令嬢たちのムダ毛処理事情
翌日の午後、茉由子はテニスをしながらずっと裁縫について考えていた。直前の授業で独創的な作品を生み出してしまい、先生にため息をつかれたせいである。
どうして一週間に四回も裁縫の時間があるのか。
この女学校を出た子女の大半はお見合いをして良いところに嫁いでいくのだから、着物がほつれても使用人がつくろうだろうし、実用性という点では炊事に劣るだろう。当たり障りない趣味を授けてくれようという意図なのかもしれないが、茉由子のように才能も興味もない者にとってはいい迷惑である。
せめて音楽や図画などとあわせて、各人が好きなものを選んでそれだけ勉強できるようにしてくれればいいのに。
(家があんなことになるまではこんなこと考えたこともなかったのに、人間立場が変われば見方も変わるもんだ)
茉由子はしみじみ思った。
テニスが終わると十分の休みがあり、その間に次の教室へ移動することになっている。茉由子は汗をふきながら、ふと桜子に話題を投げかけてみた。
「桜子さんって、毛を剃っている?」
桜子はぎょっとした顔で、
「えっ!やぶから棒に、なあに茉由子さん!?」
と言い、身を守るように腕を組んだ。茉由子が慌てて、
「ええと、違うの。あなたの腕の毛が気になるとかそういう話じゃなくて、ただ単にどこかの毛を剃ったことがあるのかという質問で…」
と言うと、桜子は頬を染めながらもしっかりと答えてくれた。
「なぜそんなこと聞くの?私はええと、剃ったことはないけれど剃った方がいいのかしらというのはたまに考えているわ。少女現代には、殿方に会う前には顔の産毛を処理をせねば婦人の恥だと書いてあったし…
あ、いえ特に会う予定はないのだけれど。」
真っ赤になった桜子が何を考えたのかはなんとなくわかった。
桜子は幼い頃から知っている三歳上の「清治さん」のことがずっと好きなのだ。清治さんの家と桜子の家は仲が良く、母親同士が女学校の同級生らしい。おそらく桜子が希望すれば清治さんに嫁げるだろうと茉由子は思っているが、本人としては恋愛で結ばれたいと思っており、清司さんの心情が分からない以上、親を通じて外堀を固めるのは避けたいらしい。
「清治さん、桜子さんから話を聞く限りは多分そんなことを気にしなさそうだけどね」
「なんで清治さんの話が出てくるのよ!」
ゆでだこのようになった桜子は両手で顔を覆った。反応が可愛くてついからかってしまったが、清治さんは文武両道、まじめで爽やかな好青年(桜子談)らしいので、毛など些末な問題なのではなかろうか。
「ねえまた桜子さんの大好きな清治さんの話をしているの?」
目をきらきらさせて美代と小雪が近づいてくる。
「違うのよ!全然関係ない話よ!」
顔を覆ったままの桜子が答える。このまま清治さんの話を続けるのも楽しいが、茉由子は使命を帯びているので、不要な体毛の処理の話に戻さなくてはならない。
「ええと、私が桜子さんに毛は剃っているかって聞いたの。…お父様が今度新しいタイプの鏡台を輸入しようか悩んでいて…」
口から出まかせの理由だが、美代と小雪にはなんとなく納得してもらえたようだ。ただ鏡台と毛に何の関係があるのかさっぱり分からないので、追及されたら自分も全容を知らない体で行こう。
「ふーん。私は先月初めて剃ったわ。結納式の前に、顔の産毛を全部。腕も着物からうっかり見えそうな部分はやったわよ」
美代がそう答えた。
美代は老舗の和菓子屋の娘で、実家と取引のある問屋の長男と婚約している。八歳離れた夫予定の人物は美代にとても優しいらしく、激しい恋愛の末の結婚ではないが本人的には満足らしい。結婚式は学校を卒業した数日後の予定だ。
「へえ!自分でやったの?どうだった?うまく出来た?」
意外にも乗り出して聞いたのは小雪だ。
この四人では最も家柄が良い彼女の実家は議員を複数人輩出しており、父親が舵を取る建設会社は橋梁などの大規模工事の受注で成功している。まぎれもなく深窓の令嬢である彼女は身支度もすべて使用人に任せており、
「立っていたら着替えは終わるし、座っていたら支度は終わっているのよ。その間私は読書や刺繍をしているの」
と言っていたこともある。
そんな風に自らの見た目に関していささか受け身な彼女が、赤面もせず自らこの話題にのってくることに茉由子は少し驚いた。
「ううん、銀座に坂東道子っていう美顔術をしてくれるお店があるのよ。お母さまが良く行くから、私も連れていってもらったの。素敵だったぁ、いろいろなものを顔に塗ってくれて、終わったあとはお肌がつきたてのお餅みたいなのよ。嬉しすぎてそのまま写真館にいったくらい」
うっとりと語る美代。
「誰かに剃ってもらうっていうのはどんな感じだったの?」
さりげなく肝心の部分に切り込む茉由子に、美代は詳細を教えてくれた。
「とても丁寧だったし、これもまた何かクリームを塗ってくれたわよ。私はわからないけれど、お母さまはここのクリームを塗りながら剃らないと肌が荒れるんだって言ってた。他のエステティックも試したけれど、だめだったんだって」
「ふーん。その後は家でも剃ったりしてみた?」
なぜか茉由子が聞きたい質問を先に聞いてくれる小雪。桜子はようやく赤面から回復し、両手を頬にあてながらふんふんと話を聞いている。
「ぜーんぜん。だってお母さまと私の肌って似ているから、坂東道子のクリームがないと荒れてしまうんだと思うの。それに婚約者の勇さん、忙しすぎて結納式からお会いできていないからま、いいかなって」
美代のこういうおおざっぱな所が好きだし、自分とも少し似ていると茉由子は思う。ちょっと繊細で夢見がちな桜子とおっとりした小雪と、四人で仲良くしてきた。
(家の事情を知られたらこの関係はどうなるんだろう)
話題が美代の結納式のことへと移り変わる中、茉由子はまた考える。手のひらを返したように冷たくなるような人はこの中には恐らくいないが、話題ひとつ選ぶにも気を遣わせてしまうことは必然であり、対等な友人としてはいられなくなりそうだ。総一郎のお陰で今日もこうして、お嬢様たちと肩を並べて過ごせていることには感謝しようと思う。
秘密は抱えているけれども。
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