箱入りのそれ

如月姫蝶

箱入りのそれ

『身代金は確かに受け取りました。よって、人質の身柄をお返しします。お迎えに行ってあげてください、どうぞ』

 あからさまにボイスチェンジャーを使用した声が、ふてぶてしく述べた。

 そして、捜査本部のモニターには、廃墟じみた景色が映し出された。

 景色の中心には、大きな箱が一つ安置されていたのである。

『大切なお子さんなんでしょう? 箱入りにしておいて差し上げましたよ。アハハハハ……』

 犯人であろう人物の音声は、癇に障る笑い声を最後に途絶えた。

「添付された位置情報によると、この映像は、ここから約二十キロの廃工場で撮影されたものと推定されます」

 オペレーターの声が、本部に集った捜査員たちに、新たな緊張をもたらした。

「直ちに、人質救出に急行せよ!」

 捜査本部長の指示に異を唱える者などいない。

 誘拐されたのは、大物政治家であり、かつては警察官僚だった人物の孫だ。

 その政治家から、金は惜しまぬから孫の命を助けてほしいと頭を下げられたことで、捜査本部は、犯行グループから求められるままに、身代金を届けることになった。

 その結果、返礼品よろしく、位置情報を添えた箱の映像が送られてきたわけだが、不透明な箱なぞ見せられただけでは、人質の無事を確認できるはずもない。

 その箱の外観は、どこか棺桶じみていた——


 裁判所ってのは、くだらねえハコモノだ。

 俺が法廷に姿を現しても、拍手ひとつ起こりやしねえ。

 バンドのライブのほうが、よっぽどマシだな。

 俺はある日、スマホを鞄ごと盗まれた。

 被害者だっつうのに、起訴されちまった。

 スマホに、子供たちを箱詰めにした写真が入ってたってだけで、誘拐だの、殺人だの、死体損壊だの……てんこ盛りの罪に問われちまったんだ。

 まったく、頭が痛いぜ。

「俺は、殺ってねえ!」

 高らかにシャウトしてやった。

 こうなりゃ、こんなハコでも、ワンマンショーだあ!

「『シュレーディンガーの猫』ってえのを知ってるかぁ? 写真の子供たちの死が確定したのは、誰かが箱を開けて、中身を観測しちまった瞬間のことなんだぜ!」

 俺は、法廷内を見回した。

 

 シュレーディンガーの猫ってのは、そこそこ有名な思考実験だ。

 猫が、箱に閉じ込められているのだ。一定の確率で、致死的な毒ガスを噴射する装置と共に。

 毒ガスは、原子崩壊なる現象に連動して噴射される。その現象が発生するかどうかは、半々の確率だ。果たして、囚われの猫の生死や如何に!?

 なんでも、猫の生死が確定するのは、箱を開けて猫を観測した瞬間だと考えるのが、量子力学ってやつの流儀らしい。箱を開けるまでは、生きた猫と死んだ猫とが、重なり合って存在してやがるんだと!


「ガキどもを殺したのは、箱を開けて中身を見ちまった誰かだ! 俺じゃねえ! 嫌なら見なけりゃいいってだけなのによ! 俺のスマホだからって、俺が撮影したとも限らねえだろうが!」

「異議あり! 幼稚な詭弁ですね」

 検事の野郎が割り込みやがった。

「殺害して、死体を損壊した後、箱に入れたという時系列なのですから、当然ながら、被害者たちの死という事象に、量子力学的な解釈の余地など存在しません!」

 うへぇ……マジレスなんて勘弁してくれ。

 俺は、バンドのオリジナル楽曲を作詞するのに、「シュレーディンガーの猫」って一言取り入れただけなんだぜ? 反論なんて思いつかねえって!


「なあ、検事さんよ。ガキを親元に送り届けたところで、そいつを人殺しとは呼ばねえよなあ?」

 俺は、話を変えることにした。

 俺がパチンと指を鳴らすと、たちまちバンドのメンバーたちが登場して、とある音声データを再生した。

『娘は、私の心の中で生きています!』

 法廷に響き渡ったのは、ガキどもの一人の母親が、テレビニュースで吐いたセリフだ。

「聞いたか!? 俺様は、街をフラフラ歩いてたガキを、母親の心の中に転送してやったんだよ! ガキは生きてる! 母親自身がそう認めてるだろうが! 俺は、殺ってねえ!」


 突如として、ジリリリ……と、アラームが鳴り響いた。

 二日酔いの時以上に頭が痛いってえのに、なんてこった!


『目が覚めたようですね』

 俺は、ぼんやりと天井を見上げた——いや、それは、天井と呼ぶにはあまりに近い。俺の顔からほんの数十センチ先が、まるで、蓋をしたように閉ざされていたのだ。

 ここはどこだ? どういう状況だ?——身じろぎしようとした俺は、自分が縛り上げられたうえに、箱のようなものの中に寝かされていることに気づいた。

 そうだ……俺は、夜道で突然、後頭部をぶん殴られたみたいな激痛に襲われた。そして、目を覚ましたらこの状態だったというわけだ。

 ついさっきまでの裁判の光景は……さては、夢だったのか?

『目を覚ましたあなたに、グッドニュースです。あなたを救出するために、既に警察が動いています。我々が身代金を要求したおかげで、営利目的の誘拐だと思い込んでいることでしょう』

 光源の存在に気づいて、俺が顔を横に向けると、そこには小さなモニターが存在していた。そして、中年と思しき女の姿が映し出されており、そいつの話し声が聞こえてくるのだった。

 なんだと!? 勝手なことを言いやがって……とシャウトしようとしたが、うまく言葉にならなかった。口に猿轡をはめられていたからだ。

 ただ、俺は、モニターの女の声に聞き覚えがあった。

『娘は、私の心の中で生きています! けれど、娘をこの手に抱くことは、もう二度と叶いません。犯人を許すことなど、絶対にできません!』——などとテレビニュースでほざいていた母親だ。

 連続幼児誘拐殺人事件——たったそれだけのことじゃねえか。大したこっちゃねえからこそ、未解決のままなんだよ!

『我が子を奪われ、警察の捜査も遅々として実を結ばない。そんな生き地獄の中で、我々は、地元の国会議員の孫にまつわる、悪い噂を聞きつけました。道楽で音楽活動をしている……そんなことは、どうだっていい。彼は——あなたは、十代の頃から、幼い子供たちへの悪戯を繰り返して、けれど、金の力や警察とのコネによって、罪を揉み消されているというではありませんか!』

 それがどうした? うちは昔から大金持ちで、爺ちゃんは元は警察官僚だったんだぜ?

てめえら虫ケラとはワケが違う、ただそれだけのことだ!

『我々は、もはや警察は頼りにできないからと、あなたのスマホを盗みました。そしてその中に、無残な我が子たちの写真を見出したのです!』

 ふん、どうだった? 俺は、死体を撮影する時には、顔を綺麗に撮るよう、心掛けてやってんだぜ?

『我々は、敵討ちのために、あなたを誘拐しました。けれど、あなたのことは、五体満足の状態で返してあげるとしましょう』

 ふん、さては、びびりやがったな? 人殺しをするほどの度胸はねえってことか……

『今あなたがいる箱の内部には、蓋を開けた瞬間、一定の確率で、致死的な毒ガスを噴射する装置が仕掛けてあります。一定の確率とは、百パーセントのことです。どうです? あなたが我々から家族を奪ったことを思えば、むしろ慈悲深いくらいの数字じゃありませんか? アハハハ……』

 女は、癇に障る笑い声を立てた。俺は、女が言った意味を理解するまでに、しばらく時間が掛かった……


 そうこうしているうちに、「警察だ!」という叫び声と、何人もが駆け寄ってくる気配が、箱の外から伝わってきた。

「やめてくれ! やめてくれ! やめてくれ!」

 俺は、猿轡をはめられた口で、必死に叫んだ。


「今、箱の中から、『メーデー、メーデー、メーデー』と聞こえました! 人質は生存、助けを求めている模様です!」

 箱の外では、捜査員たちが色めき立った。

 そして、彼らは、こぞって箱の蓋に手を掛けたのである。

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