資格試験怖い

@splendidweed

第1話

 私は試験に弱い。

 一番最初に辛酸をなめたのは、中学1年生の時だった。英検3級の試験があった。新設校で1年生しかいない中、多分ほとんどの生徒が受験したのではないかと思う。試験準会場という形で学校が試験場だった。私は英語が得意だったし模擬試験でも出来ていたので、落ちる気は全くなかったのに不合格となった。誰かと合格したとか落ちたとか言うような会話をした記憶が無いのは、頭が真っ白だったためなのかもしれない。合格は一年後となってしまったのだった。

 高校に入って、体育の授業が選択制で柔道を選択した。この学校では必須授業で柔道選択者を全員有段者にするという目標があって、私も目指したが一回目はだめだった。柔道部の仲間にコツを教えてもらい合格したのは2回目である。

 高校3年の時だったか、英検2級を受験した。面接で不合格となり、合格は翌年だった。余談だが合格したときの面接会場は国士舘大学の旧校舎で、待機場所の廊下の天井からは不気味な白熱電球がぶら下がっていたのを覚えている。

本当に恥ずかしくて誰にも言えないのは、18歳の時に自動車普通免許の学科試験に落ちたことだ。大学への入学が決まった春、入学前に教習所に通い始めた。最初は順調に通っていたのだが、入学してから水泳部に入ってしまったために教習所に通う時間が極端に減ってしまった。ところが、教習期間には期限があって、この期限を過ぎるとそれまでの受講は白紙に戻ってしまうことを知ることになる。大変不親切な教官が多い教習所だったが、あるとき「君やる気あるの?」と言われたことで知った。私はあわてて残りの教習を終わらせたものの、最後の学科試験に私は不合格だった。駆け込み教習は言い訳にはならない。合格率が70%以上と言われる試験に落ちたのだ。一般常識試験のような内容に不合格となったのである。これは落ち込んだ。ひっそりと再試験を受けたのであった。

不合格はまだまだ続く。建築業に進んだ私は一級建築士を受験することになる。当時は実務2年後、学科の試験であった。ちょうど日建学院とか総合資格協会などという予備校が台頭してきた頃で、先輩のすすめで私も日建院に通い勉強した。受験者が誰かということ(付き合い受験者が多い)を考えなければ医師の試験より合格率が低いとされる試験である。それでも勉強した甲斐があり、まあまあ出来た。日建学院では試験終了の後仮の合否判定をして、合格と判断した者に対して2次試験の準備講習を始める。そして私も受講を始めることとなった。2次試験は製図である。製図板、当時は木製の版とT定規だが、先輩合格者から譲ってもらった。縁起物である。ところが、である。合格発表では不合格。ぬか喜びとなってしまったのだった。

 東京の日建学院は厳しかった。毎日受講に先立ち起立させられ、誓いの言葉を全員で読み上げる。「厳しさを恐れない・・・」のような感じだ。軍隊のようだったが、その分真剣に取り組んだと思う。しかし、三重県に転勤したために学校も転校となった。田舎の日建学院はズブズブだった。合格率こそ知らないが、厳しさのかけらもない。そのせいだとは言わないが落ちた。慰めにもならないが、同じ現場から多数受験しに行って一人も合格しなかった。それから2年間岐阜県三重県を転々とするのだが、一度学科に合格しかけた自信から予備校には通わなかった。しかし合格しない。

 そして東京に転勤した。上司が「とにかく頑張って合格しろ」と応援してくれた。平日は忙しいので週末だけ日建学院に行ったのだが、再び落ちた。そして、会社の目も厳しくなってきたので翌年は本腰を入れた。今度は平日も日建学院に通った。同じ受験をする仲間が多い中、一人日建学院に通うのはさすがに後ろめたい。夕方日建学院に出かけ夜9時過ぎに職場に戻り、深夜まで仕事をこなした。これでなんとか後ろめたさからは解放された。そしてその年久しぶりに1次試験に合格できたのだった。

 2次試験の準備を始める。日建学院よりも総合資格協会の方が安い講習費だったので、浮気して総合資格協会に通うことにした。当時私たちはCADではなく手書きの図面を業務で書くこともあったので、図面を書くのは苦ではないし遅くもない。必要なスキルは設計力である。決められた試験時間の中で、与えられた条件の設計をして図面としてまとめなければならないからである。そして試験当日、手応えはあった。しかし不合格。

 今では製図は3回まで受験できる。3回目までは1次試験の合格が有効なのだ。当時は2回だったので即角番である。実は不合格の年の試験問題は日建学院での演習課題に極似していた。腹が立った私は意味ないのに総合資格協会に意見したのだが、先方の回答は「例年と受講生の合格率は変わらないですよ」というものだった。常識的には、まあそんなものだろう。それでもカチンと来た私は乗り換えて、日建学院で勉強することにしたのだった。それが功を奏したかどうかは分からない。受験後にあまり手応えを感じなかったものの合格することが出来た。

 不合格ではないネタも一つ話しておきたい。コンクリート技士という試験についてだ。ある現場を担当したときに、発注者の条件として施工者にコンクリート技士の常駐が必須ということがあった。しかし、施工者の我々は誰も資格を有していなかった。そこで上司2人が受験するので私にも受験しろという。申し込んだ。しかし平日の仕事が忙しくて、試験当日寝過ごしてしまった。受験者は多いので、試験会場で会う可能性は低い。受験したことにしておくことにした。合格発表のはがきが届く時期になった。上司2人が合格したと言ってきた。私にどうであったかと聞いてきたので「はがきが来ないので落ちたのだと思います」と答えた。ここでばれた。不合格の場合にもはがきは来ることになっていたのだった。ちなみに、翌年取得したことは言い訳にしておく。

 次なる不合格は労働安全コンサルタントである。知る人ぞ知る国家資格である。安全を担当する部署に異動した私はこの資格を取得することにした。他社の同じような担当の人と名刺交換をすると、半数程度の人の肩書きにこの資格が記入されているからである。決心する直前に部下が一発で合格した。業務上の知識なら彼より私の方が上である。よし、受験しようということで申し込みをした。この資格にはテキストが少ない。そして、2次試験の面接でこそ業種に分かれているが1次試験の対象は全業種である。最初はチンプンカンプンであった。それでもギリギリいけるかな?というくらいは勉強した。

 そして試験当日。全国に試験会場が少ないので、自ずと知り合いに会うことが多い。私も仲間と2人で行ったのだが、同じ会社の知り合いが他に3人いた。他社の知り合いも1人いた。そのときには特になんとも思わなかったのだが、不合格通知が届いたときにはそんなことをしてもしょうが無いのに彼らの結果を想像した。

 2年目も勉強した。1年目より一生懸命勉強した。さあ、もうすぐ試験日なのに受験票が来ない。何故だろう?考えて思い出した。申し込みを忘れていた。ずっこけた。

 3年目、今度は申し込んだ。勉強もした。しかし落ちた。

 4年目、コロナでオンライン試験だという。オンラインで受験するような場所はない。見合わせた。

 5年目、オンラインではない。申し込んだ。何気なくインターネットを見ていたら、無料の受験者用サイトを発見した。最新の情報が満載で、解説も丁寧だ。また、法律の改正にも対応している。繰り返すがこの資格に対して販売されている資料は少ない。そして値段も5桁と高額なのに、あまり丁寧なものがない。このサイトは良いぞ、ということでこれを利用して準備した。そして5年目にして初めて1次試験に合格することが出来たのだった。無料のサイトがこれほど有効というのはありがたい話だが皮肉だと思った。ちなみに2次試験はかなり専門的なものでお茶の子さいさいであったことだけは自慢しておこう。

 ちなみに、ECO検定というのがある。環境に関する仕事をする人は持っておくとちょっとだけ格好が良いという程度の資格だが、この資格のテキストも少ない。労働安全コンサルタントほどではないが4桁する。しかし、この資格も無料の受験者サイトがあり便利だ。私もこれを利用して珍しく1回で合格した。

 ということで、思い起こせばどんな試験も一筋縄には取得できなかった。その分自分が成長したと思うことで納得することにしている私なのであった。

 


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