気にしない③

「イクトラが、俺のことが苦手らしくてな」


 思わず鼻からビールを吹き出すところだ。なんてこった。

 あのコミュニケーション特化型の男が。相手に苦手だと察されるくらい苦手オーラを発信したのか。

 まだララ相手なら分かるが、何があったんだよ、て話だ。

 軽く噎せてしまうと隊長ちゃんがティッシュケースに手を伸ばしかけたので、大丈夫という意味で手を挙げた。


「え、…… てか、そんなだったっけ、 仲良く喋ってなかったか」

「いらんことに最近気づいたんだろうな」

「あーー……」


 適切な隊長ちゃんの一言に俺は至極納得してしまった。


 幾寅という男は、瞬間的な察知能力の乏しさの代わりに長考とその精度が高い。高いのだが、7割はおよそ人生の中で気づかなくても良い事実であった。

『最近』、気づいてしまったということも納得だし、とらの様子がおかしいのも最近のことだ。心当たりがある。


「いらんことって何、隊長ちゃんはそれを知ってるの」

「さあ…… どうだろう、俺が考えてることが合ってるのか分からない。ので、親分に相談した、という流れだ」

「ああ、なる…… ほど?」


 小首を傾げつつも話す隊長ちゃんに頷く。幾寅については少なくとも自分の部下に相談するよりも花筐荘のメンバーに話した方が良かろうしな。

 ロレンソあたりはもしかしたら正答を出してきそうな気もするが。


「それで何でララまで」


 尋ねかけたが、そうか、ここから先は親分の判断だった。

 隊長ちゃんももちろん反対側に頭を返す。


「2人の結論としては『気にするな』ということだ。いずれ解決すると言っていた。

 逆に言えば、今はどうにもすることがない、できない」


 できない、とまで言ったか。あの2人がそう言うのだから物質的な意味でも精神的な意味でも取れる手段が無いのだろう。

 なるほど、何が原因なのかは分からないが、今何が起きてるのかは理解した。

 …… 隊長ちゃんが考えてる原因をこのまま聞くことは出来るかもしれないが、「約束したら話す」という流れの中で初手に躱されてしまっていた。

 無意識か意図的かはあるが、少なくともするりと話せることではないようだ。

 何より親分とララが「解決する」と見込んでいるのだ。ここで無理に俺が隊長ちゃんの話しにくい原因を話させて解決が早められる確証もないし、そんな責任も持てない。


 分かった、ともう一度頷いた。この件はこれで終わりだ。少なくとも俺は、これでビールを美味しく飲める。

 燻っていた違和感が炎上せずに鎮火できたことで、俺は内心でホッと胸を撫で下ろした。


「てか、そういう話なら、隊長ちゃんだって『気にしない』で下で飲んでもいいんじゃないの」


 ここにこうしていることが、もう『気にして』いることにならないだろうか。

 親分やララはとらという人間を信用して、隊長ちゃんに「気にするな」と言っていたのではないだろうか。

 隊長ちゃんはビールの缶を軽く揺らしながら笑う。


「もう俺は苦手だと思われてることを知ってしまったから。俺が気にする気にしないではなく、単純に居づらい思いをさせるのは忍びないだけだ。

 イクトラはみんなの傍に居たほうがいい」

「うーん……」


 隊長ちゃんの考え方も分かるが、親分たちの配慮も分かる。悩ましいところだ。

 とらはみんなの傍に居たほうがいい。それは確かだ。あの存在は他者を必要とする。人格や思想という以上に、なんというか、それは『仕様』なのだ。

 だからこそ、と、俺は思うことがある。


「たぶん、あんたもまた、とらには必要だと思うんだよ」


 じっと隊長ちゃんを見据えて伝えた。しかし、彼は「どうかな」と視線を落として笑う。


「正面を切って解決することがすべてじゃない。人は多いに越したことはないが、誰でもいいわけでもない。

 傷つく他に手段があるのであれば、傷はつかない方が良い。治るとも分からないしな」

「……」


 難儀な人だ。前も感じていたが、こちらの配慮をやんわりと、しかし完全に拒まれてしまう。静かな圧がある。

 親分が『完成した人格』なら、この人は『完結された人格』なのだろう。似ているようで全く違う。

 俺が上手く二の句を繋げられないでいると、隊長ちゃんはこの話題ごと切ってしまった。


、ノエ。

 そろそろギョーザの準備が必要なんじゃないか。人手がいる」


 自然な流れで人払いをしようとする隊長ちゃんだが、その言葉に俺もまたハッと時計を確認した。

 案外時間が過ぎていたようだ。『予定』の時間を回っている。俺はしまった、と片手で顔を覆い階下のロレンソたちに心中で詫びた。


「どうかしたか」


 隊長ちゃんの怪訝そうな声に、俺は頷くとも嘆息するとも。


「いや、とらじゃないけど、俺もまあ、苦手な人間はいてさ」

「うん?」

「その人が今日のバーベキューに来るんだわ。悪い奴じゃあないんだけどなあ、どうにも相性が悪くって。

 バンビが迎えに行っててな。戻ってきてると思う」

「ハッカが。迎えに行くってことはハナガタミの住人ではないのか」


 ふうん、と興味があるようでないような隊長ちゃんの相槌を受けて、俺は苦笑いで続けた。


「ああ、よその方になる。

 ゲンノウって男がいて」


 と、─── 不意に隊長ちゃんがパッとこちらを見た。黒い双眸が、そこで初めて明確に『自我』を持って灯ったように見えた。

 初めて、『隊長』と対峙したような───


「そうか。悪い、やはり下へ行く」

「え、どうし、待って」


 俺の反応を待たずに、隊長ちゃんは煙草を灰皿に潰しビールを置くと部屋を出て行ってしまう。その行動の早さよ。

 とらを『気にして』部屋にいると言ったすぐ先で、隊長ちゃんの中でハッキリと優先順位が変わったのか。

 ゲンノウの言葉をキーにして。

 俺は混乱しながら思わず小さな背中を追って階段を降りた。中庭へ出ると、隊長ちゃんはコンロの方へ真っ直ぐ向かって行った。彼の目的がそちらにあるのだろう。

 俺はゲンノウが来ているかどうかをぐるりと見回して確認する。


 <ノエ>


 彼を見つける前に、若草色の目を見つけた。バンビだ。片手にビールを二本持ち、同じ腕の中で缶ジュースを抱えている。彼はアルコールを好まなかった覚えがあるが。


 <どうしたの、大丈夫?>

「ああ、ごめん。ちょっと……」


 どういう状況だとバンビに説明しようとして、しかし自分でも説明しようがないことに気づく。

 ゲンノウが来ると聞き、ギョーザを作ったら引っ込むとバンビには伝えていた。

 バンビがゲンノウを連れてきたのには訳がある。俺が苦手にしていることを知っていたこの子は、2日前に俺にその理由と予定を教えてくれたのだ。


「それより、そっちも大丈夫か」

 <うん。今お話してる>


 そう言って、バンビは虹彩が横に倒れた若草色の双眸を、テラスの方へと向けた。

 手近な椅子を持ってくればいいものの、ガラの悪いしゃがみ込み方をしながらとらとゲンノウが話していた。時折笑っている様子を見ると、どうやらとらの気も少しは紛れているのだろう。

 ふと、ゲンノウがこちらを(おそらくバンビを)見た。そうして、いつものような無邪気な笑顔で軽く手を振る。

 それにバンビが当然のように振り返すのだが、俺はやはり硬直したままぎこちなく笑い返すのが精一杯だった。


 <こっちは大丈夫。気にしないで、楽しんでいって>


 ポンポンとバンビは俺の肩を叩き、ドリンクを抱えて二人の方へと歩いていった。あのビールは二人の分だったのか。


 <とらの元気が無いから、ゲンノウを呼ぼうと思うの>


 と、2日前にバンビは俺に話した。二人は仲がいいし、花筐の連中以外なら話しやすいこともあるかもしれない、とバンビは考えたようだ。

 いいんじゃないの、と頷くと、彼は嬉しさと安堵が合わさった笑顔を返してくれた。

 そもそもこのバーベキューも、親分が気晴らしにと提案してくれたイベントだ。だから、隊長は頑なに不参加を貫くつもりだったのだろう。


 だが。


 俺はバーベキューコンロの方を振り返った。

 隊長ちゃんが見えないと思ったら、早速アルパカくんが捕捉し被さっているようだ。


「そうか。じゃあ今日は大丈夫そうなんだな」


 アルパカくんの影からちらりと見えた隊長ちゃんから、安堵した声が聞こえた。

 彼が何を懸念し、当初の目的を破ってまで階下に降りたのか、なんとなく分かった。

 アルパカくんだ。

 ゲンノウの特殊性癖(と言っていいのか)から、アルパカくんと対峙する可能性は極めて高いのだろう。傷つかないで済むなら傷つか無いほうがいいと言う隊長ちゃんだ。

 あの一瞬で、優先事項が切り替わったのは、彼の仲間が関わっていたからだ。あのとき、ハッキリと意思が灯った黒い目を思い出した。あれが『隊長』その人なのだとしたら。

 正真正銘の隊長だ、彼は。個性が強すぎるほかの3人が、彼を隊長と認めている根拠を見た気がした。



 どうやら状況は穏やかなままであると把握し、部屋に戻ろうとしたところで、「ノエ」と呼ばれた。

 思えば今日はよく名前を呼ばれる。俺もまた人と多く関わるようになったのだなあとしみじみしながら振り返ると、隊長ちゃんだった。


「後でギョーザを届けてくれるようだが、どうする、部屋で一杯やって待つか」


 一緒に階下へ来てしまったのを気遣われたか、しかし隊長ちゃんの口調は軽やかだ。彼なりの配慮なのだろう、こちらの配慮は受け取ってはくれないのに。

 だが、俺は『気にせず』その配慮を受け取った。


「いいな、昼間からギョーザにビールは最高だ。一杯で終わるかな」


 おどけて返す俺に隊長ちゃんが笑う。それはいつもの彼で、そう、一枚薄い膜を覆ったような柔らかで心地よく、向こう側の形が曖昧な、彼だ。

 俺は隊長ちゃんの好物さえ知らない状態だものなあ……



 中庭を振り返れば、青く高い場所から太陽は刺すように光を投げ込んでいる。その下でパラソルは濃い影を作り、プールで涼む女の子たちを守っていた。

 虫の声が住人の間を埋めそれぞれの会話を隠す。パッと見れば夏そのものの光景だというのに。

 明らかに目の前の景色とは別の動きが裏側で流れていた。ジリジリとした暑さも相まって複雑な心持ちになってしまいそうだ。

 ここまでを知って、『気にせず』遊ぶというのもなかなか難しい。


 だが、事実を知ろうと知るまいと、変わらぬ味の冷えたビールと熱々のギョーザが待っている。

 俺は隊長ちゃんの後を追い、階段を上った。

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