シュヴァルツ・インパルス

蒼河颯人

Prolog 深い海色の瞳

深い海色の瞳

 ネイビーブルーのダークスーツに赤いネクタイを締め、ベージュのトレンチコートを羽織った長身が、浮遊バスから颯爽と姿を現した。金色の短髪の男だ。二重の切れ長のまぶたに覆われた、アイスブルーの瞳は、爽やかさと冷徹さを兼ね備えた光を帯びている。鼻筋が通り、彫りの深い顔立ちである彼は、立派な体躯にも恵まれており中々の美丈夫だ。しかし、彼は眉間にシワを寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。見たところ、普通の勤め人ではなさそうだ。


(今回の案件を片付けたら休みをまとめて貰えるという話だった筈なのに……くそ! )


 ロレンツ・フォン・リットベルクは、胸ポケットの中にあるケースから一本の紙巻きタバコを取り出し、薄い唇の間にくわえた。左手でライターを持つ右手をおおうかのようにして、その先端へと火を付ける。肺がきつくなるまで煙を思いっきり吸い込み、身体中に溜まっている毒を全て押し出すかのように、ふぅと煙を吐き出した。


 今の時代、皮膚に貼るタブレット型シガレットで、ニコチン摂取を嗜むものが多いのだが、彼はこういったアナログタイプのシガレットを変わらず好んでいる。旧時代の産物とされている葉巻やパイプ、紙巻きタバコは、歴史も根強く未だに根強い人気があり、早々なくなることはないだろう。


 どんよりと曇った空に向かって、真っ直ぐに立ち上る白い煙をぼんやりと眺めながら、大きなため息を一つつく。スーツの内側に吊り下げているホルスターが、いつもより重い気がしてならなかった。昨日は何人仕留めただろうと思うと、尚更重みを増して感じられる。


(ここのところ、息が詰まる日が続く……まとまった休みは取れそうにないし……)

 

 彼の職業は特殊警察のような立ち位置で、捜査官の顔をも持つ。依頼が出されたら即その場に出向き、対処せねばならない。その種類は様々だ。窃盗犯を捕まえたり、凶悪犯を始末したりと、どちらかと言えば、血なまぐさいものが多い。マフィアと幾度かやり合ったこともある。生死をさまよったことさえある。


 常に時間に忙殺され、生命をも危険にさらされる環境だ。たまには時間を気にせず、ゆっくりとした暮らしを楽しみたくもなる。だが、生活もあるので早々に仕事を辞めるわけにもいかない。彼は額にしわを寄せ、タバコの吸い口を思い切り噛んだ。


(いつかもう少し静かな場所に引っ越しをするのも良いな。思い切って移住を検討してみるか? )


 彼が色々思考を巡らせていたその時、自分の背中に何かがぶつかる衝撃が走った。


(……!!)


 ロレンツが視線を前に向けると、小さな身体が自分から離れ、駆け足で遠ざかろうとしているのが見えた。その子供は帽子を深く被り、上着とズボンを身に着けているようだが、裾は擦り切れており、穴だらけである。まるで黒ずんだボロ切れを巻き付けたような、みすぼらしい姿だ。恐らく物乞いの類だろう。


(このガキ。相手を間違えたな……)


 この街中でスリは別段珍しくもない。ここ数年不況が続いており、いくら都心部でも、富裕層と貧困層の生活水準の差は歴然としている。生計を立てるために路上に座り込み、他人から物品や金銭の施しを受けて生活している者もいるが、こうして強奪する方法をとる者だっている。こういう貧しい者は、移動用のチューブにさえ、乗ったことすらないだろう。


 あの子供は可哀想に、ロレンツを普通の無害な一般人とでも思って標的にしたに違いない。彼は長い足を動かし軽く小走りした後、即距離を一気に縮め、その細そうな肩を掴んだ。その小さな肩は一瞬びくりとしたが、腕を大きく動かして振り切ろうとした。


 (この俺から逃げる気か? そうはさせない)

 

 そのまま大人しくしていれば良かったものの、その小さな身体は自分から必死に逃げようとする。あまり手荒なマネは好まないのだが、スリは立派な犯罪だ。このまま見過ごすわけにはいかない。


 その小さな手首を掴み、そのまま地面へと押し倒し、上から押さ込んだ。いくらすばしっこくても、大の大人に押さえ込まれては身動きが取れないだろう。すると、腕の下から小さなうめき声が聞こえた。甲高いが、若干ハスキーがかった声だ。


「うっ……!」


 ずり落ちた帽子から黒の艷やかな髪が現れ、その下から覗いた二つの大きな瞳がロレンツをあっという間に釘付けにした。


 ラピスラズリを粉にして溶かし込んだような、深い海の色をした美しい瞳――

 その瞳がアイスブルーの瞳を射抜くように睨みつけている。

 透き通るような色白の肌に、整った目鼻立ち。

 その下にルージュをひいたような形よい唇が開き、噛み付くような声が飛び出した。


「痛えな! いきなり何をするんだよおっさん!」


 それが、この謎の美しい少年――ティル・シュナイダー――との出会いだった。

 

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