君のループに私を入れて

左原伊純

君のループに私を入れて

「え? マリエも出られないの?」


「ごめん。集中講義で」


「ライブの時間だけでも空けられないかなあ?」


「ごめんって」



 ライブハウスの木本さんに、今回のライブはできないと決まったと伝えに行こう。

 いつも応援してくれる木本さんの笑顔を思えば申し訳ないが……仕方ない事だ。学生である以上、学業をおろそかにはできない。


 ライブハウス『ティーツリー』は大通りのハンバーガー屋の地下にある。少し急な階段を下りて重いドアを開けた。


 薄暗いライブハウスの受付には、木本さんと見た事のない男子がいた。受付の木本さんと男子はカウンター越しに何かを話している。


 近づくと、その男子が制服のブレザーを着ていると分かった。高校生がここに来るのか。


 私は高校からバンドを始めたが、この箱に憧れつつも当時は一度もステージに立てなかった。


 高校生で出演するなんて、きっと凄い子なのだろう。後姿はどこにでもいる普通の高校生といった感じだ。


「あれ、真音まおちゃん」


 男子の方をずっと向いていた木本さんだが、話が途切れたらしく私に気が付いた。


「おつかれさまです」


 木本さんは男子と話さなくていいのか気になるが、ひとまずは私もカウンターのそばに寄った。


「もしかして、やっぱりライブは無理そう?」


 木本さんが顔にかかった長い髪を耳にかけながらそう言った。


「皆は集中講義があって。私だけは学部が違うから空いてるんですけど」


「なんだ、そういう事ね」


 なぜだか木本さんはほっとしているように見えた。


「いえ、勝手に心配してしまって。真音ちゃんと他の子達じゃ意識の高さが違うように感じていたから」


「そうですか?」


 なんとなくとぼけてしまったけど、木本さんの言いたい事はよく分かった。


 私が一番必死になっているのは、バンド内だけでなく外から見ても明らかだったのだろう。

 一人だけ浮いている気がして恥ずかしく思えた。

 だけど、それでも中途半端に活動する事は嫌だった。


「あの、俺はもういいですか」


「ああ、ごめんなさいね」


 私が登場した事で蚊帳の外になったと思ったのか、男子が少し愛想悪く切り出した。


 黒くまっすぐな髪で、パッと見るとどこにでもいそうな外見だが、雰囲気は違う。長く音楽をやって来たという空気感が伝わってくる。


 高校生のうちから出演しているこの子が羨ましいな。


 私は高校生の頃ギターを弾けるようになるまでが大変だったから。人に聴かせる段階ではなかった。


「真音ちゃん、大丈夫よ。この西脇くんが代わりに出てくれるから」


 木本さんに紹介されたというのに、西脇くんは特に会釈もせずにいる。


 なんとなく、その不愛想さは見ていて面白いものではなかった。


「そうなんですね」


 できるだけ、西脇くんの存在を受け流そうとして、私は明るい声を出した。


「そうだ、二人で一緒に出たら?」


 え? この子と? と思った。


「は? 絶対無理」


 西脇くんが不愉快を露わにして眉を寄せた。


 この人とやりたくないという思いは私も一緒だが、そこまで失礼な態度を取られると、腹が立った。


「西脇……くんのバンドメンバーがいるじゃないですか」


 名前を呼ぶことさえ嫌だったが、まあ仕方ない。私はそう言って、そそくさと出て行こうとした。


「だって西脇くんも一人じゃない」


 木本さんの言葉に、逃げようとした私の足が止まった。一人でバンドはできない。なら、私が助けなければならないのか?


「いえ、結構です」


 西脇くんがきっぱりと言い放った。


「俺は一人でもバンドができるので」


 あまりに確固たる自信のある言い方だったので、私はともかく木本さんさえ黙ってしまった。



 お風呂に入っていると、その日にあった事をぼんやりと思い出す。


「いや、あいつ性格悪すぎでしょ」


 一人の浴室に笑い交じりの悪態が響いた。


 あそこまで性格悪いともはやすがすがしいのではないかと、時間が経って思えるようになった。ティーツリーでキレなかった私は偉い。


 だけど、一人でバンドって、どうするのだろう。


 お風呂から上がると、木本さんから連絡が入っていた。


「もしもし、真音です」


『もしもし。ごめんね。明日はどうする?』


「観客として観に行こうと思ってます」


『じゃあ、念には念を入れてギターを持ってきてくれる?』


「え? はあ……分かりました」


 通話の終わったスマホの画面を意味なく眺めながら、何故なのかと考えた。


 木本さんは西脇くんの実力を心配しているのだろうか。それなら、西脇くんにあなた一人では難しいよとがつんと言うしかないではないか。



 よく晴れた翌日。ギターの重みを肩に受けながら大通りを歩く。ギターを背負っていると少し強くなった気分になるんだよな。


 ライブハウスに入れば晴天も関係ない。薄暗い、箱の中の別世界だ。


 プロのバンドが来る事も多いティーツリーだが、普段は高校生や大学生のバンドが時間を分割して出演する。

 もちろん、素人の学生が集客を望めるわけがないので、チケットは友達に買ってもらったりと、自分で営業する。


 西脇くんは三番目だ。今ちょうど準備しているのだろう。


 一つ目の学生バンドと二つ目の大学生のアカペラが卒なく終わった。紙コップのコーラを零さないようにできるだけ拍手を送った。


 そして、ついに西脇くんが出る。



 照明を落としたステージで、西脇くんがシンセサイザーの前に立つ。


 衣装はごく普通のシャツに黒のチノパンだ。一人でバンドというよりも、弾き語りだろうか。


 なんのMCもなく、いきなり西脇くんはシンセサイザーのボタンを押した。


 ピ、ピ、ピ、と電子音が鳴った。演奏をする前に何かの操作をするのだろうか?


 すると、ドラムスの音でパターンを引き始めた。


 八小節弾くと、西脇くんはシンセサイザーのキーボードから手を離した。


 それでも、西脇くんが弾いたドラムパターンだけが残されたように繰り返し鳴り続ける。


 即興で録音している。これって、つまり全てのパートを即興で録音して合奏させるって事か。


 予想通りだった。


 ドラムパターンに合わせてベースラインを録音すると、リズム隊が同時に鳴った。曲の骨格が見えてきて、会場から拍手が起こった。


 続いてオルガンパート、ギターパート、ストリングスのパート、と増えていく。


 全ての伴奏が揃い、ループする。


 西脇くんはようやく本番だといわんばかりに、伴奏の上でピアノの音にしたキーボードを豪快に弾き鳴らし、歌いだした。


 彼の演奏と歌唱に箱は大盛り上がりだった。

 なんていうか、性格悪いだけの事はあるじゃん。西脇くんにむかつきっぱなしではいられない。

 その時だった。


 ブツ、と嫌な音がした。どこかのシールド(楽器と機器を繋ぐケーブル)が外れたみたいだ。


 演奏は大丈夫かと思ったが、やはり大丈夫じゃなかったらしく、西脇くんのシンセサイザーが鳴らなくなった。


 彼はステージ上で困り、あのふてぶてしさが嘘のようにうろたえている。


 観客たちはざわめいているが、どこかから、笑い声が聞こえた。


「真音ちゃん!」


「木本さん?」


 木本さんが私の腕を軽く引いた。


「今すぐステージに上がって!」


「ええ?」


 木本さんに会場から連れ出されて、私は裏から演者の控室まで引っ張っられた。


「真音ちゃんのは大丈夫だから!」


「はあ?」


 訳も分からず、チューニングだけをしてステージに上がる事になった。



 突如もう一人がステージ上に現れて、観客は大きく驚いたみたいだった。そりゃそうだろう。私だって驚いている。


「何があったの?」


 小声で西脇くんに尋ねると、


「あいつらのせいだ」


 昨日の彼と同一人物とは思えないくらいの細い声が返って来た。


 シンセサイザーとスピーカーを繋ぐシールドが抜かれている。

 ステージ上にはたくさんのシールドが横たわっており、この薄暗さの中ですぐに抜かれたシールドを見つけて繋ぎなおせるかは、微妙なところだった。


 なら、仕方ない。


 私はアコースティックギターを一弦ずつ弾いた。アルペジオだ。


 箱のざわめきは、私の音に意識が向くことで少し収まった。

 それをしばらく繰り返す。


 薄暗い箱を音で満たしていく。西脇くんが顔色を変えて、マイクに手を伸ばした。


 西脇くんがさっきまで歌っていた曲だ。私のギターと西脇くんの歌声が、箱の隅々まで届いて、それ以外の音が消えた。

 誰もが音によって一つになった。




「あの子達は出禁にしてやったからね!」


 ライブの後、楽屋で私と西脇くんは木本さんからオレンジジュースをごちそうになっていた。


 どうやら、西脇くんの高校の軽音部員達のいたずららしい。

 あらゆる音を奏でるシンセサイザーも、電気が絶たれれば命取りだ。


「だから、私なら大丈夫だって」


 アコースティックギターは電気の力に頼らない。大きな会場ならマイクを付けるだろうけど、このくらいの箱なら必要ない。


「あの、本当にすみませんでした」


 西脇くんが弱弱しく木本さんに頭を下げた。


「謝るべきなのはあの子達でしょうよ」


 木本さんはあっさりそう言った。


「でも、俺達の部のごたごたをここに持ち込んでしまって」


「じゃあ、感謝しなさいよ」


「ありがとうございます」


「私じゃなくて」


 木本さんが私に微笑みかけてきた。


 西脇くんが真正面から私を見る。目を逸らしたくなるのをこらえた。


「ありがとうございました。……ええと」


「樫野です」


 何故か私まで敬語になる。


「樫野さん。ありがとうございました」


 お礼を言った声はもう弱弱しくなく、堂々としたものだった。



 西脇くんが帰った後、木本さんが私にまたオレンジジュースを飲ませた。


「あの子、実力のせいで軽音楽部で妬まれてるらしくてね。真音ちゃんにあんな態度を取ったのも……なんというか、人間不信というか」


「ああ、分かりました」


 弱弱しいよりは、ふてぶてしい方がいいだろう。


「そうだ、今度西脇くんが来るのはいつですか?」



 西脇くんはシンセサイザーを背負って、箱の隅に座っていた。


「ねえ、私とバンドを組もうよ」


 西脇くんは、驚いてはいたが、もうあんな態度は取らなかった。




 後に、あれが伝説の始まりだったんだからと、木本さんが語りだすようになるがそれはまた別の話だ。

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