第5話 本を所有する

 以前は、本を手放すことが出来なくて、お気に入りの本は手元にずっと置いておきたいと思っていました。


 どんどん本が増えるので、なんとか本棚に収めようと、自分で棚を増やしたり、前後に2冊並べたり、わずかな隙間を見つけては無理矢理入れるので、取り出すときに苦労したりしました。

(本がいたみますね……)


 さすがに家が傾くとか、床が危ないとか、そこまでの強者ツワモノには至りませんでしたが、結局、本棚に入りきれなくなった本は段ボールやプラスチックケースに入れて、ベッドの下や押入れに保管してましたね。


 そんな私が、蔵書欲(たくさん本を所有したい!という気持ち)を手放したのには理由があります。


 大切な「ドリトル先生シリーズ」は段ボールに入れて、ずっと実家で預かってもらっていたのですが、両親が引越すこととなり、残していた私物を引き取るように言われました。

 久しぶりに箱を開けてみると、本はシミと埃とカビで無残な姿になっていました(涙)。たくさんあったコミック本も同様で、読めない状態でした。


 一般家庭で紙の本の長期保管は、難しいことを思いしりました。

 これは、段ボールに入れっぱなしにして、放置していた自分が悪いのですが。


 本は読まれるためにあるものです。

 私は「積読ツンドク」はしませんが、押入れの奥に眠ったままの本は可哀想だと感じます。読めなくしてしまった本は、なおさらです。

 本を無駄にしたことを申し訳なく思いました。


 もうひとつの経験は、親類の遺品整理を手伝ったときのことです。

 私は生前のその方達を存じ上げなくて、ためらう事なく、どんどん片づけていました。

 お墓の中には何も持っていくことができません。

 残された本の価値は、所有していた人にしかわかりません。

 その人にとって大切な想いがあったとしても、こうして知らない誰かに片づけられて、失くなってしまうことがある……。


 仕事でたくさんの本や資料を必要とする方もおられる事でしょう。

「蔵書」を否定したいわけではありません。

 

 今、自分が必要としている本でなければ、なるべく早く次に読む人に、読める状態で届くようにして差し上げたい。

 本をひとりでため込んで死蔵させるのではなく、循環させたいのです。


 私は本が好きです。

 本を捨てるのは心が痛みます。まだ読める本、もうページを開けなくなってしまった本、いずれであっても。

 

 今は電子書籍も図書館の本も利用できるので、たくさん持っていた本を手放して、身軽になりました。自分の本達の将来の行先を憂える必要が無くなりました。

(みんながそうすべきだと言うつもりはありません。私の場合は、です)


 もう本を捨てなくていい。

 気持ちが楽です。


 本が生きるには、読まれること。

 その本がボロボロになって役目を果たすまで、たくさん読まれて欲しい。


 本は読まれるためにこそある、そう思っています。



 

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