亡霊の痕跡
ボウガ
第1話
私はふさぎ込んでいた。
「そんなんじゃいつまでたっても、母さんだって苦労したままだぞ」
子供っぽくて、いつも父に甘えて頼ってばかりの母。いつも一緒にいるのに、何の便りにもならない。将来のことも成績のことも、友達関係のことも、相談しても何の役にもたたないし自分の話ばかりする。まるで子供がそのまま大人になったような人だ。
「……」
キッチンで家事をしている母をみた。ガチャン!!と音がして、父がびっくりした。
「またか……」
母は家事ができない。またこちらをみて笑った。高校生の私を頼るなんて。
家事の続きというより、ほとんどをやりながら、私は母を横目にみる。最近母は私のことをまじまじとみていることが多くなった。お茶菓子をもってきたり、トイレの前で私の様子をみていたり、ひどいときは寝ているときまで部屋をあけたりする。私が兄を失って悲しんでいるのを心配しているのはわかるけど、少し過剰なのだ。
そうだ。私には……兄がいた。とても大事な兄、性格も、能力も家の誰よりも優れていた。まるで聖人君子みたいな人で、良い友達や彼氏候補も紹介してくれる。誰もが彼をたよった。けれど一年前、事故で他界した。家族みんなで言った旅行で、楽しいさなかに横からトラックに突っ込まれて、大惨事だった。
母と私は大けがをおった。病室でも、母とは喧嘩ばかりしていて、結局部屋をかえられたが、母は頻繁に私のところにきて様子をみていた。どうせ喧嘩になるのに。
あるときひどく疲れていて、またキッチンで大きな音がして食器がわれた。私は疲れのあまり叫んだ。
「いいかげんにしてよ、どうしてお兄ちゃんじゃなくて、お母さんがいなくなってくれなかったの!!」
自分でもどうかしているとおもった。でも最近の母は無理やり私を元気付け用として自分につきまとい、それが私をさらにいらつかせていた。別に元気がなくてもいいじゃないか、私はあなたに励まされることなどないのだから。どうせ気が合わない者同士、反発し続けるのだから、一定の距離がほしかった。
父は深いため息をついた。その場をぴりつかせるような、深い深いため息だった。みると、自分の足元に割れたグラスが転がっていた。今しがた自分が洗っていたものだった。
「母さんの怪現象だけじゃなくて、お前まで物を落とすなんて……」
父はグラスを片付けはじめた。
「まあ、無理をするな……二人が死んだことがつらいのはわかるけど、母さんうかばれないぞ、へたくそだったけどへたくそなりに手伝いにきていたんだ、幽霊になってな」
父は片付けが終わると、席にすわり、目線をあわせずこちらをちらりとみたあと新聞に目をむきなおす。そんな父の目は腫れていて、目にクマがあった。
ふと、数か月前のことを思い出した。父と大喧嘩をしたのだった。
「お母さん、私がやるから」
「お母さん、開けっ放しにしないで」
「お母さん、わらってごまかさないで」
父の目から見れば、ひどく奇妙だったろう。私はずっと一人でしゃべっていたのだから。そう、父はある時私を叱った。ちょうどいまの私みたいに。
「いい加減にしてくれ!!私を元気づけようとしているのだろうが不愉快だ!!」
父は、うっすら涙をうかべていた。新聞をよみながら机をたたいた。私は、朝だったこともあり、父の気持ちを最大限くみとろうとした。人と喧嘩したまま、気持ちを強くぶつけたまま会社にいくのはつらいだろう。
「お父さん……何をいっているの?お母さんここにいるじゃない、どうして?私が強くあたるから驚いたの?」
父は私の異常を察してはっと目を大きくあけて、それから私をだきしめた。
「すまない、お前にとっても、母さんは大事な人だったんだよな」
その時、そして今思い出した。私は兄と母の死がうけいれず、母の幻覚をみていたのだろう。だが父はすべてを受け入れていた。そして、母はきっと幽霊だっただろう。物が動く、皿が割れる、奇怪な音がする。これまでずっと父はそのことに耐え、そしておかしくなった私を支え続けてくれていたのだ。
「お父さん……ごめん、二人とも……あの事故で」
父はすべてを察知して、新聞をたたみ私を席につかせると
「大丈夫だ、またやりなおそう」
そういってにっこり笑った。とてもつよく優しいまなざしだった。
それからしばらく、学校が終わると母の墓にたちより、お墓の前で唱え続けた。一週間もするとどこからかふんわりとした感覚を感じるようになり、母がいるかもしれないと感じられるようになった。それから三日後、ちょうど母が好きだったイチゴのショートケーキを供え、それをどうやって持ち帰ろうか考えあぐねていると、背後でいたずらっぽい声がした。
「ユー食べちゃいなよ」
振り返ると確かに母のぬくもりを感じた。だが、以前とくらべてはっきりとした像はなく、ぼんやりとした輪郭だけがそこにたっていて、そしていった。
「ごめんね、お母さん……」
私は涙を流した。
「いいのよ、死んでわかったわ、お兄ちゃんはすぐに天国にいった、“後悔”がなかったから、でも私は違った、子供っぽくていい母親じゃなかったけど、あなたのことを愛していたわ……これで仲直りできるなら、あなたに素直になれなかったこと、それが“後悔”だったから」
私は膝から崩れ落ちて泣いていた。こんなことになる前に母の愛にも、自分の母に対する愛にも、気づけなかったことに。
亡霊の痕跡 ボウガ @yumieimaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます