――というのが、一番困ってしまうという気持ちだった。何を意図した宿題なのか、全く男の子には分からなかった。その宿題を出した先生のことを、いい加減な先生だなと思ったりもした。

 母親に、それを相談したところ、「何でもいいなら、折り紙でも折ってなさい。」と言われてしまう。折り紙を一つ折ってお終いでは、さすがにやる気が無いと思われるのではないかと考えた男の子は、母親から箱をもらった。空箱である。

 男の子は、折り紙の本を参考にしながら、空箱を前に置いて、一人で折り紙を始めた。ゴリラや馬や、恐竜と、一つ一つを完成させて、順番に箱の中に入れていった。ある程度、溜まったところで、箱の中に動物たちの世界を想像し、作ることにする。湖や草木も、折り紙で作って置いた。

 かつて、魔法使いがその箱を使ってやったことと、同じことを男の子はやったのである。もちろん、出来上がった箱の中の世界は、魔法使いが造り上げた世界とは、全くの別物である。むしろ、男の子が作った動物たちの方が、一つ一つの出来は良かった。

とはいえ、子供の工作である。男の子は、完成したものを見て、子供っぽいなと思ったが、別の物を手作りするといっても、時間もないし何も思い付かなかったので、学校にはそれを提出することにした。

 学校に行くと、他の子供たちは実に様々なものを作ってきていた。親と相談したりして、いろいろ考えたのかもしれない。男の子は、ちょっと恥ずかしくなったが、我慢するしかない。どうして、先生はこんな宿題を出したのだろうと、男の子は先生のことを恨んだ。

 提出した宿題は、しばらく教室の後ろの棚に飾られていた。何日かすると、先生から持って帰るように言われたが、男の子の箱は知らないうちに無くなっていた。同じクラスの子から、子供っぽいと少し揶揄されたので、消えてくれて良かった……と男の子は思った。

 その箱が、一体どうなったのかと言うと、複数人の男子が持ち去り、壊して捨ててしまっていた。その男子たちは、男の子のことをイジメようと思ったわけではないが、何でもいいから誰かを馬鹿にする材料が欲しくて、そんな行動に出ただけだった。その捨てられた箱を男の子が見つけていたら、男の子は傷ついていただろうが、幸いにもそれを男の子が目にすることはなかった。


 何人もの人の手に渡り、長く使い続けられた魔法使いの箱は、壊されゴミになってしまっていた。大人が拾い、ゴミとして処理してしまう。

 しかし、その箱は普通の箱ではない。魔法使いが使っていた箱である。――ある人は、その箱の中に洋服を仕舞っていた。また別のある人は、思い出の品をその箱の中に仕舞っていた。かつて、箱の中に入れられた洋服は、着る人に幸せを運んだ。かつて、箱の中に入れられた思い出の品は、持ち主たちの良い思い出が壊れないように作用した。魔法使いの箱には、魔法が宿っていたのである。

 その箱が、ただの紙製の箱にもかかわらず長く使い続けられたのは、魔法がそうさせたからであった。その魔法使いの箱が、ついに壊され捨てられてしまった。箱に、魔法が宿っていたからといって、魔法の力で箱が元に戻ることはなかった。では、魔法使いの箱に宿っていた魔法は、どうなってしまったのか。

 ゴミとなってしまった紙製の箱から、魔法がプクプクと蒸発するように飛び出し始めていた。これまで、その箱を使用した何人もの人たちを、幸せにしてきた魔法である。

 魔法使いの箱の最後の使われ方は、奇しくも魔法使いの使い方と同じであった。始まりと終わりが、一致しているのである。それは、本当に偶然だったのか……。


 魔法使いの箱から飛び出すことが出来た魔法の力は、最後に箱に触れた大人のところへと行った。たまたま、ゴミとして処理しただけの大人である。魔法の力は、その大人から少しだけ幸せを奪っていった。次に、魔法の力が向かったのは、箱を踏みつけて壊した複数人の男子たちのところである。その男子たち一人一人からも、魔法の力は少しずつ幸せを奪っていった。

 魔法の力は、次に最後の使用者である男の子のところへと向かう。男の子は、学校が終わって家に帰っていた。家の中に母親はいたが、話すことはない。夜ご飯の時間まで、男の子は宿題をすることにした。そんな男の子の周りを、魔法の力が漂っている。魔法の力は、男の子から幸せを奪うことはなかった。

 時は流れ、男の子は高校を卒業すると、親元を離れて動物園で働き始めた。動物が特別好きだったということではないのだが、偶然知り合った人から紹介されて、なんとなくの流れでそういうことになった。親と仲良くしていたわけでもなく、進学も難しい家庭の経済状況だったため、男の子にとってはちょうど良かった。動物園で働く人の中には、少しばかり風変わりな人もいたが、そんなに揉めるようなこともなく、それなりに楽しく働けていた。そのうちに、男の子も動物園の仕事を覚えていって、青年になった。

 相変わらず、青年は仲間たちと一緒に動物園で働いていた。そんなある日のこと、恐竜の遺伝子の研究をしているという学者と、話をすることになった。動物園には、恐竜みたいな見た目とも言える爬虫類の展示もあった。その学者は、爬虫類だけではなく生き物が好きで、動物園に通っているのだという。青年も、その学者のことを何度も園内で見かけていた。

 その後も、学者のことを園内で見かけることがあったため、青年は学者からいろんな話を聞くことになった。学者の口からは、青年の知らない話が出てくるので、それはそれで楽しくもあった。

「この動物園で頼めないかな。」

 学者がそう言ってきたのは、冬が終わり春になろうという時期だった。青年が決められることではなかったので、園長にその話を繋いだ。学者と園長とで話して、考えている。成功すれば、動物園の来場者も増えるだろうということで、園長はそれを引き受けた。

 学者の話によると、恐竜の遺伝子の研究の成果として、大型のトカゲに恐竜の遺伝子をもつ個体を産ませることは出来ないかという実験をしているらしいが、なかなか上手くいかないという。上手くいかない理由については調査中だが、ダメ元で普段から動物の世話をしている動物園で、産卵までの世話と経過観察を頼めないかというのが、学者からの頼まれ事だった。

 ある意味、そういうのは動物園の専門と言える。他の個体と隔離して飼育ができるスペースも、園内にはあった。そうして、学者が連れて来た大型のトカゲを、動物園で飼育することになった。主たる世話は、青年がするように言われた。もちろん、一人でということではなく、ベテランの飼育員も協力してくれる。学者も、定期的に様子を見に来ていた。

「特に変わったことはないですか?」

「はい、状態は安定していると思います。」

 大型のトカゲは、土に穴を掘って、その中に入っていた。室温も高めで安定させている。青年は、学者に記録を見せた後、動物園の出口まで見送った。

「あれって、子供たちのためですか?」

 学者が指差した先にあるのは、折り紙で作った動物園である。それが、廊下の端にある机の上に展示されていた。

「そうです。私が作ったんですけど、子供の頃にもああいうのを作ったことがあったので、バージョンアップしたものを作ってみました。」

「ああ、そうだったんですね。折り紙が好きなんですか?」

「ええ、まあ。」

 学者に聞かれて、青年は答えた。子供の頃は、それをちょっと恥ずかしいと思ったものだけれど、どこまで出来るだろうと考えて作ってみると、案外楽しくて、結構立派に見えるものが作れるものである。大人になってみて、青年はそれを知った。

「小さい子供たちは、喜んでくれるんですよ。」

「そうでしょうね。ああいうのを見ると、子供はワクワクするものだと思いますよ。私も、前から気になっていました。」

「そうですか。ありがとうございます。」

 それから日が経ち、大型のトカゲが卵を産んだことを知らせると、学者は駆け付けてきた。学者と話し合って、卵は孵卵器を使って人工孵化させることにした。

 卵が無事に孵化したとして、どんな個体が生まれてくるのか、青年も楽しみにしていた。飼育員たち全員が注目する中、九個の卵のうちの一個にヒビが入ったのは、動物園が閉園した後のことだった。動画も撮って観察したが、残念ながら生まれてきたのは、普通のトカゲにしか見えない個体だった。しかし、順番に卵が孵化する中、四個目の卵から生まれてきた個体が、少し違っていた。後ろ足が明らかに長いのだ。その後も一個だけ卵は孵化して、残りの卵は孵化しなかった。変わった個体は、その一匹だけだった。

 遅れて、学者が動物園に到着した。学者は、その一匹をまじまじと見て、言った。

「成功だ!」

 後ろ足が長いその一匹は、D(ディー)と名付けられた。その後もディーの飼育は、引き続き動物園ですることになった。ディーはすぐに、後ろ足だけで立って歩くようになった。後ろ足で立つトカゲは、他にも普通にいるため、特に珍しいことはない。ただし、ディーは骨格的なバランスが、普通のトカゲとは違っていた。歩き方を見ても、鳥のような歩き方をするのである。ディーは、尻尾の長さまで入れても、全長は六十センチくらいまでしか成長しなかった。

 学者が来て、検査をしていったが、動物園での飼育は継続された。そのうちに、ディーのことは世間でも話題になり、ディーを見たさに来場客が集まった。

 その間も、学者たちによる研究は続けられていたが、ディーと同じような個体を生み出すことは出来ていなかった。というのも、ディーという個体が生まれたのは、魔法の力によるものだったからである。

 青年が子供の時に、魔法使いの箱の中に作った世界。そこには、恐竜が一匹いた。その世界を、この動物園という場所で完成させるためのディーだったのである。青年の周りに、まだ魔法の力は漂い続けていた。

 魔法の力は、青年が箱の中に作った世界を完成させたが、それまでの長い年月の間に、魔法の力によって青年を幸せにするということは無かった。とっくの昔に、魔法使いの箱はゴミとなって無くなってしまっている。魔法使いの箱に、続きは無かった。ただ、魔法の力が青年の周りに残っているだけである。


 かつて、魔法使いの箱に宿っていた魔法は、それを使用する人々を幸せにした。それならば、今残っている魔法の力は何をするのか――。今、魔法の力は作用し始めている。

 動物園の人気は、続いていた。それというのも、動物園を訪れた人々を、魔法の力が笑顔にしていたからである。動物園の経営が楽になり、園長も喜んでいた。青年も、動物園に来ていた女性と知り合い、結婚して子供も生まれた。青年の娘であるダイアナは、明るく元気な女の子に育っていた。

 ダイアナも、動物園が大好きだった。父親の職場である動物園で売っているキャンディーを、三歳の時にダイアナは買ってもらい。そのキャンディーが入っていた缶の箱を、ずっと大事に持っていた。

 小学生になったダイアナには、友達がたくさんできた。ところが、全ての人と上手くいくということはなく、時にはクラスメイトと喧嘩になることもあった。そういう日は、家に帰った後、部屋にある缶の箱の中に、嫌なことを全部吐き出した。ずっと大事にしている動物園のキャンディーの箱である。その缶の箱の中には、おもちゃの指輪とかが底の方に入っている。

 ダイアナは、嫌なことを吐き出すと、缶にフタをした。そうやって、ダイアナはいつもストレスを発散していた。そして、ダイアナが八歳になった時だった。今まで、ダイアナと喧嘩したことのある子たちが、次々と事故に遭ったり怪我をし始めた。それは、母親も例外ではなかった。

当然、初めのうちはダイアナも何とも思っていなかった。だけど、あまりにも立て続けだったため、大人たちが何かの呪いではないかと口々に言い始め、ある時――ふとダイアナは考えてしまったのだ。そんなこと、普通だったらあり得ない。だから、もしかしてと思いはしても、自分に誰かを呪う力があるだなんて、本気では信じない。

 でも、ダイアナはまだ八歳の少女だった。自分が特別と考えたわけではないが、そういうこともあるかもしれないという気持ちも、心の中にはあった。母親が足を捻挫した時に、ダイアナはこれが自分の所為だったら嫌だなと思った。そして、いつもは嫌なことを吐き出している缶の箱に、今日は弱音を吐いた。

「私の所為で、ママが怪我したんじゃないよね。そんなの嫌だよ。私は、そんなこと願ってない。」

 ダイアナは、誰にも相談することなく、ただ缶の中に気持ちを吐き出して、フタをした。その後、ダイアナの周りで不幸が続くことはなくなった。母親の怪我も、数日で良くなった。

 そんな出来事があったが、また普通の日々が戻ると、人々から忘れられてしまうように、ダイアナもすぐに忘れてしまった。それから数年が経ち、ダイアナは十四歳になっていた。

 ダイアナは、相手の話す声や表情から、その人の気持ちを察することが出来た。それをダイアナ自身は、ちょっと他の人よりも勘が良いのかなという程度にしか、考えていなかった。まさか、自分が魔法使いだなんて、思いもしなかった。十四歳と言えば、多感な時期である。学校に行くと、周りでイジメをする子を見かけることもあった。

そんな時に、ダイアナはイジメっ子たちの似顔絵を描いた。嫌な部分を誇張した似顔絵ではなく、その子たちがよくしている表情をそのままに描いた。ダイアナは、絵が好きだった。描いた似顔絵は、本人たちに手渡した。大概は、嫌な性格に見える表情の似顔絵である。それを渡されて、喜ぶ人はいなかった。

 特に、ダイアナが描いた絵は、ただそう見えるというだけの絵ではない。そこには魔法の作用があった。渡された本人やその絵を見た人に、こんな嫌な表情をしているんだと強く自覚させる作用である。それは、ダイアナ自身が知らずに使っている魔法であった。

 普通だったら、そんなことをしていたら今度はダイアナが、イジメの標的にされそうなものだが、似顔絵を渡された人たちは、自身のこととして深刻に捉え、その気持ちを他者に向けるということをしなかった。中には、思い悩んで精神が不安定になってしまう子もいたくらいである。

 ある時、ダイアナは女神さまの絵を描いた。美しい女神さまが、花を愛でているだけの絵で、よく描けてはいたが、ただそれだけの絵だった。だけど、それを美術の先生や校長先生が気に入り、学校に飾られることになった。その絵は、毎日みんなの目に留まり、学校でのイジメは無くなった。みんなの心に、他者を愛でる気持ちが生まれたのだ。


 ダイアナが家に帰ると、母親のいとこが子供を連れて遊びに来ていた。子供は、五歳の女の子だった。大人同士の話が盛り上がっていることに、女の子は退屈していたのか、ダイアナの部屋にやって来た。

 ダイアナは、少し女の子と遊んであげることにしたが、女の子はダイアナの部屋で、動物園のキャンディーの箱を見つけると、それを欲しがった。昔、嫌なことがあると、その中に気持ちを吐き出すようにしていた缶の箱である。今は、もう使っていない。

 あまりにも女の子が欲しがるので、父親から買ってもらった思い出の物ではあったが、ダイアナは女の子にその缶の箱をあげることにした。中には、おもちゃの指輪とかが入ったままである。女の子は、とても喜んでいた。ダイアナは、その女の子の表情を見て、自分が小さかった時のことを思い出した。

 懐かしくなったダイアナは、久しぶりに父親の職場である動物園に行くことにした。週末だから、人がたくさんいた。中でも、恐竜だというディーの前には、多くの人が集まっていた。

園内を見て回っていると、仕事をしている父親の姿もあって、ダイアナは父親に向かって手を振った。父親は、少し驚いた表情をして、ダイアナに手を振り返してくる。昔は、父親もディーの担当をしていたと、ダイアナは聞いている。恐竜の復活に成功したのは一匹だけで、もう十五年以上前の話である。

 ダイアナは、ディーの展示室へと戻って来ると、ディーの絵を描いた。スケッチブックを持って来ていた。父親が、園内を回ってきて、仕事の合間にダイアナに声を掛けてくる。

「珍しいね。一人で来たの?」

「うん、懐かしくなって来てみた。」

「ディーの絵? 上手く描けてるね。それ、お父さんが貰ってもいいかな?」

 ダイアナは父親と話して、描きあがった絵を父親に渡した。今も、動物園でキャンディーは売っていたが、箱のデザインは昔とは全然違っていた。それでも、ちょっと懐かしくて、ダイアナは小さい袋に入ったキャンディーを一つ買って帰った。

 父から聞いた話によると、ダイアナが描いたディーの絵は、園内に飾られているという。愁いを帯びて見える姿が、父親の同僚の飼育員たちに評判だと、父親は話していた。


 ダイアナから動物園の缶の箱を貰った女の子は、家に箱を持って帰ると、その中に自分が大事にしている小物類も入れた。女の子にとっては、お気に入りの物を入れる箱となっていたが、やはり年月が経つと、箱のことを忘れがちになっていく。五歳だった女の子も、小学校の卒業を間近に控える年齢になっていた。小学校では、卒業前にタイムカプセルを埋めようという事になっていた。

 そこで、女の子は未来の自分への手紙を書いて、缶の箱の中に入れ、みんなと一緒にタイムカプセルにして埋めた。ダイアナから貰った、あの動物園の缶の箱である。小さい時に大事にしていた小物も入れたままである。思い出にするにはピッタリだろうと、女の子は考えたのだ。

 地面に埋められたタイムカプセルは、みんなが大人になった時に、掘り起こすことになっている。それまでは、女の子の箱も眠っているはずだった。ところが、女の子が小学校を卒業して二年後、校庭の木々が病気になり、改修工事が行われることになった。その際に、タイムカプセルは掘り起こされ、倉庫に移動されたのだった。

 女の子は高校生になり、学校が休みの日に友達と街に行く約束をしていたので、家を出た。友達との待ち合わせに向かって歩いていると、お婆さんが道の真ん中で苦しそうに蹲っているところに遭遇した。無視するわけにも行かないので、女の子は声を掛けた。そのお婆さんのことを知っている看護師さんも、たまたまそこに通りかかって、お婆さんが持っている薬を飲ませたり、病院に連絡したり、適切な対応をしている姿を目にすることになる。

「ありがとう。あとは私がやるから大丈夫よ。」

 看護師の女性は、女の子にそう言った。女の子も、女性に言われて水を貰ってきたり、お婆さんの体を支えたりして、手伝った後だった。女の子は、その話を友達にして、待ち合わせに遅れたことを謝った。

 そうして、女の子が二十五歳になった時、小学校の同窓会が開催された。同窓会をするという話になった時から、タイムカプセルの話題が出ていたみたいで、事前に小学校に連絡をして許可を取り、集まったみんなでタイムカプセルを掘り起こすことになった。あれから、何年も経っている。タイムカプセルとして自分が何を埋めたか、覚えている人もいれば、覚えていない人もいた。女の子は、ダイアナから貰った缶の箱を埋めたことは覚えていた。

 みんなで学校に行くと、当時の担任の先生から、掘り起こす必要はないと言われる。生徒指導室の机の上に、みんなのタイムカプセルは既に用意されていた。その時に、タイムカプセルが倉庫に移動されていたことを聞かされた。

 みんなは、掘り起こすのも楽しみにしていたが、そういう事情ならば仕方がない。倉庫で保管されていたとはいえ、見ると箱がボロくなっていたりした。みんな懐かしさに、声を上げていた。それぞれに、自分が入れた物を手に取った。女の子も缶の箱を、手に取った。手で触ってみても、ツルっとしていて缶の箱そのものが非常に綺麗な状態を保っていた。少しも錆びていない。

 なんだか、思い出が一気に蘇ってくるような思いがした。二十五歳になった女の子は、箱のフタを開けて、小学生の時に書いた未来の自分への手紙を読み返した。そこには、未来の自分は看護師になっていますかと、その当時の夢が書いてあった。今、女の子は看護師の仕事に就いている。それ以外の、子供の頃に大事にしていた物も、全てが懐かしかった。

 同級生たちとの思い出話も楽しんで、女の子はタイムカプセルにしていた動物園の缶の箱を家に持ち帰った。そして、その缶の箱をダイアナから貰ったことも思い出し、ふとダイアナに返そうと思い立った。ダイアナは、三十四歳になっている。この動物園の缶の箱を見れば、ダイアナも懐かしくなるはずだと思ったのだ。

 親戚とはいえ、頻繁に会うことがあるとか、そこまで仲良くしているわけではなかったが、ダイアナに連絡を取ることは出来た。女の子が、ダイアナに缶の箱を返すと、ダイアナはとてもビックリしていて、女の子が思った通りの反応をした。そして、喜んでくれた。ダイアナは、女の子にハグをしてきた。二十五歳になった女の子には、もうその缶の箱は必要なくなったけれど、こうして最後に喜んでもらうことが出来たのだから、満足して手放すことが出来ていた。


 はとこから返してもらった動物園の缶の箱を、ダイアナは本当に懐かしい思いで眺めていた。箱の中には、何も入っていない。それでも、十分だった。

ダイアナは、今はもう結婚している。子供は、まだいない。ダイアナは、父親にもそれを見せてあげようと思い、動物園にそれを持って行った。父親は、今は動物園の園長になっている。

「ダイアナ、今日は一人かい?」

「そうよ。今日は、パパに会いに来たの。これを見て。覚えてる?」

「これは、かなり昔のデザインの物だね。こんなの、どっから持ってきたんだ?」

「私が子供の時に、ここで買ってもらった物よ。」

 ダイアナが言うと、父親はすごく驚いて、目を丸くしていた。覚えていなかったわけではないみたいだが、そんな昔の物がいまだに私の手元に残っていたことに、驚いたみたいだった。

「これ、パパにあげるわ。展示するなりして、何かに使って。」

 そう言って、ダイアナは父親にその缶の箱を手渡した。今も、園内は人で賑わっている。三十年が経っても、世界で唯一の生きた恐竜であるディーの人気は、衰えていなかった。この日、ダイアナは園長をしている父親と一緒に、園内をゆっくり見て回った。母親も、暇を持て余しているため、たまにここに来て動物園の仕事を手伝っているらしいが、今日は来ていなかった。

「それじゃあ、私は帰るから。また来るね。」

 ダイアナは、父親に手を振って、動物園を出た。仕事のストレスが溜まった時に、ダイアナは父親の職場であるこの動物園に来るようにしている。何故だか、ここに来ると気持ちが落ち着いた。

 夫とは、二年前に結婚した。ダイアナよりも二歳年下である。ダイアナはグラフィックデザインの仕事をしていて、夫は客先の会社の人だった。依頼内容について、打ち合わせを繰り返しているうちに、交際に発展した。夫は、まだこれから仕事を頑張っていきたいと思っている時期のようである。

ダイアナは、今でも手書きで絵を描くこともある。家でも、時間がある時は、たまに絵を描いている。動物園から帰ってきたダイアナは、スケッチブックを開いて、将来の子供の姿を想像して、絵を描いてみたりした。男の子と女の子である。夫と自分と、四人で幸せそうに並んでいる姿を描いた。我ながら、よく描けていると思った。絵は完成したが、折角だからそこに父親と母親の姿も描き足した。そうして、ダイアナはスケッチブックを閉じた。

 しばらく経って、ダイアナがまた動物園に足を運ぶと、ダイアナがあげた缶の箱は、アンケート用紙を入れるのに使われていた。書かれる前のアンケート用紙である。壁際のテーブルの上に置かれている。見ていると、意外とアンケートを書いてくれる人はいるようで、缶の箱からアンケート用紙を手に取る人の姿があった。

「ダイアナ、貰ったあの箱の評判もいいよ。あのデザインを覚えている人もいて、みんな懐かしいって言ってる。」

「へえ、そうなんだ。良かった。」

 父親がそう言って、ダイアナに教えてくれた。みんなが見て喜んでくれているなら、ダイアナも嬉しい。そういう気持ちになった。やっぱり、動物園は良いなと、ダイアナは思った。

 それから数ヶ月の間に、自分が妊娠していると分かって、ダイアナは自身のお腹に手を当てながら、幸せを感じていた。夫も、喜んでくれていた。男の子が生まれて、その翌年には二人目もできて、女の子が生まれた。両親も、孫ができて嬉しそうだった。

そんな姿が見れただけでも良かったのかなと思うが、長男が五歳の時に、ダイアナの父親が急な病で亡くなった。その後を追うようにして、動物園で飼育されていた恐竜のディーも死んでしまった。

 ダイアナは、父親の死を悲しんでいたが、世間ではディーが死んだことの方が、大きな話題となっていた。ダイアナが、子供たちを連れて動物園に行くと、ディーが展示されていた場所には、ダイアナが十四歳の時に描いたディーの絵が飾られていた。それを見て、他の人たちがどう思うのかは分からないが、ダイアナは物悲しい気持ちになった。それも、父親との思い出がある物だからである。

 園内を見て回っていると、ふとダイアナは気付いた。アンケート用紙を入れていた缶の箱が無くなっているのだ。職員に聞いてみると、誰かに盗まれてしまったのだと言う。

「お母さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫よ。私には、あなたたちがいてくれるから、平気。」

 自分の子供からダイアナは心配されて、笑顔で返した。父親との思い出の品が、盗まれてしまったことは悲しいが、全ては時の流れでもある。それだけ、ダイアナの中には父親との思い出があるということであり、父親との思い出を作れていたということに他ならない。だから、ダイアナは過度に悲しむこともなく、子供たちに笑顔を向けて、動物園を後にしたのだった。

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