第2話
男女の友情は成立する? という問いかけに、首を横に振っていたのは過去の実翔。首を縦に振るようになったのは今の実翔だ。
元々、男と女で考え方の違いがあるなどと言われ続け、男はすぐに恋愛感情を抱きやすいというのが世間一般的な考えなのだろう。
だが、碧木兄弟の場合は、そうした感情は簡単に沸くものではなかった。
とある一説では、普段から同性異性問わず人間関係が豊かな人間は、異性だからという理由で、すぐに相手を恋愛対象として見ることは少ない傾向があると考えられている。
一方で、もともと交友関係が希薄な人、特に異性との接触の機会が少ない人ほど、相手を「男性」「女性」として意識するため、男女間の友情は成立しないと思う傾向が高くなる可能性もある。
つまり、過去の実翔は後者で、今の実翔は前者、ということだ。
「碧木くん委員会一緒だよね。よろしく」
隣の席から声をかけてきた空閑明衣に、彼は何と返事をしたかも覚えていない。まともに返事をしたかも怪しい。それでも、彼女は気にせずに、多数の友人の一人であるように、自身と気楽に接してきた。
二人は委員会での仕事で共になることはあまり多くなかったが、当時は隣の席だった為に、日直で共に仕事をしたり、物の貸し借りをしたり、授業での隣と交互に音読をしたりすれば、自然と互いの素性も分かってくるというもの。
互いに心地の良い距離を得た二人だったが、明衣が真緒に対して恋心を抱いていると分かったときは、彼女との接し方を変えようと思った。
何故かと問われれば、今まで、こうして弟からお近づきになろう、と考えを持った女子が多く、うんざりしていたからだ。
だが、彼女はまっすぐな人物だった。
真緒が教室にやってくる時や委員会で共にする時、私は貴方の弟と仲良しなんですよ、というアピールすらしない。
兄に自分を紹介してほしい、といった頼み事もせずに、ただ真緒にだけに熱のこもった目を向けるだけ。
彼女は、ちゃんと、実翔と真緒をそれぞれ一人の人間として、他者と同様に大切に接していた。
実翔は己を恥じた。
ただのクラスメイトとして終わることもできたが、互いの考えの一致や性格の組み合わせが良く、そうして接していくうちに、結果として二人は友人という関係に落ち着いた。
明衣と関わることで、今まで避けていた異性とも接することは増えた。
アメリカの心理学者ルビンは、恋愛感情と好意は別物であると考えた。その結果として、実翔は先程の一説の後者になったわけだ。
明衣は実翔という男を友人として接し、真緒という男に恋をしている。
明確な違いの感情を知って、実翔は友人として明衣への好感度が上がったのと同時に、兄に彼女をよく知ってほしいというお節介心が沸いてしまったのだ。
「空閑さんって真緒のこと好きだよな?」
その結果として、彼は直球に彼女へ問いかけたわけだが。
実翔がそう問うたのは、体育祭時の保健委員会用のテントの下で、共に日差しから避けていた時だった。
いつもは表情も大きく変えない、平然を装うのが上手い女子なのだと思っていたが、想像以上の間抜け面を見せられたので、聞いた当人である実翔も目を丸くしたものだ。
「え、そん、何で分かっ……」
まるでスマホのバイブレーション機能のように激しく揺れている彼女を宥めるのは、酷く苦労をした。
「落ち着いて。多分周りは気付いていないと思う」
「ほ、ほんと……?」
身体に比例するように声も震え、それはひどく弱々しかった。
彼女が、自身の思いを誰かに言っていない限りは、周りも気付いていないだろう。あくまで、弟としての視野と意見ではあるが。
彼女と兄は、直接的に関わることは無かったはずなので、兄にも伝わっていないだろう。
「逆に、何で実翔くんは分かったの……?」
「真緒と居た時に視線は感じたけど、自分に向けてではないなって分かったから」
「成程……」
分かりやすかったのか、と問われれば首を横に振る。ただ、自身が視線に敏感なだけだ。
それと、単純に人間の視線の方向が気になる性格なだけ。一般的な感覚や性格だったら気付かないし、気にしないだろう。
想いを伝えないで良いのかと問えば、彼女は膝を抱え込むように座り込み、そのまま己の体操着を握りしめながら、賑やかなグラウンドの方へ向けて真っ直ぐと目を向けた。
「私とは釣り合わないもん。ファン心というか」
少し苦笑いを浮かべていたけれど、手は震えていた。
「……俺と真緒はよくセット扱いされているだろ?」
当人達が並ぶ機会が多いのだから、他者から一纏めに扱われることは、自身たちも理解していた。
そうした中で、私は真緒くん派、私は実翔くん派、と好みの派閥が作られていたのは、当人である双子の耳に入ってきたので知っていた。だが、そうやって軽く口にする人達は、結局のところどちらでも良いのだということも、ただ双子である自分達だから良いのだと、どちらかの恋人というステータスが欲しいのだと、何度も経験して実感しているので知っていた。
恋愛なんてそんなもんなんだな、と二人の考えが行きつくのは簡単だったし、結果として「男性とはこういうもの、女性とはこういうもの」といったような思い込みを強く持って育ってしまった。
だからこそ、理解はしていても納得はしていない。
明衣が双子をそれぞれ個人として区別し、一纏めにせず、好みも変えないのは珍しいと思ったのだ。
「でも君達、自分たちが思っている以上に分かりやすいと思うよ」
少しだけ憐憫を含まれたような目で見られ、今度は実翔が先程の彼女と同じような間抜け面をした。
「まあ二人共顔が整っているから、面食いの時期である今の世代の女子は浮つくだろうけれど」
異性からの意見を聞いて、段々と自分の顔に熱が集まっていくのが分かる。
好意を向けられていたことに自惚れていたわけではない。ただ、兄と似ている――というのは自分の一つの個性だと思っていたからだ。小さなプライドだと、見抜かれた気がした。
双子と一括りにされるのを嫌がっているくせに、双子という関係にしがみつき囚われていたのだ。
そう自覚した途端、己の考えの狭さが恥ずかしくなった。
「君達も同じ高校生だもんね」
「変な慰めは止めろ」
実際に、恋愛に対しての結論に辿り着いた後の行動は、それぞれ違う。
真緒は男女共に、同じ態度をとるようにした。常に穏やかであるように笑みを浮かべ、男女の違いは無いのだと主張するように。女子から告白されることはあったが、心に巣食う嫌な感情を押しつぶすように、出来る範囲で優しく断った。その度に、彼はこっそりと相手に失望をしていた。
実翔は分かりやすく、女子から距離を取った。自分は女子に興味が無いのだ、と証明するように、男子の友人を多く作るようになった。女子と接するときについ不愛想になるのは本人も分かっていたが、軽いアレルギーの様なものだと認識してもらえるようにと勝手に願った。
改めて思い返すと、中々の違いがあったと思い出す。さらに羞恥心が強くなり、体温が上昇した。
顔を手で覆いながら呟く実翔を見て、明衣は「先程の自分を見ていた彼は、こうして少し面白がっていたのだろうな」と静かに納得していた。
いつまでもこのままでは可哀そうだと、明衣は小さく笑みをこぼして、抱えていた膝をのばした。
「でも、好きって気持ちがどうしても溢れてしまいそうで。だったらいっその事言ってしまおうと、手紙を下駄箱に入れたの」
「マジ?」
先程までの弱々しい実翔はどこに行ったのか。
驚きと興奮が交えた声と表情をこぼし、彼女の方へ向けて思わず乗り出し気味な体勢となってしまった。
明衣はオドオドとしながらも、頬を染めて指先をいじりだす。
彼女も、こうして誰かに自身の恋愛談を口にするのは初めてだった。それを、こうして真剣に聞こうとする彼の意思に、感涙さえ零れてしまいそうになる。
「で、でも大したことは言えてないし。名前も書いてないし……言い逃げみたいな。勝手だよね」
「いや、大きな一歩じゃん」
少しだけ目を輝かせながら言えば、彼女は喜びによって照れながら小さく笑みをこぼした。
「手紙とか古風だな」
「そんな立派なものじゃないよ」
彼女は慌てながら、自身が持っている保健委員に配られた、もう必要はないプリントを正方形に正していく。
その紙を丁寧に折っていけば、それは小さなハートを留め具とした手紙の形になった。それを実翔に手渡し、彼は観察するようにそれを手に取って眺める。
「器用なもんだ」
「そうかな? これじゃなくても、手紙とかだったら出来る子が他にも居ると思う」
こうした型に限らず、別の手紙の折り方もあり、それらを作っては授業中にメッセージを回したりする。中にはただ折りたたむだけの者も居るが。
ただ、実翔からすれば、色々な意味で器用なものだと感心する。紙を折ることも、それを先生にバレないように目的の相手にまで届けるのも。
そもそも、今ではスマホもある。それで連絡を取ればいいのに、と思うが、分かってないなと彼女は意地悪な顔をする。
わざわざこうした紙に文字を書き、誰かに届ける。それが形として手元に残るのが、特別に感じるのだとか。
「これを下駄箱に?」
「そう。返事は別に望んでないから充分」
己の心を軽くしたいための、自己満足なのだと彼女は言う。
手に取っているハート形の彼女の想い。兄はこれを受け取ってどう思ったのだろうか。
彼からそうした話を聞いていないので、真相は分からない。
もしかしたら受け流したのだろうか。
それも分からないが、どうか兄にこの真っ直ぐな思いは届いてほしいなと、純粋に思った。
「それでも実翔くんは応援してくれるの?」
「いや、やっぱ友達とかのそういうの、嫌がるより協力した方が良いんだよなって思って」
「はは、優しいね」
「……まあ、俺は味方だから」
そう言いながら、手紙を彼女に返す。
味方、という言葉を聞いて明衣は驚いた表情をする。
実翔は女子と接しないし冷たい、というのが周囲の言葉だった。女友人も居ない、というのも聞いていた。
だからこそ、進級した際に同級生で、更に隣の席だった時は、最低限以上に接しない方が良いのかと思っていた。
だが委員会までも一緒となったら、関わらないという方が難しい。声をかけたのが始まりで、何度か共に過ごしていくうちに、彼が自然とこちらに心を開いてくれるのを察した。
恋人が互いに「自分には貴方だけだ」と誓っているのと違う。友情とは、今後もそうあり続けようと互いに誓って、言葉で縛り上げるものではないだろう。
友情はきっと、己を信じることが出来ないと存在しない。
互いに、己は友人だと信じているからこそ、関係は続いていく。一方通行では、形を得たわけではない関係は脆く崩れてしまうのだ。
己の心を信じ、恥じない自分であろうと思わなければ、他者を友と呼ぶのは憚れるし難易度が高いかもしれない。
だからこそ、人によっては恋愛よりも友情の方が形式としては難しいだろう、と明衣は考えていた。
そしてそれは碧木兄弟にとっても難しい課題なのだろう、というのも明衣は理解していた。
今まで大変だったんだろうな、というのもうすらと察してもいたし。
実際に、先程の会話を聞く限り苦労して少しの人間不信も抱えていたのは確定したわけだが。
小さく笑みをこぼせば、実翔は少し納得いかないと言わんばかりの顔をする。
「でも、この気持ちを最初に気付いたのが実翔くんで嬉しいかも」
「双子だから?」
「違うよ。あ、でも少しそうなのかな?」
「なにそれ」
「双子である実翔くんに、この気持ちを許されたような気がして」
少し苦笑い気味な顔で言う彼女を見て、実翔は小さく笑みをこぼした。何ともこそばゆいような、どこか温かいような。
「成程ね」
「それに何より、自分の事を知ろうとしてくれたことが嬉しいよ」
「しただけなのに?」
「分からないかあ」
正直に言えば、実翔は今でも彼女の言葉の意味は分からない。
ただ、明衣が紙を折っている時の横顔は、兄を思い出していたのか、頬を少しだけ赤らめ、それでいて諦めを含んだ少しだけ寂しいものだったのは分かった。
彼女はずっと思いを封じ込め続けるのだろうか。己の気持ちをきちんと伝えることは無いのだろうか。
彼女の姿を見かける度に、そんなことを思っていた。
それは、生前の彼女の姿を見た時も、霊体となってしまった彼女と共いる時も、変わらない気持ちだったのだ。
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