明日、君の好きなものを 知るために 2

「泣かせてしまったんだが」


 ボウルに入った手ごねハンバーグのタネを圧し潰しながら、ふと隊長ちゃんが呟いた。

 穏やかならざる内容だったので、わお、と彼を振り返ると、やはり彼も少し困ったような表情で、カウンター越しから頬杖に、キッチンを覗き込んでいるギザっ歯の仲間を見上げていた。

 隊長ちゃんの傍らでは、白いもう一人が無心にポテトをマッシュしているのが見える。


「そんなに生き方がおかしいだろうか」


 続いた隊長ちゃんの相談事に、思わず「深い」と零れてしまった。

 その理由で誰が泣いたんだよ……

 思わず呟いた声が届いてしまったらしく、はた、と隊長ちゃんとロレンソが俺を振り返った。(アルパカくんは圧倒的マイペースに芋を潰す)

 ああ、話の邪魔をしてしまっただろうか、と思いつつも、俺はチャンスとばかりに聞いてしまう。


「誰泣かしちゃったのよ」

「ジンだ」


 隊長ちゃんは本当に申し訳なさそうな様子で答えるのだが、その名前を聞いた瞬間に、俺の肩の力は抜けた。

 ジンくんは感情豊かで、それゆえに泣き虫だ。

 俺の様子を見て取ったか、ギザっ歯の彼はふうん、と目を細めた後、隊長ちゃんを見下ろした。


「お前は、傭兵稼業が数ある就職先の一つと思っているようだから、もしかして違和感が無いのかもしれないが、ほかの職業に比べたら、人を殺すのも仲間を殺されるのも、人生の中で群を抜いて多いからな」


 隊長ちゃんのピンポイントな情報から、ロレンソはアタリを付けたようにサクサクと返す。おかしい、と端的に言わないところが彼らしい。

 しかし隊長ちゃん、なのか。

 茹でていたパスタのお湯を切りながら、俺よりも一回りも二回りも小柄な彼を見やった。

 根っからの傭兵なのだろうか。もし、そうであれば、ジンくんが泣きだした状況が状況なら、自分の経歴に首を傾げるのもあるのかもしれない。

 ロレンソの指摘がそこそこに正確だったのか、納得したような異論があるような、隊長ちゃんは複雑な表情をしている。


 失礼な話ではあるが、隊長ちゃんとロレンソでは情報処理の精度と速度にかなりの差があるようだ。

 今、隊長ちゃんの一言で納得するところのある回答を出したロレンソに対し、隊長ちゃんはその言葉から得られる情報を懸命に探してしまう。

 隊長ちゃんが考えるに必要な経緯を、ロレンソは吹っ飛ばしてしまったのだろう。

 頭の切れすぎる彼のことだ、その経緯を吹っ飛ばしたのも意図的であるとは思うが、少しばかり、隊長ちゃんが気の毒である。


「じんとは、なにをはなしてたの」


 ここで、(話聞いてたんだとちょっと驚いたが)アルパカくんが隊長へ尋ねた。

 それは、相棒の不足を補うような質問だなと、俺には聞こえた。ちらりとロレンソは相棒を見て小さく笑う。その笑みが何を意味したものだか分からないが、それゆえに、きっと俺たちには向けられない顔だなと納得してしまう。

 隊長ちゃんは、アルパカくんの質問に「うーん」とそのきっかけを思い出そうとしていた。


「ジンが、俺の手を見て驚いていたんだ。

 どうやら、俺の手が怪我をしているように見えたようで」


 そう言いながら、隊長ちゃんはこねていたタネを、今度は掬って丸めていく。

 俺も一旦、オリーブオイルで絡めたパスタを置いて、ハンバーグの方を手伝いにかかった。

 ハンバーグを丸める彼の手は、確かに綺麗とは言い難かった。

 何度もマメが潰れたのだろう、皮膚の色がところどころ変わっているし、指の関節は幾度か怪我でもしているのか、真っ直ぐではない指がある。


「ジンの手は、柔らかくてきれいな色をしていたから、そう見えてしまったのだと思うのだけど。

 彼が慌てて手当をしようとしていたから、怪我をしていないことを伝えたら、更に戸惑わせたらしい。

 どうもそれが、俺がとても大変なことをしているように感じてしまったみたいで」


 泣き出した、と気まずそうに隊長ちゃんは言う。

 ロレンソは、「はあ????」とばかりの表情をするし、尋ねたアルパカくんもマッシュする手を止めてしまった。

 その中で俺は「ああ、まあ……」と苦笑いで頷きたい。

 どういうことだ、とばかりに今度は三人で俺を見るので、俺は特に意味もなく手を振りながら、


「ジンくんは、きっと自分とあんたを比べてしまったんだな」


 と、隊長ちゃんへ返した。

 2人は同じ背丈で、隊長ちゃんも横に幅があるわけではない。

 ひょろひょろのジンくんに対して、ちゃんと身体を鍛えている隊長ちゃんである。お前筋肉量をちゃんと見なさい、と言いたいところだが、ジンくんとしては、きっと、この花筐荘のメンツの中で自分に一番近い仲間であると思っていることだろう。

 もしかしたら、自分の方がちょっとセンパイみたいに感じているのかもしれない。


「彼も出生は安定していたわけではなかったようだけど、それでもここまで、誰も手に掛けず、誰も失わず幸運にも来たらしいから、隊長ちゃんの言う通り、をしている。

 近いと思っていた隊長ちゃんが、自分と全く違う手をしていることで、そこから『とても大変だった』のかな、と想像してしまったんだよ」

「え、想像で」


 ぎょっと、隊長ちゃんは驚いた。

 そう、想像で。そりゃもう、彼は感受性の宝庫(?)である。


「やさしすぎやしないか…… いろいろと、その、大丈夫だろうか」


 そこで心配してくれる貴方も貴方だなとは思ったが、それは口に出さず、「大丈夫だよ」と返した。

 不思議そうに隊長ちゃんは俺を見上げるので、ウィンクの一つでも返せたら返しているところだ。


「ジンくんは、泣いて強くなるタイプの子だからね」


 そうなのか、と隊長ちゃんは少し安心したようだ。

 だが、これまでのことはひとまず問題無さそうだとして、すぐに彼は方向を切り替えた。


「少し、会話の内容を考えた方が良いだろうか」


 この辺りの切り替えの速さは、隊長務めてるだけある判断力だなという感じか。

 丸めたタネを大皿に並べながら、隊長ちゃんは、たぶんロレンソに向かって聞いたのだ。

 ちらりと彼を見やれば、「ほらきた」と如実にその顔が語っていた。

 そこで、ようやく俺は、ロレンソが隊長ちゃんへ、その思考経緯をすっ飛ばして回答した意図を理解した。理解させたくなかったのだ。

 たぶんこの展開を予想していて、シンプルにめんどくさいと思ってるんだな。

 隊長ちゃんはロレンソの様子を知ってか知らずか気づいてはいるだろうに、彼も彼で気にせず続ける。(ここの傭兵面子はそれぞれにメンタル強いんだよな)


「ずいぶんと長いこと、同業者としか会話をしていなかったからな。

 自分の常識はずれていると戒めてはいるけれど、警戒するくらいなら、最初から懸念の無い会話をした方が良さそうだ」

「お前がそれで納得するならいいけどな。

 今の話しでは、突っ込んで話してきたのは相手のほうだろ。

 たとえば、じゃあ、そのジンに対して、お前は今度はどういう切り返しをするんだ」

「えーー……」

「いや、待て、お前、話を省いただろ」


 え、と俺と隊長ちゃんはロレンソを振り返った。

 そこには、酷く不愉快そうなギザっ歯の顔があった。


「手を見て泣いただけなら、お前の最初の『生き方がおかしい』に至るまでには足りないだろ。以上に展開する手掛かりがない。

 何か、お前の生き方に対するコメントを、お前はしていただろ。その上で、相手が泣いたんだな?」


 こっわ。この人こっわ。

 なんで唐突にそこまで頭が回るんだ。


「ああ、うん……

 すまん、説明が足りていなかったんだが、最初に泣き出した後、慌ててしまって、『これは俺が生きてきたことの証拠だから』と口走ってしまったんだ。

 辛いものではない、誇ることだと言いたかったんだが。

 更に泣かせた」


 隊長ちゃんの返答に、ロレンソは明確に舌打ちした。遠慮が無いな!

 すまんすまん、とそれに返す隊長ちゃんの対応も慣れたものだ。特段悪いとも思ってなさそうな相槌が、神経太いというかなんというか。

 不機嫌の矛先を躱そうとしているわけではないのだろうが、隊長ちゃんは話を進めた。


「たとえば…… もう痛くないから大丈夫、とか?」

「前は痛かったんだ、と思うだろ」

「難しいな!」

「たいちょが、どうおもっていても」


 唐突ともいえるタイミングで、アルパカくんが切り出した。

 ポテトのマッシュは完了したらしい。ポテトのボウルをよけると、氷水で粗熱を取っていたゆで卵を手に取る。


「じんは、たいちょのことをおもう想うよ」


 淡々と、ゆっくり落とされたアルパカくんの言葉は、極めて正しい。

 生命に関わる部分で、俺や隊長ちゃんと副隊長さん、そしてこのバディと、ジンやお兄ちゃんのような手合いとは、

 俺たちが命を簡単に扱っているわけではない。

 彼は命をガラスのように見ていて、俺たちは命を測ることがある。

 だから彼らの目には、俺たちがときにいとも簡単に命を手放すような行為に見えることがあるようなのだ。

 そうして、彼らは、


「ここにいる限りは諦めろ。お前はこれからも、ジンを泣かせる」


 ハッキリと、ロレンソは言い切った。それは避けられようのない予言だ。

 隊長ちゃんは、さっきのような納得しかねる顔をしているのかと思いきや、見やった彼の表情は穏やかなものだった。


「そうか、…… そうだな」


 彼の表情と同じ顔を、俺はこの界隈で幾つも見てきた。

 分かり合えぬことを肚に落とせてしまう。こういうところを、ジンやお兄ちゃんは諦めなかったりするのだが。

 どちらがいいとも悪いとも、そういう話ではない。もはや性質のようなものだ。

 俺は隊長ちゃんを見下ろして笑いかけた。


「意図的に泣かせているわけではないことは、相手だって知っているところだと思う。

 それに、ジンにとってはいい機会だ。付き合ってやって」


 まあ、果たしてこの言葉が必要だったかどうか。

 隊長ちゃんは、相手の負担を人一倍気にしているが、それを含めて、逆に彼が外部から受ける負担は至極少ないらしい。

 悩んでいる様子ほど、実は、彼は考えていない。


「ああ、了解した」


 俺のお願いに、隊長ちゃんは笑って頷いた。

 この男の見ている世界は、俺たちが考えているよりずっと穏やかで、平和なようなのだ。

 彼もまた、俺たちとは違う方向へ壊れているのかもしれない。


 大皿に並べられたハンバーグのタネは、俺が丸めたものと隊長ちゃんが丸めたものがバラバラと並べられている。

 このくらいの体格差があると、作るタネの大きさも変わってきてしまうものなんだなあ、と俺は思っていた。

 たとえば、この小さいタネを作る手が、いくつもの命を屠ってきたり救ってきたりして、そんな人間が、実はずいぶんと脳内お花畑だったりしたら。

 人によっては、確かに思うなと言われても思ってしまうだろう。



 食べることが苦手だという彼への対策として、食事の準備を手伝ってもらうことにした。

 たぶん、今の話しも、そういう類の話だったんだ。

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