【KAC20243】姉が思っているより弟はしっかりしているものだ

一帆

姉が思っているよりも弟はしっかりしているものだ


「……、それで、家賃とかどうするつもり?」


 姉ちゃんが、不機嫌そうにマグカップのふちをなぞっている。

 一人暮らしすることに、もともと反対だったんだ。姉ちゃんが「家賃とか払わない」って言うだろうなとは思っていた。でも、不機嫌の理由がわからない。


「うん……」


 僕は、姉ちゃんの顔色を伺いながら、歯切れ悪く答えた。


「今日、内見してきたアパートは月八万よ? 生活しようと思ったら、その上、ガス、電気、水道、食費、……、いろんなお金かかるわ。それに引っ越し代とか、敷金、礼金とか、最初に払わなきゃいけないお金もあるし………、あんた、そんなお金あんの? 大学の対面授業以外は、ほとんど家にいて、バイトもしてないのに……」


 お金がかかるからやめろって言いたいのかな。

 僕だって、そこは考えている。


「……とりあえずは僕が受け取った母さんの保険金とそれから…「保険金って、ママが遺したお金を使うつもり? 冗談じゃないわ」」


 僕の言葉を最後まで聞かずに、姉ちゃんは眉間に皺をよせる。でも、母さんの保険金は僕が受け取ったんだ。どう使ってもいいはずじゃないか。僕は少しむっとして、「必要な時に使えって母さんが……」と口答えをした。


「そりゃ、あんたの学資とか、留学とか、そういうのに使えってことで、家賃に使ってもいいって話じゃないと思うんだけど?」

「三年の授業料免除の申請は通ったから、大学の授業料は大丈夫だと思う。……、それに、母さんの保険金を全部使うつもりはない」

「はぁ? ……、どういうこと?」


 姉ちゃんが眉をつりあげる。


「うん。引っ越しとかでかかるお金と当面の家賃を母さんの保険金で支払おうと思っている。それで、生活費は今まで貯めていたお金を使っていこうと思っていて……」

「今まで貯めていたお金?」


 僕がお金を貯めていたことを知らなかったらしく、姉ちゃんが首をかしげる。


「うん。僕さ、大学に入ってから、カルトナージュ箱のネット販売をしてんだ」

「はあ? なにそれ?」


 姉ちゃんが驚きの声をあげる。


「カルトナージュっていうのは布箱のことでね。僕、そこそこ売れてんだ。ちょっと待ってて……」


 僕は部屋に戻ると、棚に飾っておいた特別な箱を持ってリビングにもどった。そして、それを姉ちゃんの前に置く。姉ちゃんは箱を手に取っていいか悩んでいるらしく、手が伸びたり縮んだりしている。


「この箱は、姉ちゃんにプレゼントしようと思って作ったんだ。受け取ってくれるとうれしいな」


 そのピンク色の花と紫色の蝶があしらわれた和布が貼られた布箱を、姉ちゃんはそっと手に取った。僕と箱を交互に見比べている。珍しく、目が泳いでいる。僕はちょっとだけ、うれしくなる。


「あのさ……、昔、中学校に行けなかった僕の相手をしにおばあちゃんが来てくれていたのを覚えている?」

「私が会社にいっている間だけ、お願いしていたわ」

「その時、おばあちゃんはリビングで着物を仕立てる仕事をしていて、僕はそれを眺めていた。花柄の正絹ちりめん、唐草の紗、丸紋の木綿、藍鼠の麻………。色とりどりの和布はとても奇麗で、僕は夢中になった。それで、おばあちゃんが、和布の端切れをたくさんくれるようになったんだ」

「へえ……、知らなかった……」


 姉ちゃんが箱をじっと見ている。目が少し細くなっているのは、昔のことを思い出しているからに違いない。


「最初は、端切れを眺めているだけで幸せだったんだけど、いつのまにか、それをどうやったら、もっと素敵になるだろうかって思い始めて……、それで、ネットで布や紙を箱に貼って仕上げていくカルトナージュっていうものを知ったんだ。それで、箱もいちから作ることにして、……、試行錯誤を繰り返して、大学生になってネット販売するようになった。箱を六角にしたり、和ダンスみたいな取っ手をつけたりしてさ。最近では、そこそこ売れるようになってきたんだよ?」

「………そう……。私、全然、知らなかった……」

「うん。姉ちゃん、僕の部屋には入らないからね」

「そりゃ、私だって、気を使っているのよ」


「……、僕は姉ちゃんの部屋には入るけどね」といたずらっぽく笑うと、「確かに」と姉ちゃんも笑った。


「他にも、和柄のイラストを描いて売ったりしてるし、生活費はなんとかなるんじゃないかなって」

「…………そう」


 姉ちゃんがふうっとため息をついて、「そう……、ずっと守らなきゃいけない小さな弟だと思っていたのに……」と小さくつぶやいた。そのつぶやきがとても寂しそうだったので、僕はわざと口角をあげておどけてみせる。


「それにさ、僕が家にいたら、姉ちゃん、ヨシハルさんとの結婚、できないでしょ?」

「はあ? なんで、ヨッシーの話がでてくんのよ?」


 姉ちゃんが珍しく顔を赤らめた。ヨシハルさんというのは、姉ちゃんと六年付き合っている彼氏。それなのに、姉ちゃんたら、三十歳を超えたというのに結婚しないって言っていて……。


「僕も自立する練習をしなきゃだけど、姉ちゃんもヨシハルさんとの結婚の準備をしたほうがいいと思うよ?」

「はあああ? あんたに言われたくないわ!」


 バン!


 姉ちゃんは立ち上がるとテーブルを叩いた。

 そして、箱を手に、自分の部屋に走っていった………。







あくる朝、テーブルの上に、姉ちゃんのメモがあった。


『かわいらしい箱ありがとう。大切に使うわ。

 シュウ、家賃は、パパから送られてくるお金を使いなさい。

 それから、一人暮らしをしても、買い物につきあいなさい』


 

                         おしまい


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