買い物の思い出

@kudamonokozou

第1話

「としちゃん、市場まで買い物に行ってきて。」

と、お母ちゃんに言われた。


僕は、お母ちゃんからお金をもらって、市場まで出かけた。


市場には、僕みたいな子供はいない。大人ばかりだ。


僕はもの怖じするタイプなのだが、お母ちゃんからお使いを頼まれたので、大人たちの中に入り込んで行った。


僕はまず、市場の入口の果物売り場に行く。僕は果物が好きなので、ここではわりと元気良くなる。


昔のことなので、ビニール袋はタダだった。


「それ。」と、僕は果物がのっているざるを指さす。

そして、お店の人にお金を渡す。


するとお店の人は、ざるの果物をビニール袋に入れて渡してくれる。そしてお釣りを渡してくれる。


こんな調子で僕は、市場を回っていくのだ。


次の場所で野菜を買う。この日は、トマトとなすを買った。


そして、いくつかの店を通り過ぎる。


お肉屋さんとは、少し話をしなくてはならない。


「120円の豚肉を300グラム二つと、合いびきを300グラムと...」

と、僕はお母ちゃんに言われた肉をお店の人に告げる。


するとお店の人は、大きなトレイから肉を取り出して秤に載せて重さを測る。


「いつも覚えていて偉いな。」

と、店の人が言ってくれる。


でも、いくらの肉を何グラム買うかはだいたいいつも決まっているので、全然偉くないと僕は思った。


お金を払ってお肉を受け取ると、僕は次の八百屋さんに行く。


この八百屋さんは、さっきの野菜売り場とはお店が別なので場所が離れているのだ、とお母ちゃんが言っていた。


この日は店のおばさんが、大根葉をなたで落としながら大根を売っていた。

店は少し混んでいて、大根売り場の前をお客さんが取り囲んでいた。


「ああ、私その大根葉欲しいわあ。」

と言って、客のおばさんが大根葉に手を伸ばしたとたんに、

「あかん!あかん!」

と言って、店のおばさんが客のおばさんの手の近くをなたで叩いた。


びっくりして、客のおばさんは手を引っ込めた。

そして店のおばさんの顔をあぜんとして見つめた。


僕もびっくりした。


店のおばさんは、何事もなかったような顔をして、大根葉を落としている。


僕は、絶対に大根葉に手を伸ばさないようにして、大根を買った。


そしてこの日の買い物を済ませて、家に帰った。

お母ちゃんは「としちゃん、ありがとう。」と言ってくれた。


弟と一緒に、農協へお米を買いに行ったこともあった。


「ラップがおまけでもらえるので、お米二つ買って来て。」

と、お母ちゃんが言うので、弟と一緒に行った。


お米は重かった。二人でお米を担いで歩いていると、学校帰りの友達がからかうようなことを言って通りかかった。


僕は少し恥ずかしかったので、何も言わずに家に帰った。


お母ちゃんは「ありがとう。」と言ってくれた。


お母ちゃんはよく『足が痛い』と言うので、僕は時々お母ちゃんの足をさすったり、背中を押したりした。

するとお母ちゃんは「ああ気持ちよかった。ありがとう。」と言ってくれた。


それから僕も学年が上がって、お母ちゃんの方が小さくなった。


やがて僕にも子供ができて、お母ちゃんとは離れて暮らすようになっていた。


お母ちゃんは、ますます小さくなった。


僕の子供たちはすっかり大きくなったが、お母ちゃんはベッドの上で寝たままになってしまった。


「お母ちゃん、働き過ぎたんやで。」

とある日僕は言ったが、お母ちゃんはもう昔のように返事をしてくれなかった。


そしてとうとう、お母ちゃんは施設のベッドの上で、まったく動かなくなってしまっていた。


最近のことはよく忘れてしまうようになったけど、お母ちゃんに言われて買い物に行った時のことは、いまでもはっきりと憶えている。


お母ちゃん、ありがとう。

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