あすきみ
明日、君の好きなものを作る①
「趣味ってないの」
食堂という程には狭いが、まるで自分の家のような安心感を持ちそうな程度の広さに、そいつの少し掠れた声は不思議と響いた。
冷蔵庫から取り出したウィルキンソンのキャップを半端に開けたところで、俺の手は止まった。キャップの隙間から小さく炭酸が漏れる音が聞こえる。
「……」
「あ、いやすまん、他意はないんだ」
熱を出してた彼にお粥を出してやったところだ。
片方しかない手で持ったスプーンを親指で弾きながら、彼は色素の薄い双眸でこちらを見ていた。
謝られたことにも疑問符を浮かべそうだったが、そう言えばこの民族は何かとよく謝る気性だったことを思い出す。
他意、とは。俺が情報を扱う仕事をメインとしているから、彼の言葉の真意を探ったとか、警戒させたとか、そういうことを気にしたんだろうか。
「たまに……映画とか、見るかな」
「たまにじゃん」
「本、よく読むけど」
「へえ?何の本?」
「コンピュータアーキテクチャ定量的アプローチ第5版」
「え?」
「レガシーコード改善ガイド」
「え?」
「計算理論の「まってまってまって」
ここ最近読んでいた本を挙げているとストップがかかった。
なんだよ、と停止を掛けた彼を見ると、片手しかない手で額を押さえていた。熱でも上がったのだろうか。
「…… 映画は何見るんだ?」
一度素通りされた話題を振り戻され、俺はちょっと戸惑った。
「……作業用BGM代わりに流してたから、覚えてないよ」
「見てないじゃん!」
えええ、と彼は呆れたような驚いたようなツッコミを入れてくる。
そうして今度は困ったような、やはり呆れたような眉を少しだけ寄せて言うのだ。
「たまには遊べよ、ノエ」
「え?」
「え?」
「あ、いたいた、ねぇーー」
食堂の扉を開けて顔を出したのは、この『花筐荘』のオーナー・トモカ嬢だ。
今日も学校が遅かったようで、夜も遅いというのにまだ制服を着ていた。
「今週、土曜が空いてる人は遊園地に誘おうと思ってるんだけど、二人はどうする?」
「ああ行く行く。ノエも行くだろ」
「No」
「行くってさ」
「どういうことなの」
病人の強引さに思わず俺が言ったのかと思ったらトモカの声だった。
何のつもりか知らないが、ここで悪乗りをしないのが彼女の器というところだろうか、トモカはちゃんとこちらを見て聞いてきた。「で?」
「人込みは苦手なんだ」
「そ、分かったわ。たくさんお土産を買ってくるから、楽しみに待ってて」
にこ、と彼女は笑うとスカートの裾を翻して食堂を出て行った。これから他の住人にも聞きに行くのだろう。
後姿を見送った俺は、再びテーブルの方を見た。
「とらは行くのか」
俺は言ってみたけれど、彼はなんだか妙な笑い方をした。
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