ふるさと

青井 白

夜の音

私のふるさとは、物語に出てくるような綺麗な田畑が並ぶ本当の田舎でもなく、高層ビルが建て並ぶ華やかな大都会でもなく、中途半端な田舎だった。

少ない人の中で人の関係も滞り、しがらみにがんじがらめの息が詰まるような場所だ。

早くこんな場所から出て行って、人目が気にならなくなるほど人で溢れている都会に行くのだと決めていた。

そうして私は、好きなものを好きでいられるようになるのだと確信していた。

 一人暮らしが始まり、初めて一人で眠った日。私は、耳をきーんとさせるような静寂に心をざわめかせていた。

時折通る遠くの電車の音や、マンションの前の道を歩くヒールの音や、隣の部屋から聞こえるくしゃみの音以外は何の音もしない。

虫の声がしない。フクロウの声や、カエルの声がしない。

側から見れば決して静寂とは言えない状況の中で、私は静寂と孤独感を感じていた。

人の距離は近くなったのに、自然が遠のいてしまったようだった。それからしばらくは聞こえるはずもない自然の鼓動に耳を傾け続けた。

鹿のキーンとした鳴き声も鹿が家の砂利を踏む音もしない。

あまりの寂しさから、スマホで睡眠用の自然の音を小さな音で聞きながら眠った。夜のフクロウが鳴く森、夏の風鈴の音や蝉が鳴く縁側、トタンの屋根に打ち付けられる雨の音、色々聞いて思いを馳せて眠った。

中には見たことも聞いたこともない情景があったけれど、それもまたどこか懐かしく感じられた。

その中でもふと涙が溢れた音と情景があった。ひぐらしの鳴く夕暮れの帰り道。

この音を聞いた途端に、涙とその周りの情景に頭を満たされた。扇風機が羽と首を回す音、どこからか漂ってくる夕食の豚汁の匂いと焼き魚の匂い。

そして、頬を少しチクチクと刺す古い畳の匂い。

全て、私が中途半端で良い所がないと思っていたあの田舎のふるさとの記憶だった。ひぐらしの音は私の心の大切な記憶を、また読み返させてくれた。

あの場所はちゃんと大切なふるさとだった。

帰りたい。

あの場所に帰りたいとホームシックになり涙が止まらないまま眠りについた。

 翌朝、目の周りのひりひりとした痛みと、涙が乾いて頬がパキパキになっている感覚と共に目を覚ました。

昨夜のような沈んだ気持ちは形だけを残して消えていた。カーテンの隙間から差し込む陽の光が顔の一部だけを照らしていて、変な日焼けができてしまうと急いで起き上がる。

カーテンを開き窓を開けて網戸にすると、心地よい風が新鮮な空気を部屋に運んでくれた。

耳を澄ませると、蝉の鳴く声が聞こえてくる。ちゃんと朝の自然は近くにあった。

私は都会の自然に耳を澄ませた後、大きく丸のついたカレンダーに目をやる。あと数日で、数ヶ月ぶりに実家に帰る日だ。

離れてから自分の中のふるさとに気がついた。前は近すぎて拾いきれなかったものを、拾いに帰ろう。そして母の野菜がゴロゴロと入ったカレーを食べて、夜の音を聞きながら眠りにつこう。

そう心を踊らせた。

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ふるさと 青井 白 @araiyuki

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