アポカリプスを越えて 物資受領

和泉茉樹

物資受領

 クリスティンは空を見上げていた。

 ゲノムハザードと名付けられた破局の後でも、地球の空は青い。

 あるいはいつかは変化するのかもしれないが、この空を宇宙に旅立つ前の人間も、石器時代の原人も、類人猿も、もっと前の生物もまた見ていたのかもしれない。

 耳元で雑音がする。地球は地球でも、今の地球は大気が汚染されているためにスーツを着てヘルメットを被らないといけない。雑音は誰かが呼びかけてくる兆候だった。どれだけ技術が発展してもこういう現象が起こるあたり、技術というものは不思議だ。

『クリスティン、聞こえるか』

 振り返ると、私とお揃いのスーツをまとっている男性が歩み寄ってくるところだ。

「聞こえてますよ」

『ぼけっとするな、そろそろ物資が来る。出発だ』

 今回の相棒であるところのクラインが頭上を指差す動作をする。私は手を包んでいるグローブの指先同士を触れ合わせ、ヘルメットに各種情報を表示させた。

 今日の主な仕事は大気圏外から落ちてくる補給物資を確保し、キャンプへ持ち帰ることだった。ちなみに私とクラインの二人でその任務をこなさないといけないわけではない。各キャンプから担当の者が出向いてくるのだ。

 目の前のヘルメットへの表示を見ると、物資はまだ大気圏外の中継ステーションにあると情報の上ではなっている。分離と投下の時間まではカウントダウンが表示されていて、余裕はある。

『行くぞ、クリスティン』

「了解」

 ここはキャップの一角で、すぐそばにバギーが何台も停車している。私とクラインが乗り込んだバギーは、簡素な荷台を牽引している。これで物資を引っ張ってくるのだ。

 運転席のクラインが普段の手順通り、バッテリーを確認し、非常事態のための酸素ボンベも確認する。私も同じことをした。どれだけ技術が発展してもケアレスミスがあり、二人によるダブルチェックは欠かせない。もっとも、バッテリーや酸素ボンベに問題があれば、バギーを始動した時にエラーとして簡易的な人工知能が警告してくる。

 行くぞ、という声の後、クラインがわずかに身を乗り出す。昔ながらのアクセルペダルとブレーキペダルは、スーツを着ている状態ではやや扱いづらいのだ。私も訓練兵時代、だいぶ教官に叱られた。

 走り出したバギーはキャンプを囲む柵に作られた門を抜け、形だけの道を走り始めた。元々は異常な変化を遂げた植物がはびこり、地表がほとんど覆われていたところを、一から切り開いた道だった。

 それでも道の両側からは植物が成長して迫ってくるため、頻繁に刈り取ったり焼き払ったりする必要がある。少しでも手を抜けば道などあっという間になくなってしまうだろう。それどころか、最初、道は舗装していたのだが地中から植物の芽が伸びて舗装を突き破ってしまい、今はその植物の芽を簡単に摘むために舗装する作業は中止されている。

 バギーはガタガタ揺れながら先へ進んでいく。

 周りの景色を見ているだけで、この地球での日々も面白みがある。図鑑に載っていないような植物で溢れているし、その生命力は凄まじいものがある。動物もそうだ。まぁ、動物はだいぶ危険を伴うのが現実だけど。

『おっと』

 クラインが声を漏らし、わずかにハンドルを切る。

 雑多な植物が壁のようにひしめいているところから、犬のような生物が飛び出してきたのだ。

 しかしやたら毛が長く、ついでに体長は成人の人間くらいある。

 かなりの勢いでバギーに突進してきたので、とっさにそちらを見たが、クラインがハンドルのスイッチを複雑に押すのが視野の端で見えた。

 犬はバギーにぶつかる寸前、弾けた電光に甲高い悲鳴をあげ、跳ね飛ばされた。

 少しもスピードを緩めないバギーの助手席で背後を見ると、犬は体を引きずるようにしてこちらを追う姿勢だが、体に力が入らないようだった。バギーに搭載の電気銃はなかなかな威力がある。

『犬を飼っていた時代があるとは、信じられないな』

 忌々しげなクラインの言葉に付き合うことにした。

「犬を飼っていた時代ははるかに長いらしいですよ。それこそ、二千年くらい前からってどこかの資料で読みました」

『昔の犬はさぞ可愛かったんだろうよ。さっきの犬を飼いたいと思うか?』

「三〇〇年前の犬はあそこまで大きくないはずです。でも、さっきの犬を飼うのは有望かもしれませんよ」

 なんだって? とクラインがこちらを見た。

「犬を飼うのもいい、って言ったんです。あれも犬なら、人間に懐くかもしれないじゃないですか。それで小さな動物の駆除をやらせるんです。名案じゃないですか?」

『あのなぁ』

 クラインが呆れたように返事をした。

『あんなものをどうやって世話する? 襲われたらどうする? 首輪をはめてリードで繋いでおくのか? 鎖だろうと引きちぎっちまうだろう。それに餌はどこから調達する? デメリットばかりじゃないか』

 そうですけどねぇ、と私は思わず反論していた。

「犬を飼うのが、文化的な生活だと思いませんか。移民船には犬なんていなかったわけですし」

『冗談はそれくらいにしておけ。荷物が分離された』

 私は指先の操作で、目の前に必要な情報をアップした。確かに物資は中継ステーションを離れている。降下予想地点が観測衛星と観測基地の各種情報から導き出されている。計画の変更はなさそうだ。

 私はナビゲーションシステムを起動し、現在地を確認した。

 予定時間まで、あと二時間だ。


       ◆


 荷物を受け取る場所は植物が排除され、円形に開けた広場である。

 外周に沿うように四台、巨大な装置が設置されている。頑丈そうな基礎部分の上に、大砲のようなものが据え付けられていた。しかし人が近づく余地はない。基礎部分だけで二メートルの高さがあった。

 広場には先客がいてバギーが三台ほど止まっていた。私とクラインのバギーが四台目で、できるだけ広場の端に停車して、二人で降りた。

 広場の一角に不自然に盛り上がったところがあり、地面に穴が空いているように見えるのがその掩蔽壕の入口だった。

 物資を受け取るのにも様々な、大げさすぎるものが必要なことだ、とここに来るといつも思う。

 クラインと掩蔽壕に入るとそこには十人ほどがめいめいに立ち話をしている光景があり、そこに私とクラインが踏み込んでも、まだスペースには余裕があった。

 幾人かがこちらに気づき、さっと身振りで挨拶してくるので、こちらも手を掲げる。クラインがすぐにそこらの男たちとの会話に加わっていく。

 私は壁の一面に埋め込まれたディスプレイを前に席についている支援要員のそばに近づいた。

 ディスプレイにはカウントダウンが大写しになっている。物資はすでに降下軌道に乗り、間も無く大気圏へ突っ込んでくるところだった。もちろん、そういう図が表示されているだけで、実際の映像が映っているわけではない。それは無駄ということだ。

 支援要員が私に気づき、ヘルメットの奥で微笑んだのが見えた。女性なのだ。地球上では女性はまだ珍しい。

 耳元でノイズ、通信がつながる。

『久しぶり、クリスティン。お使い、ご苦労様』

「レイこそ、ご苦労様。草刈りはどう?」

『高温のガスを使った熱線草刈機は超順調。コストがかかり過ぎるけど、大抵の植物は切断できるから』

 支援要員のレイが冗談めかして言うが、彼女の仕事はここでの物資を受け取る支援業務と、この広場の保守管理だった。地上ではどこもかしこも植物が大繁殖しているので、どこに行っても「草刈り」の業務が課せられる。私だってキャンプでは当番制で草刈りをしていた。

 ディスプレイの一つに準備態勢をとるようにという指示の表示が出た。どこからの指示かといえば、システムを管理している人工知能からだ。この支援型人工知能は様々なものに搭載され、人工知能同士の間にも上下関係がある。指揮系統のようなものだが、一部はかなり複雑だ。人間でも専門外だと咄嗟にはどの人工知能に優先権があるか、わからなかったりする。

 ともかく、物資はもう大気圏に突入し、私たちの元へ落ちてくるのだ。

 レイが「集中するから黙っててね」とやっぱり冗談口調で言うので、私は指で「オーケー」のサインをしておく。古のハンドサインは地球に降下している人間の間で流行っていた。わざわざ通信を介して会話するより早く済むし、何よりクールということだ。

 ディスプレイのカウントダウンは続行。いつの間にか掩蔽壕の中にいる大半のものがディスプレイに集中していた。

 ディスプレイの表示が目まぐるしく変化し、いよいよ実際の映像が一枚に映された。

 見えたのは球形の物体だ。

 と思った次にはその外装が剥がれて吹っ飛んだ。

 現れたのは立方体、正六面体のコンテナで、勢いよく落下傘が広がったかと思うと急減速した。一瞬だけカメラの追尾が外れて画面から消えるが、補正されるとコンテナは小さなノズルから時折、火を噴きながら落ちてくる。

 ディスプレイのマップをチェック。コンテナは風に流されるようでもなく、私たちがいる方へゆっくりと近づいてくる。そもそもからして降下軌道が高精度で計算されていることもあるが、地球の大気圏の不規則さを考えれば、なかなかな離れ業である。

 コンテナの位置と広場が重なろうかというところで、レイが仕事を始めた。

 彼女の前にある端末に付属のグリップを握りこむ。そのグリップは銃のグリップそっくりだが、銃身にあたる部分はない。引き金がいくつもついているのが特徴的だ。

 レイがぐっとディスプレイに身を乗り出す。

 いつの間にかカウントダウンはゼロを過ぎ、マイナスになっている。

 その時、レイが引き金を引いた。

 かすかな音ともに足元が震え、天井から塵がハラハラと少しだけ落ちてきた。

 レイが座席の背もたれに体を預け、それでもグリップを操作する。その彼女から通信が掩蔽壕の中の全員に向けられた。

『荷物は無事に到着よ。さ、皆さん、外へどうぞ』

 ガヤガヤと、しかしヘルメットのせいで音が聞こえない不思議な騒がしさで全員が外へ出る。

 私も出てみると、真っ先に地面に広がっている落下傘が見て取れた。

 その向こうではコンテナが出現しているが、そのコンテナには四つのワイヤーが伸びて、そのワイヤーは例の巨大な基礎の上にある大砲につながっていた。

 巨大な大砲はコンテナを受け取る止めるための装置だった。レイ一人で操作しているとはいえ、これも離れ業だ。大砲から発射された電磁石付きのワイヤーは四方向からコンテナに張り付き、あとはコンテナ付属のノズルと連携してワイヤーを張ることで広場の中央にコンテナを誘導する。

 そんなことをしなくてもいい気がするが、コンテナが風に流されるままに異常な植物の上に落ちたりすると、かなりの困難が生じる。まず引っ張り出すことさえ容易ではない。地球への降下作戦の初期段階ではコンテナの受領に難渋し、様々な対策がとられ、今も模索されていた。

 初期段階での困難を考えれば、現状の大砲によるコンテナの捕獲はちょっとした無駄、許容できる無駄なのかもしれない。

 電磁石がコンテナから外れ、ワイヤーが巻き取られた後に私たちが満を持してコンテナに群がり、落下傘を剥いで畳むグループと、コンテナの枠に据え付けられている姿勢制御ノズルを分解して回収するグループに分かれて作業した。

 落下傘とノズルその他は広場の端に設置されている専用の小さなコンテナに収められる。それがまた宇宙へ戻され、再利用される。コンテナを包んでいた球形の耐熱カプセルも回収されるが、それはまた別の部隊が受け持つ仕組みだった。

 広場の真ん中での作業の全てが片付くと、いよいよコンテナが開放される。

 中に入っているのも小さな箱で、キャンプに割り振られている識別番号が宛名として書かれているので、やっぱり全員で協力してコンテナを空にしてから、助け合って分配した。

 私とクラインのバギーが牽いてきた荷台にも、二人で運ぶ程度の荷箱が十二箱ほど積み込まれた。原始的にワイヤーで固定しておく。

 誰からともなく別れの言葉を交わし、それぞれのキャンプへ散っていくことになる。

 クラインが知り合いらしい男性としばらく話し込んでいたので、私はレイと話ができた。彼女も荷物のバラシを手伝っていたのだ。

『あなた、ちゃんとお母さんに連絡している?』

「してない。そういうレイは? しているの?」

『私がするわけないでしょう。両親の反対を無視して地球にいるんだから』

 移民船は今も地球の軌道上を回り続けている。拡張を続けながらもだいぶ老朽化しているけど、一部の人間はそここそを安全地帯と信じる向きがあった。間違った発想ではないけれど、私はちょっと違う発想があった。

 移民船はいつか、使えなくなる。近い未来か遠い未来かはわからないが、間違い無く使えなくなる。

 なら地上に住処を作った方が現実的なのではないか。

 もっとも、地上の動植物をどうにかして、大気もどうにかして、食料の生産もどうにかしないといけない。

 はっきり言って、気が遠くなるような果てしない作業だ。

 でもそれはするだけの価値がある。

 クラインが身振りで私を呼んだので、ハンドサインで返事をしてレイに別れを告げた。

『またね、クリスティン』

「また、レイ」

 何気なく握手するけど、やっとグローブをはめたままでの握手にも慣れてきた。

 バギーへ戻ると既にクラインが始動させていた。癖になった動きで、バッテリーと酸素をチェク。問題なし。

 行くぞ、と短く言ってクラインがやっぱり身を乗り出し、そして素早くハンドルを切った。バギーが旋回して、広場から元来た道へ進む。

「クラインさんはご家族に連絡していますか?」

 少し走ったところで、私は興味本位で運転席の男性に聞いてみた。彼は首を捻ってこちらを見てから、唸るように言った。

『そういうことをする人間に見えるか?』

「うぅーん、答えづらいですね」

『答えづらいような男が家族にメールしたり通話したりするわけはないな。無駄なことを聞くな』

 分からないじゃないですかぁ、と思わず応じたけど、我ながら苦しい返答だったし、クラインももう返事をしなかった。

 バギーはひたすら走っていく。

 運んでいる箱の中にはキャンプで必要な物資の他にも、私的な誰かへの手紙や贈り物も含まれているはずだ。

 たまには母親にメールでも送ろうか、と思ったが、どうせ険悪な雰囲気になるだろうと私はすぐに諦めた。

 人のことは言えないな、と考えながらバギーの外、頭上に広がる空を何気なく見ていた。

 この光景を共有できれば理解しあえるかも、なんて夢想的なことを思う自分がどこか滑稽で、私は前に視線を向け直した。

 道はまっすぐ続いている。

 終点はまだまだ見えなかった。



(了)

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