セッション3〜怒り〜

外から親子の言い争いの声が聞こえる。

真帆が慌てて廊下へ出ると、必死に真司くんをひっぱる母親と、真っ赤な顔で必死にその手を振り払おうとする真司くんの姿があった。


「中川さん!どうしたんですか!」

「先生!すみません、真司が言うことを聞かなくて。」


真帆はふたりの手を片方ずつそっと掴んで引き離した。


「いったん、落ちつきましょう。中川さんも、よかったらコーヒーでも。」

「すみません、私まで先生のお世話になるなんて。」


こころの教室のすぐ隣には、小さな空き部屋がある。パーテーションが置かれ、古びた茶色いソファと、同じく古びた茶色いテーブルが置かれ、さながら企業の応接スペースのようになっている。真帆は母親をそこに案内し、教室に戻ってインスタントのコーヒーを淹れた。


真司くんには、座って待っていてねと伝えてあったが、真帆が振り返ると、真司くんは箱庭の砂をぐちゃぐちゃに激しくかきまぜたり、砂にめがけて握り拳を何度も振り下ろしていた。


真帆はひとまず隣の部屋の母親にコーヒーを運んだ。

「先生、すみません、昨日からずっとあの調子で。お手数おかけしますが、よろしくお願いします。」

母親は、そう言って何度も頭を下げた。

「いえいえ、大丈夫ですよ。お気になさらないでください。」


聞きたいことは色々あったが、箱庭に怒りをぶつけていた真司くんが心配で、真帆はこころの教室へ戻った。


真帆が戻ると、真司くんは慌てて何体かのミニチュアを床から拾い上げ、箱庭の後ろに隠した。箱庭の砂が少し散らばっており、拾いきれなかった小さな人間のミニチュアが、真司くんの足元に何体か落ちていた。


「真司くん、お待たせしてごめんね。」

「‥‥」

真司くんは、バツが悪そうな顔をしながら真帆から目を逸らした。

「真司くん、あのね、お願いがあるの。箱庭の中では、自由な表現をしてもらって構わないわ。でも、物が壊れるような使い方をしたり、砂を外に散らかすのは、よくないわ。真司くんも、そう思わない?」


そういって真帆は床に散らばった砂を箒で集めた。

「‥ごめんなさい。」

真司くんは俯いたまま返事をした。


そうしてしばらくの間、真司くんは、真帆の顔色を伺いながら、壊れない程度の強さで箱庭の中で人間のミニチュア同士を戦わせていたが、やがてそれにも飽きたのか、戦っている人間たちを隅の方にひとかたまりに集め、砂を優しく掘って大きな川を作った。いや、もしくは戦う人間達を囲い込む小さな島を作ったのかもしれない。


そして真司くんはまた、反対側の隅の方にも同じように新しく島を作ると、小さな動物達をそっと並べはじめた。


「今日は、この島には【ぼく】はいないのかしら?」

真帆は問いかける。


「いないよ。動物達と僕は、会えなくなったんだ。僕もここからいなくなったんだ。今日はこれでおしまい。」



そう言って真司くんは箱庭遊びをやめると、ソファに座って本を読み始めた。


「今日はこれで完成ね。気分が乗らなくても、ちゃんとここへ来てくれて、ミニチュアを大切に使って作品を作ってくれてありがとう。」


「え?」

真司くんは本を読んでいた顔を上げ、不思議そうに真帆の顔を見た。


「今日の作品も、また写真を撮らせてちょうだいね。ちなみに、タイトルをつけるとしたら、何かしら?」



「‥‥うーん、ボウリョク、ケンカ‥‥いや、やっぱり【動物】かな。」

そう言った真司くんは、いつになく自然な表情をしていた。




真司くんが箱庭を作り終えて大人しく本を読んでいるので、真帆は気になっていた母親のもとへ戻った。



「中川さん、真司くん少し落ち着いたようです。昨日、何かあったんですか?」


母親はおどおどしながら、早口で話し始めた。

「実は先月ね、急に主人の転勤が決まりまして、九州に引っ越すことになったんですよ。それでもう、毎日引っ越し準備とか手続きでもうバタバタで、私も夫もイライラして毎日ケンカばかりで。真司のこともなかなか構ってあげられていなくて。」

「九州ですか!それはまた、ずいぶん遠くに。」


「えぇ。それで、うちで飼っているハムスターや鳥を飛行機にのせるわけにもいかないので、主人の知り合いでもらってくれるという方がいたので、来週もらって頂こうかと昨日の夜、主人と話をしていたんです。そうしたら、私たちの話を聞いていたのか、真司がすごい勢いで怒って2階から降りてきて。。。」


「そうでしたか。それは急な話で中川さんも色々と大変でしたね。真司くんも、動物が大好きなようなので、別れは辛いでしょうね。前回も、今回も、動物をテーマに箱庭を作られていましたから。。」


「真司が??まぁ、確かに餌やりとかは毎日真司がやってますよ。でもね、世話は全部私がやってますからね。大変なんですよ。ケージの掃除とか本当に。仕事から帰って、引っ越しの準備をして、旦那と真司のごはん支度に、ペットの世話に。」

やつれた顔の母親は大きくため息をつく。


「生き物のお世話は、本当に大変ですものね。引っ越し前のお忙しい中でも、きっちりとお世話されているのですね。」

母親は、そうなんですといわんばかりに、大きく何度も頷いた。



「中川さん、差し出がましいお話で大変恐縮なのですが、ペットの今後の行き先について、もう一度検討して頂くことはできないでしょうか。真司くんにとって、とても大切な存在なんだと思うんです。」



「はぁ。真司がねぇ。‥わかりました。夜、主人と話してみます。すみませんね、なんだか私まで相談に乗ってもらっちゃって。真司には、親の都合で転校させることになって、可哀想な思いをさせているので、なんとかできないか考えてみます。」




少し丸くなった白髪混じりの母親の背中と、とぼとぼと歩く少年の背中が並んで校門を出るのを、真帆は窓からそっと見守った。


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