時の流れ

 子供と大人の時間感覚が違う。

 子供の10分は長いが、大人の10分は短い。


 子供は休み時間のたった10分であれこれ遊んだり会話をしたりするが、大人は一息ついて、少し後のことを考えるだけで終わってしまう。教師もたぶん職員室に戻って、次のクラスの授業内容を少し考えただけで休み時間は終わっていただろう。


 大人の10分は短い。


 さらに子供達は体育の授業のため、着替えてグラウンドに出て、そして余った時間でボール遊びをする。たった10分で。なんという行動力だろうか。


 子供達は活発だ。


  ◯


 今、私は3つ下の従姉妹の結婚式に出るため、実家に帰省した。


 お土産を渡して、母と少し笑談。


「あれ? 兄貴は? まだ来てないの?」

「美里さんのお腹が大きいので結婚式には出られないって」


 美里さんは兄貴の奥さんのこと。


「何それ? ずるくない?」


 私には兄貴もちゃんと出席するから来いと言っていたのに。嘘かよ。


「なら、あんたも妊娠しなさい」

「兄貴は妊娠してないよ?」


 妊娠したのは美里さん。


「妊婦1人では心細いでしょ?」


  ◯


 私の部屋はそのままだった。


 学習机、本棚、ラック、箪笥、ベッド。

 テレビは一人暮らしをする時、持って出た。


 学習机の棚には今もまだ高校時代の教科書と参考書が差し込まれている。


 時が止まった部屋。


 ベッドに座り、部屋を眺める。


 もう戻れない子供時代。

 もし子供に戻りたいかと聞かれたら、前と同じ子供時代でないなら子供に戻りたいと答える。


 新しい子供時代を生きたい。あの頃とは違う子供の私。

 どんな未来を描くのか。


「ま、そんなこと無理なんだけどね」


 どうあがいても過去は変えれない。そして今の私も。


 Vtuber以外の道はあったのかな?


 目を瞑り、想像する。


 私って、どんな夢を抱いていたのかな?

 ケーキ屋、花屋、アイドル?

 そんな夢だったはず。


 アイドルは……成功しているのかな?


  ◯


「あんたはいい人いないの?」


 結婚式の帰り、助手席の母が問う。もう何度目の問いだろうか。ボケたのかといわんばかりだ。


「いない」


 後部座席で窓の向こうを見つつ、私は簡素に答える。


「作らない?」

「今はいい」

「もういい歳でしょ?」

「そうね」

「お見合いとかしない?」

「しない」


 会話が止まる。


 母が聞こえるように溜め息を吐き、「どうしてこうなったのかしら?」ととげとげしく呟く。


 不満なのだろう。


 母のプランでは良い大学に入って、良いところに就職して、3K(高学歴、高収入、高身長)と結婚、そして子供(孫)を産ませる。


 そのはずだった。


 それが短大、契約社員、退職、Vtuberだ。

 世間一般でいうところの結婚適齢期に入ったが、Vtuberゆえ彼氏はいない。


 作ったらユニコーンがうるさいから。

 Vの中では隠れて彼氏を作っていたり、結婚までしている人もいる。

 それでも、私は作らない。

 面倒だから。


  ◯


 私は字が下手だ。


 けど読まれないほどではない。あくまで普通に下手。


 小さい時から母に文句……いや、馬鹿にされていた。


 何かと私の字を見るたびに母は汚いとか読めないと嫌味を言う。


 そんな私も小学生の頃、母によって習字教室に通わされた。

 とある団地の一室。白髪のお婆さんが習字を教えていた。


 私は習字が嫌いではなかった。


 それでも私は字が下手なまま。


 大人になって、風の噂で習字の先生が孤独死していたと聞いた。


 先生はずっと独りだった。


 ずっと。


 私も独りなのか。このままずっと独りなのか。


 結婚しないから、子供がいないから。


 ずっと。


 そして私も孤独死するのか。


 金を貯めて老人ホームに入るべきか。


 いやいや、ダメだ。

 先のことを考えてはいけない。

 今を考えよう。

 けれど、今を考えると……それもまた辛いこと。


 過去も現実も未来も真っ暗。

 見たくはないものばかり。

 もういっそ。


 ……。

 …………。

 ……………………。


「桜町さん?」

「あっ、はい」


 マネージャーに呼ばれて現実に戻る。


「手が止まってますけど、どうしたんですか?」

「すみません。ずっと同じことをやっていたら……つい」


 つい余計なことを考え、それが頭の中で膨らみ、私を圧迫していた。


 私は色紙にサインを書く。

 筆記体をベースにしたグニャグニャの文字。


 毎回出鱈目に字を書いているわけではない。何度も考えて作った文字。字というよりもマークだ。文字で作ったマーク。


「終わりました」


 マジックペンに蓋をして、テーブルに置く。

 そして一息つく。


「ありがとうございます」


 マネージャーは色紙を紙袋に詰める。


「仕事はもう終わりですか?」

「はい。今日はこれで終了です」


 その言葉に私は椅子から腰を上げる。


「それでは失礼します」

「はい。お疲れ様でした」

「そうだ。私、昔に習字をならっていたんです。配信に使えませんかね」


 ふと、私はそんなことをマネージャーに提案した。


「あー、ダメですね。まんじさんと被りますよ」

「あ、そうですね」


 卍は字が上手い。それに習字ではなく書道クラスの実力。

 被るどころか足元にも及ばないのでは。

 そして下手が際立ってしまう。

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