これからについて

「それで答えは見つかったのかい?」


 今日はボイトレの日。


 先生が私に課題の答えを聞いた。


「分かりません」


 私は繕うことなく言った。


 課題は歌う理由。そして誰に対しての。

 嘘をつくこともできただろう。


 でも、私は本音をぶつけた。

 分からなかいものは分からない。


「私は自分のために歌います。ファンやリスナーに対して、私の歌を聞けと想いながら歌います」


 私は先生をまっすぐ見据えて言った。


「そう」


 それだけ。先生はたったその2文字しか、返さなかった。


 もしかして呆れたのかな。


 先生はピアノ椅子に座り、深く息を吸った。


(もしかして怒鳴られる?)


 そう感じて内側に身を縮こませる。


 けれど、先生は怒鳴ることなく、息を吐いた。


「いいでしょう」


 それはどういうことか?


「君がどう音楽に向き合うかは君がきめること。それが君の意志というなら尊重しましょう」

「はあ」


 私は気のない返事をした。


「音楽は好き?」

「え? ……はい」

「でも、君からはヘイトを感じる」

「ヘイト?」

「何に怒ってるの?」


 その言葉に私はどきりとした。


「それは……」


 先生は続きを待つ。


「私の歌を馬鹿にした人達です」

「馬鹿にされたことあるの?」

「はい。昔に」

「で、君は悔しくて上手になったと」

「はい」


 私は頷いた。


 先生は口を結び、鼻で息を吐く。そして何回か頷く。


「なるほどね。そして上手うまくなった自分の歌を聴いてもらおうと頑張っていると」

「はい」


 先生は両指の先を合わせたり、離したりする。


「それはいけませんか?」

「いいや。普通だよ。普通」


 普通という言葉が強く私の耳朶じだを打つ。


「普通すぎだね。つまらなく」


 これは失望したということだろう。


 私は高尚な目的を持つ人間ではない。ただの平凡な人間。


 大きな穴が私の下に影のように現れて、私はストンと落下する。底がどこまであるのか、どれだけ落ち続けるのか分からない。


「上手に歌えばいいのかな?」


 先生が天井を見て言う。


「それは……そうでしょう」


 下手な歌なんてもってのほかだ。


「上手って何? 何をもって、そう判断できるの?」

「それはカラオケとかの点数で」

「点数が高ければ上手? なら、オーディションはカラオケ方式を取るべきだろうね」

「それは……」


 点数が高いということは上手ということ。


 でも──。


「おかしいよね。そんな楽なものではないんだよ。それにカラオケっていうのはね、攻略方法さえ知れば100点を取れる。ちなみにどうすれば取れるか知ってるかい?」

「タイミングと音程を合わせる。ビブラート、こぶし、しゃくりを完璧にこなす」

「そうそう。そうしたらでも100点は取れる。すごいよね」


 そう言って先生は笑みを向ける。


「君はそんな歌でファンは喜ぶと思う?」

「いいえ」

「なら、上手に歌わないとね」


  ◯


 その日のレッスンは淡々としていた。


 先生は数ある仕事の一つとして片付けているように見えた。


 勿論、疎かにはしていない。


 きちんと私にあれこれと教えてくれている。


 ただ、私に対しての期待というものを持っていないように感じる。


 それはやはり私のが原因だろうか。


「ありがとうございました」


 私は一礼して部屋を出る。そしてすぐに自然と一息ついた。


 答えを考えないといけないのか。


 きちんとした理由。


 廊下を歩く足が妙に重い。

 膝が上がりにくい。

 足を少し浮かせて、体重を前に移動させる。そうやって進んでいく。


「どうかしたの?」


 後ろから声をかけられた。

 振り向くと明日空ソレイユがいた。


「こんにちは。ソレイユもボイトレ?」

「ええ。今からね。で、どうしたの? 先生にボイトレで絞られた?」

「……まあ、そんなとこです」


 私は苦笑で返す。


  ◯


 いやな夢をよく見る。

 それは主に3つ。


 1つは彼女達が出てくる夢。酷い目を受けるもの。


 2つ目は目的地に着けない夢。これにもたまに彼女達が現れて邪魔をする。


 そして最後に走れない夢。走ろうとすると足が重く、動かすのが緩慢になる。歩くよりも遅い。常に何者かに追いかけられ、私は逃げる。でも、足が重くて走れず、捕まる。


 そんな夢を私はよく見る。


 途中で明晰夢だと理解してもめることはなく続く。


 そして今日もまた走れない夢を見た。


 目が覚めて、起き上がり、右膝を上げる。右膝を下ろして、次に左膝を上げる。早足で部屋を出て、リビングで足を止める。


 大丈夫。これなら走れる。それに力も出し切っていない。早歩きができるんだから、走ることも可能。


 どうしてこんな夢ばかり見るのか。


 最近、運動していないからか。

 いや、ダンスレッスンはちゃんとしている。走ることも跳ねることもできる。


 ソファに座り、一息つく。


 そこで雨音が聞こえた。私はベランダに通じるガラス戸のカーテンを引く。外は灰色の空、雨が静かに降っていた。


 私はしばらく外を眺めていた。まるで押しピンで留められたように。


 ただじっと、雨を眺めていた。ガラス戸の外側に雨が当たり、玉としてつらつらと下へと流れ落ちる。


 スマホの音が鳴り、意識が現実へと戻る。画面を見ると明日空ソレイユからだった。


「もしもし」


 外を見つつ、私は応対する。


『もしもし、メテオは今、暇?』

「暇だけど」

『良かった。ちょっと話がしたくてね』

「話、ですか?」


 そう言って、私はソファに座る。


『なんかあの時、思い詰めてたからね。気になって。先生に何か言われたの?』


 私は課題のことを話した。そして私の歌に対しての想いも。


「ソレイユは何のために歌ってるの?」

『それは好きだからだよ』


 即答だった。しかも簡潔。


『音楽は音を楽しむだよ』

「そう……だけどさ」

『メテオは嫌いなの?』

「好き……です」

『なら楽しく歌おうよ。そりゃあ、メテオのように自分のために歌うこともいいと思うよ。でも、楽しも』

「…………そうですね。楽しまなければ駄目ですね」

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