愛くるしいノアザミ

夢愛菫

愛くるしいノアザミ


 私の名前は「チン カス男」



 では当然ない。


 内藤 宗一郎(ないとう そういちろう)それが私の名前だ。



 32歳、独身。


 証券会社で勤務している。


 私は常に冷静だ。悪く言えば感情がないなんて言われることもある。


 それが功を生じてか、ただ淡々と仕事をしていたらその功績がかわれ、今は係長をしている。


 社内で私は、男性からも、女性からもチヤホヤされている。

 当然、私に酷い言葉を投げかける人間なんていない。

 上司ですら私にゴマをするのが現状だ。

 皆には「クールですね」とか、国立出身のため「さすがエリート」なんかよく言われている。

 それに、ある程度の収入をもらっているからか、寄ってくる女性社員なんかもいる。

 だが誘われても、私は丁重にお断りしている。

 

 私には付き合っている女性がいるからだ。




 


「ただいま」


「おせぇーんだよ! チンカス!」


「すまない。ふわっとチョコレートのすもも味が売ってなくて何軒かコンビニを探し歩いた」

「はぁ!? すもも味!? あたし、シメサバ味お願いしたんだけど! 何やってんの!? まじチンカスなんだけど」

「すまない。急いで買ってくる」

「あー、もういいから。それより足揉んで! 早く!」

「わかった」


 これが私の彼女、七村 渚(しちむら なぎさ)だ。


「いてぇよ! チンカス!」

「すまない」


 そう私は……。


「ねぇ、お腹減ったチンカス〜」

「アライグマローカルで中華買ってきたよ」

「はぁ!? 手作りがいいんだけど!? 手抜きすんなよチンカス」

「すまない」


 私はチンカスと呼ばれている。

 

 



 渚との出会いは、三年前。よく行く喫茶店だった。

 当時の私は休日になると、喫茶店で読書をするのが日課だった。

 渚はそこの喫茶店で働いていた。

 ある時コーヒーを届けにきた渚が「何読んでんの?」と話しかけてきた。

 

「これかい? 『承認欲求と自己顕示欲を兼ね備えた男』だよ」

「……それ面白いの?」

「……面白くはないな」

「スマホある?」

「ああ」

「貸して」

 渚は私の手からスマホを取り、操作を始めた。

 

「何をしてるんだい?」

「あのさ、これ読んでみてよ」

 スマホを見ると小説が表示されていた。

 

「これは?」

「面白いから読んでみて! 読み終わったら感想聞かせて」

「わかった」


 そして私は次の休日に喫茶店へ行った。

「小説読んだ?」

「ああ、凄く面白かったよ。特にラストシーンは手に汗を握ったよ」

「ええ! まじ!? 実はね、その小説あたしが書いたんだ!」

「君が?」

「そうだよ、将来は有名な小説家になるのが夢なんだよね!」

「見かけによらないものだね」

 渚の見た目は、私とは全く違う部類で、俗にいう『ギャル』というような見た目だ。

 

「見かけで判断すんなし」

「そうだよな、すまない。でもあの小説、本当に面白かった。君は天才だ」

「あはは! ありがとう。でもあたし、お兄さんみたいに頭良くないから、馬鹿にされるんじゃないかって不安だったんだ」

「まさか、馬鹿になんてするものか。馬鹿にする要素なんて微塵もなかった」

「だって、お兄さんと比べれば、まだガキだし。それに高校中退だし」

 渚は当時十九歳だった。私とは十も歳が離れている。

 

「年齢や学歴は関係ないさ。知ってるかい? 中卒で総理大臣になった方だっているんだぞ?」

「まじ? すげぇ!?」

「だから私はそんなことで差別しない」

「……じゃあさ、例えば、例えばだから勘違いしないで欲しいんだけど、もし彼女になるのがあたしみたいなのでもアリ?」

「ああ」

「ま、まぁ、ないから! だから期待すんなよ!」

「期待は一才していない」

「はぁ!? スマホ貸せ」

「新しい小説かい? 楽しみだ」

 私は渚にスマホを渡した。

「ハイ」

「ん? これは……」

「あたしの連絡先だよ! 小説! 小説送りつけてやるためだよ」

「ああ、そういうことか」


 それから渚は、毎日連絡してきた。でも小説とは関係ない話ばかりだった。


 そして、連絡を取り合うようになって一ヶ月ほど経った頃「家、いかせろ」と突然言ってきた。

 理由を聞くと「実家だから落ち着いて小説書けねぇんだよ」とのことだった。

 

 ただ私は良くないと思い、断った。

 

「若い女性が交際していない男性の家に来るのはよくない、君の彼氏だって怒るだろ」

「ばっかじゃねぇの!? 彼氏なんかいねぇし! それに変なことするつもりなのかよ」

「わたしはそんなことしない」

「じゃあいいじゃん」

「親御さんが心配するじゃないか」

「はぁ? あたし十九だよ? ガキじゃねぇから」

「以前君はまだガキだと言っていたが」

「いちいちうるせぇなぁ! 今日行くからな! なんつっても行くからな!」


 それから彼女は住所を聞いてきた。私は渚の押しに負け、教えてしまった。

 そして、私が仕事から帰ってくる時間に合わせてくるとのことっだった。


 二十時には家に着くと伝え、それ以降に来てくれといった。

 私は待たせると悪いと考え、十九時半に帰ってきた。


「ん?」

「あ、いや……ちょっと早く着いちまったんだよ」

「三十分も前だぞ?」

 彼女はすでにマンションの入り口脇にしゃがみ込み、待っていた。


「だから早く着いちまったんだって!」

「そうか、今日はどこかに出かけていたのか?」

「なんで?」

「凄くお洒落しているから」

「お前、頭良いのにバカだよな」

「ん? どういうことだ」

「うるせぇな、早く中入れろよ」


 そして渚を家に招いた。


「どうぞ」

「おじゃま……すげぇ! 外観もすげぇって思ったけど、中もめっちゃ綺麗だな!」

「まぁ、それなりの家賃を払ってるからな」

「やべぇ! 風呂でけぇ! キッチンもやべぇ! お前料理すんの?」

「ああ、趣味のひとつだ。夕食は食べたかい?」

「まだあ!」

「では、私の料理を振る舞おうではないか」


 それから一緒に食事をし、一緒にテレビゲームをした。


「お前FPS強すぎ! まじムカつく!」

「渚さんは練習が必要だな」

「さんやめろ、渚って呼んで」

「わかった」


 

「つか眠くなってきた〜」

「ではタクシーを呼ぼう」

「ぶっ飛ばしていい?」

「タクシーは嫌かい? それなら車で送ろう」

「ちげぇよ! 帰りたくねぇってことだよ」

「そうか、すまない」

「お前の寝室見せろよ」

「ああ」


 私は寝室の扉を開け、彼女を中に入れた。


「ベットデケェな! 何サイズ?」

「キングサイズだ」

「ここにひとりで寝てんのかよ」

「ああ」

「あたし今日はここで寝るわ」

「じゃあ私はソファで寝よう」

「はぁ!? まじでキレていい?」

「すまない、私はまた何かしてしまったか?」

「逆だよ! 何もしねぇつもりかよ」

「私はなにもしないと君と約束したではないか」

「女目の前にしたら変わるだろフツー! そんなあたしは魅力ねぇのかよ!」

「いや、君は凄く魅力的だ」

「はぁ!? 真顔で何恥ずかしいこと言ってんだよてめぇ!」

「本当のことだ」

「じゃあ、やれよ」

「何をだ?」

「男と女がベットの上でやるつったらひとつしかねぇだろ!? 抱けって言ってんだよ!?」

「だが交際していない男女がそのようなことをするのは良くない」

「じゃあ付き合えばいいだろ」

「順序というものがあるではないか」

「うるせぇな!童貞かよお前」

「童貞ではない」

「あたしが彼女だったら嫌なのかよ……」

「それは望んでもないことだ。嫌ではない、むしろ嬉しい」

「じゃあ抱けよ」

「だからこそ、私はしっかり順序を踏んでと考えているのだが」

「だりぃなぁ! ビビってんのかよ! 男見せろよ! このチンカス!」

「そんな言い方は良くないぞ」

「じゃあ、抱いてみろよチンカス。つか、そんな勇気あるわけないか!」

「いいんだな?」

「できんの? ねぇ? チ・ン・カ・ス」

 私は渚をベットに押し倒した。

 

「脱がせよ」

「わかった」



 これが私と渚との出会い――。






「係長? 大丈夫ですか?」

「ん? ああ、すまない」

 私は仕事中なのに思い出に浸ってしまっていたようだ。

 

「係長、何考えてたんですか?」

 女性社員がクスクス笑いながら聞いてきた。

 

「ああ、彼女のこと考えていた」

「彼女さんのことですか? 係長は愛妻家なんですね。彼女さんが羨ましいです」

「そうなのか? でもまだ妻ではない」

「じゃあ、他の人と結婚する可能性もあるんですか?」

「その可能性はゼロだ」

 女性社員は笑いながら去っていった。


 

 


「ただいま」

「おかりー」


「食事済ましたのか?」

「えっ? まだだよ、ワイン飲んでただけ」

「そうか、なんのワイ……」


 嘘だと言ってくれ。


「ん? どしたの?」


 


 それは……来月の、君の誕生日に飲もうと買った……君の生まれ年の……。



「リシュブ――――――――――ル!!!!!!」

「うわぁ! 何!? びっくりしたぁ」

 

 私はその場に膝をついた。


「何? どうしたの?」

「……」

「なんだよチンカス」

「……」

「おーい、もしもーし」

「……」

 

「ねぇ! なんだよ! なんかしゃべれよ!」

「その……ワイン」

「このワイン? なんか酸っぱいし、苦いしあんま美味しくないんだけど」

「それは……レストランに持ち込んで……ソムリエに任せて飲むものなんだよ」

「誰だよ……そむ・りえって……お前、まさか……」

「プロだよ」

「お前……私がいるのに風……そんな店行ってんのかよ!どこの店だよ!」

「君がいないと行かないさ」

「どんなプレイだよ! いくわけねぇだろ!」

「流石にひどいな、それは」

「はぁ? ひどいのはどっちだよ? その……そむなんとかってのぶっ殺してやる」

「ソムリエは悪くないだろ!」

 私はそう言うと家を飛び出した。

 

「どこ行くんだよ!」

 渚の声が聞こえたが私は振り返らずに走った。




 この日私はビジネスホテルに泊まった。

 渚からものすごい数のメッセージと電話が来ているが、今は話したくないので無視をした。


 次の日も私の怒りはおさまらず、ホテルに泊まった。

 連絡もまだ無視している。


 三日目になると、帰ったら殺されるんじゃないかという恐怖に襲われた。

 連絡も無視。


 四日目、帰るか。



 マンションにつき、上を見上げた。


 ベランダに渚が立っている。


 帰ってくるのを待ってくれていたのだろうか?

 私は即土下座をする心の準備をした。


 エントランスにつき、部屋番号を打ち込むが、オートロックのドアを開錠してくれない。

 相当怒っているのだろう。

 鍵を取り出し、自分で開錠した。


 玄関の鍵は空いていたので中に入る。



「た、ただいま」

 返事がない。


 リビングに進むと彼女の姿がない。


 ベランダに目をやると渚はまだそこにいた。



「な、渚?」

 私はベランダに近づいた。



 ガタン!


 何かが倒れる音とともに渚の体が大きく揺れた。


 嘘だ!


「渚!」

 私は急いでベランダの扉を開けた。

 そこには倒れた椅子に、ロープでつられている、渚の姿があった。


「おいっ! しっかりしろ!」

 私は渚の足を抱え、片方の手で首のロープを解いた。


「ゴホゴホッ!」

 渚はその場にうずくまり咳き込んでいた。



「おい! 何してんだよ! お前! 死んだら、死んだらどうするんだよ!」

 

「えっ?」

 渚は目を丸くして私を見た。


「渚……君が死んだら私は…………このバカ者!」

 私は渚を抱きしめた。


「だって、宗一郎に……捨てられたって思ったから……」

 渚はボロボロ泣いていた。

 

「誰が渚を捨てるんだよ、そんなことあるわけない」

 

「やっとだね、宗一郎」

「ん?」

 

「やっとあたしを怒ってくれた」

 

「怒られたかったのか?」

 

「うん。だってあたしのことなんて宗一郎見てないんだと思ってたから」

 

「いつも君しか見てないよ、何を言っているんだい?」

「初めて家に来た日のこと覚えてる?」

「ああ、忘れないさ」

 

「あの日は、宗一郎チンカスって言ったらムキになったでしょ? あの時、感情を表に出さない宗一郎が初めて感情を出してくれた気がしたんだよ。凄く嬉しかった。あたしだけが本当の宗一郎を知ってるって思ったの」

 

「……」

 

「でも、それ以降は全然感情を表に出さないから、あたし愛されてないのかなって。だから……だからいつも怒らせようとしてたんだよ」

 

「すまない、そんなにも渚を……本当にすまない」

「それで、そう、いつもすまないばっか……」


「渚、でもそれが私なんだよ」

「知ってるよ」

 

「もう命を絶つような真似はしないでくれ、約束してくれるか」

「うん、約束する」

 

「あとな、これから悪いことしたら怒るから覚悟しなさい」

「わかった」

 

「じゃあ、中に入ろうか」

「うん…………いや、待って。りえって女誰だよ、その話終わってねぇから、なぁ! おい!」

「一体なんの話をしているんだい?」


 それから私はワインとソムリエについて説明した。





「それでは、行ってくる」

「いってらー。あっ、帰りにふわっとチョコレート買ってきて」

「すもも味で良いんだよな?」

「はぁ!? シメサバ味だっつってんだろ! 本当頭いいのにバカだな」

「すまない」

「もうわかったから、いってらっしゃ」

「ああ」

 

「愛してるよ、チンカス」

「ああ、私も愛してるよ渚」



 私はこんな毎日が幸せだ。

 

 


愛くるしいノアザミ   おわり。

 

 

 

 

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