社畜と社畜は惹かれあう

高坂栞

第1話 終電を逃す

 ――午後九時。


 背の高いビルから点々と漏れる明かりが一つ、また一つと消えた。


 ――午後十時。


 更に一つ、また一つと明かりを消していくビルの一室。


 ――午後十一時。


 最後に残った明かりの漏れた一室は、ただ複数による社員のタイピング音によって支配されていた。

 そこは広報部の一室であった。

 黒メガネをかけた大城牧人(おおしろまきと)は死んだ魚の目を作り、上司に投げつけられた資料作りという任務を遂行していた。

 最早、仕事などという甘ったれた作業ではない。

 これはれっきとした命がけの任務である。

 これを明日の午前九時までに赤坂上司に提出しなければ、大城は広報部の全員の前で頭をはたかれ、暴言を浴びせられ、土下座をさせられるという辱めを受けるのだ。

 大城は、それでいくつもの新入社員が消えていったのを鮮明に覚えている。

 作業はまだ終わりそうにない。


 かちかちかちかちかち――……。


「――……っし」

 

 大城は力を込めてエンターキーを押す。

 もう一度、一ページ目から確認をする。

 …………ばっちりだ。

 これで文句を言われようものなら、大城は赤坂上司の禿げ頭を叩いてしまうだろう。

(まあ、実際にそんなことはできないが)それほど質の高い資料が完成した。

 大城は潔く立ち上がる。


「お疲れさ、ま……」


 パソコンが列挙した部署を見渡す。

 誰一人として、職場には残っていなかった。

 腕時計を見る。

 午後の十二時半を過ぎていた。


「はぁ……今日もか」


 大城は肩を落とし、盛大なため息を零す。

 実はこのような残業は今日だけではない。

 もうかれこれ一年は続いている。

 入社して五年目。

 地道に昇級して、ある程度の職位につくと給与があがった。

 かと思えば、比例どころか、二倍増し(つまるところ三倍)で責任が重くなり、作業はこれまでの倍以上になってしまった。

 残業代は所定の額しか出されないため、報酬自体は作業量に比べるとあまりよくない。

 否、すごくよくない。

 大城は体のだるさを感じつつも、電気を消して職場を出た。

 外はすっかり冷たく、息を零せば、しろい空気が顔前に広がった。


「はぁ~」


 電車はもう、動いていない。

 一駅分を歩いて帰らなければならない。

 大城はとぼとぼと秋の夜風に当たりながら、家に向かった。

 帰っている途中だった。

 ある一軒家らしき飲み屋から光が漏れていることに気付いた。

『すみの晩酌処』と書かれた暖簾がかかっている。

 まだ、営業しているのだろうか。

 というか、昨日までここに晩酌処などなかったはずだ。

 はたと立ち止まった大城は気になり、店を覗くことにした。

 暖簾をくぐり、がらがらと扉を横に開くと温かい空気が肌に伝わり、黒縁眼鏡が一気に曇った。

 そういえば最近はもう秋の去り際、冬の訪れを感じる季節であったことに、はたと気づいた。

 なんと、時の流れる速度というものはまるで実感がなく、恐ろしく静かに過ぎ去っていくものであった。

 大城は顔の筋力が脱力した。

(このまま、俺は童貞すらも卒業できずに、孤独死するんだろうか……はぁ)


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