狼王子の婚約者は克服したい〜優しい月明かりのように寄り添って〜

ろくまる

第1話

「エレナお姉様ったら本当にお可哀想♡」


 床にへたり込んでしまった私をうっとりとした目で見下ろすのは、異母妹のブリジッタ。

 お父様に似た黄金色の髪にお義母様譲りの真っ赤なバラ色の瞳。この王国で尊ばれる光の魔法を受け継ぐスポレート公爵家たる我が家で、燦然と輝くお姫様な義妹。


『本来ならブリジッタへの縁談だが、連合王国などという獣臭い国にかわいい娘はやれん。魔力も少なく魔法の使えぬお前の方が惜しくはない。あの畜生王子の嫁になれ』


 つい数分前、実の父である公爵に告げられた私の婚約。

 我が国から海を挟んだ向こうにある連合王国は多種族の住む国で、今の王様は狼の獣人。必然的にお相手である王子様も狼の獣人という事。


『そんな、私、は』

『何故獣人などという獣の血が混ざった人間とブリジッタを会わせねばならん? 我らが王も耄碌したものだ。友好関係を築く為になどとほざいていたが、我らの祖父王の代に受けた屈辱を忘れたようだ。まぁいい、お前という失敗作には丁度いい縁談だ。社交界入りを果たす前で好都合だった、そうだな?』


 冷たい光が灯る深い青の瞳。有無を言わせないその表情には侮蔑が浮かんでいて、思わず足の力が抜けてしまった。


(やっぱり、私は使えないから、要らないからそんな土地に……?)


 でもあれこれと深く考えている暇もなく、3日後の早朝に迎えが来るからそれまでに出て行く用意をしろ、と言われてしまった。

 そうして愕然とした私の様子を見ていたブリジッタがお父様とお義母様がいなくなった後に声をかけて来たのが、今。


「エレナお姉様は、犬、苦手ですものねぇ?」


 笑みを深めるブリジッタの瞳に、あの時を思い出して私は竦んだ。


 ──お母様と私は3年前、お母様のご実家である伯爵家からの帰りに事故に遭い、魔物多く棲む山奥に取り残されました。


 私は何とか麓の住民に保護していただきました。ですがお母様は中々発見されず、失踪から数日してから遺体になって見つかったものの、その体は魔物に食いちぎられた痕が痛々しく残っていたと聞いています。

 その魔物は、犬の姿をした「魔犬」と呼ばれる種族。

 お母様と身を寄せ合いながら彼らから逃げた事も覚えていますし、崖を軽く滑り落ちてしまった私に「生きて、エレナ。愛してるわ」と言って大きな音を立てながらどこかへ走り去るお母様の最後の姿も、覚えています。

 その後、獲物を執念深く追い詰める彼らに襲われなかったのはお母様のおかげだと気付き、人を食らおうとする魔物の犬の姿が目に焼きついて離れないまま、私は無害とされる小さな犬ですら怖がるようになってしまいました。

 ブリジッタはそんな私を哀れだと面白がり、周りには「魔法を扱えないダメ人間だからバカにしたっていいのよ」と嘲笑うのです。


「ふ、ふふ、あはっ! わんちゃんとぉってもこわ~いわねぇお姉様! あちらのわんわん王子様はお顔もわんちゃんなのかしら! あはは!」


 連合王国とは関わりが無いからどんな姿なのか全く分からない。

 分からないから本当にそうなのかもしれない。

 闇夜に光る目。

 太く鋭い牙。

 土を抉るような爪。

 全て、全てあの山の中で、恐るべきものだった。

 思わず、涙が出て、声がひきつる。


「ぃ、いや、いやよ……っ」

「だぁめ。お父様のご命令なのよ? それに公爵家にお姉様は要らないんだもの。そもそも家族ですらないの。ほら、お家があるだけ感謝しなさい?」


 ね? とまるで甘えるような愛らしい声色をさせながら、その柔らかな可愛らしい顔には悦に浸る獣のような、獰猛な笑みが浮かんでいます。


(ああ、人間だって、怖い生き物だわ)


 私はもう、逃げられないのだと諦めるしかありませんでした。


+ + +


 3日後。

 私はひとりの侍女と共にそれぞれトランクひとつだけを持って、王家から派遣された騎士隊と合流し港で連合王国からの船を待つ事になっています。

 今は私達が本物であるかどうか、公爵邸の玄関で騎士隊の隊長さんが魔法で戸籍の確認をしているところ。世界的に出生時に戸籍手続きをしなくてはならず、それをいかなる場合があろうと抹消してはいけません。それを行った者は重犯罪者として最悪禁錮の刑に処される為私も戸籍があります。そして我が王国では本人であるかどうかの確認が必要な場合、魔法で確認するのが通例です。


「エレナ・スポレート公爵令嬢、侍女のマルタ……確認しました。これより王国近衛騎士団第三部隊が連合王国王城までの護衛を務めます。改めまして私は隊長のニコロ、こちらは副隊長のエミリー」

「ご紹介に預かりました、エミリーです。男の多い隊ですが、言いづらい事などがありましたら私にお伝えください」


 拳をトンと胸に当てながら微笑む彼女には大きな傷跡が鼻筋を切るように走っています。ですが、力強くもしなやかな茶色の髪に夕日のようなオレンジに輝く瞳の、とても美しい人でした。

 軽い挨拶を交わしてたったふたつのトランクをお願いし、マルタがニコロさん達と確認を取っている隙に後ろから声がかかります。


「──ちょっと、朝から騒がしいわよ。まだ行ってなかったの? 随分と遅いのね」


 振り返ると普段の淡いピンクのゆったりとした可愛らしいドレスのブリジッタが不満そうに立っていました。彼女の黄金色の髪は陽の光を目一杯に受けて輝き、少し細められても大きいと分かる瞳は大輪のバラのように目を惹きます。

 対して、よく見なくては金だと分からないくらいに薄い色の髪に淡くて白っぽく見える青の瞳。

 いつも淡い色では目立たないと全員参加の場では露出の多い黒のドレスやワンピースばかり着させられていますが、今日はマルタが用意してくれたくすみのある淡い緑のワンピースなので少しは見目が良く見えるといいのですが。


「あら、王国騎士団の方が……ああ、お姉様は国王陛下からも逃げると思われてるのね? ふふ! 皆様、どうか姉が逃げないように見張ってくださいませ?」


 甘やかな声でくすくすと笑いながら、私の哀れな姿を見て満足と言わんばかりにブリジッタは部屋に帰ってしまいました。

 結局私は何も義妹に言い返せなかった。私自身が、弱いせい。


「お嬢様、エレナお嬢様」


 俯いていた私の手を優しい手が包みます。そちらを見ると、マルタが優しく微笑んでいました。


「もうあの人達に会わないくていいんですよ。さぁ、行きましょう」


 その言葉に私は驚きました。もう義妹の蔑みや義母の放置、お父様の冷遇には怯えなくてもいいのだと理解したのです。


(お母様、お父様に捨てられる私を……お許しください)

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