異文化交流のこと

27時の冷製スープ

スマイルモンスター

 ある日、うちの【長男】がさも困ったように言ったそうだ。


 「あーーーどうしよっかなーー俺が言っても伝わらないだろうし、誰かに言ってもらおうっかなーー」


 …… というのを、【三男】が明確な仏頂面でもって聞いて、


 「そんなわけで、一つ頼むよ」


 と、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。

 俺はと言うと、受ける理由も無ければ断る理由も無かったので、「機会があったらな」と煙草を灰皿に押し付けながら請け負ったのだった。






 深夜27時。仕事を一区切りしてキッチンを借りてなんちゃってガスパチョを作成しようとしていた。

 玄関の方で気配を感じたので振り返ると、ひょこりと入り口に白い頭が覗いた。


<ノエ?>


 にこにこ、と笑いながら声を掛けるのは、若草色で横長の光彩を含んだ双眸を持つハナガタミの面子、バンビーノ。

 名前に見合わず、ここの面子では珍しく俺より背が高い。しかし無邪気な空気を残しているためか、どちらかというと他の面子からも可愛がられているのをよく見かける。


「ブエナス・ノーチェス、バンビーノ」

「眠る、するない、の?」

「お仕事の休憩してんの」


 おいで、と手招きしてテーブルを指すと、彼は嬉しそうに入ってくる。ちょこんとテーブルに着席。

 バンビーノは言葉が不自由だ。

 ここはどれだけ別の言語体系を持っていても、会話上は特に問題なく意思の疎通が可能だ。文字媒体になると勝手が違うようなので、おそらくはそれは、声に概念が乗っかって相手に伝わっているのだと思われる。

 で、彼の言葉は、彼と俺たちの間で何故だか阻まれてしまう。


「随分遅かったな。どこ行ってたんだ?」


 だが、俺には

 彼の言葉を知っているわけでは無い。

 彼と俺の間に何か特別なことがあるわけでもない。

 彼にも俺にも、俺はその言葉の壁を無視することが出来た。

 ふと特に意図も無く尋ねた俺の質問に、バンビーノの反応が少しだけ遅れた。


<…… ゲンノと遊んでたよ。遅くなっちゃったから、そこまで送って来てくれたんだけど>

「……───」


 彼が逡巡した理由に、今度は俺の方が言葉に迷った。その名前はなかなか俺の判断を鈍らせる。

 そのくせ、時間と俺と鉢合わせる可能性のためにハナガタミまで入って来なかったという気遣えさえ見える。

 刻んだトマトとペピノキュウリアホニンニク》、パプリカとセボージャ玉ねぎとバゲットをミキサーに突っ込んで、スイッチを入れる。ミキサーの中が波打った。


「…… お茶くらい出してやっても良かったよ」

<ふふ、ありがと、ノエ。

 大丈夫、一緒に温かい飲み物飲んで歩いてきたから>


 やっと返せた言葉に、気にしないでと、バンビーノは笑う。

 彼は──── おそらく、みんなが考えているよりも、懸命で、賢明だ。

 言葉が不自由なばかりに、なんとはなしに彼の考えが見えにくく、そのために随分と本来とは違う印象を抱かざるを得ない。

 これからもっと、言葉を積み重ねていけば、ある程度は分かることではあるのかもしれないのだけれども。

 ミキサーのスイッチを一度切り、オリーブオイルとシェリービネガー、ソル、粉末パプリカとペッパーを少しずつ混ぜて作ったスパイスを放り込んで、更に20秒ミキシング。

 これで出来上がり。蓋を開けてもう一つ持ってきたボウル皿へ注ぎ、一つをスプーンと共に彼の前に置いた。

 きょとんとバンビーノが若草色の双眸を瞬かせ、戸惑い気味にスプーンに触れる。


 「ガスパチョっての。野菜を細かくして混ぜたものだから、食べられる」


 手短にボウルの中を案内すると、バンビーノはにこ、と笑った。

 彼は人が調理したものをホイホイと口には入れない。そのままの素材を渡しても、最初の頃は、まず外見を眺めて匂いを嗅いで、それでようやく口にしたものだ。

 それが別段俺のことを怪しんでいるわけではないのだった。一度、「そんなに毒盛りそうな様子してる?」と尋ねたところ、「癖みたいなもの」と答えられたことがある。

 最近はようやく、俺から出されるものは大概食べれるものだと認識したらしく、一言声を掛けてやれば素直に口を付けるようになった。

 …… 驚いたのは、テーブルマナーをきちんと身に付けていたことだ。

 完璧な形式に則った…… ということではないのだが、少なくとも「道具を使って料理を食べる」ということが、最初から出来たのだ。つまり、彼は成熟した料理文化を持った民族の出であるということなのだが……

 このちぐはぐした挙動が、彼の不透明さに拍車を掛けているのかもしれない。


 「『お兄ちゃん』が心配してたぞ」


 スープを啜るバンビーノへ声を掛ける。本題を切り出す。

 すると、彼は柔らかそうな鹿耳をぱたりと揺らした。


 <何か、私は心配をかけるようなことをしたかな?遅く帰ってしまったから?>


 問い返すバンビーノの顔は、微笑んでいたが、すこし苦い。

 俺は、ボウルの中身をスプーンでぐるぐると掻き混ぜつつ、言葉をそこに混ぜ込むように返した。

 柄じゃないんだよなあ、こういうのは……


 「もう少し根本的なことだよ、バンビーノ。

 平和な社会では、通常、出会い頭には人に殴り掛からない」


 俺の言葉に彼はきょとんとしていたが、しかしそれは先ほどの戸惑った様子とは違う。

 俺が彼の何を指しているのかを分かっていて、その上での、この反応。


 「は異質だから、彼から色々を聞いてるお前が、それを"通常"だと思うんじゃないか、て。

 とらは心配してるんだよ、あいつはお前の声が聞こえないからさ」

 <…… そっかぁ>


 バンビーノは小さく笑う。それはやはり少し、寂しげだ。

 まあ、なんというか、俺が全部とらに話せばいいだけのことではあるのだ。

 彼が…… バンビーノ自身は、自分もあの隣人も"異質"であるのを理解していること、それが周囲の者たちにはあまり歓迎されていないと感じていること、その上での行為であること。

 彼は嬉しいのだ。自分の本質を理解し、分かち合える相手がいることが。

 それだけだ。

 なので…… 俺が話したところで、きっとあの兄貴は首を傾げるのだ。「で、なんで挨拶に殴り合うのよ?」


 <"お兄ちゃん"と話してみようかな。大丈夫、分かってるよ、て>

 「…… そうだな。お前からちゃんと言った方がイイと思うよ、俺も」


 うん、と俺は彼の言葉に頷く。ガスパチョを一口食べてみると、思った以上に旨い。さすがクック○ッド。


 「まあ、明日にしろや。もう今日はみんな寝てるし」


 うん、とバンビはにこにこと笑って頷く。そして美味しそうにボウルの中身を食べ始めた。

 無駄なことをしたくない、と言うわけじゃないけれど。

 きっと彼のことを話したって、理解できやしないのだ。

 じっくりと話せば分かってくれる?時間を掛けて言葉を積んで、じっと彼を見つめていれば見える?

 ない。

 ないだろう、それは。


 <"ごちそうさま"。美味しかったよ、ノエ>


 平らげたボウルをちょっと傾けて、空っぽを見せて彼は笑う。それから、真直ぐ俺を見て言うのだ。<ありがとうね>

 その眼差しに、俺も笑い返した。


 ──── この場所で、彼の言葉は通らない。

 ──── ここは言葉に概念が宿る場所。


 きっとバンビーノは、とらと話した後に少し気を落とすに違いない。

 だからそのときは、「まあそういうこともあるさ」と背中を叩こうと思うのだ。


 「どういたしまして」





 彼の言葉が聞こえる俺もまた、つまりは、

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