悪党選手権

森本 晃次

第1話 発掘調査

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。


 K市の中心部の少し右上に当たるところに、小高い丘のようなところがある。このあたりには、

「昔から遺跡も発掘されている」

 ということもあってか、遺跡の近くには、マンションを建てることもできず、もちろん、文化財を傷つけることもできないということで、大学からの発掘調査団が、

「人海戦術」

 ということで、発掘に勤しんでいた。

 だから、このあたりには、あまり騒音もない。

 そもそも、このあたりが遺跡が出たというのは、今から30年くらい前だっただろうか。

 その時代はまだ、マンションの建設ラッシュであり、至るところで、重機を動かす音が鳴り響き、ダンプなどが、絶えず出入りしているところであった。

 最初は、このあたりも、

「マンション建設予定地」

 ということで、開発の最先端となるはずだった。

 しかし、住宅の前に、学校や官庁の一部を移すという計画があったことで、土地の売却予定と、地質調査とを同時に行っていた関係で、

「まさか遺跡が見つかるか?」

 などということで、自治体、学術調査の面々もビックリしていた。

 そもそも、このあたりは、江戸時代よりも前は、

「海だった」

 と言われていた地域だった。

 海だったということは、それまでの、

「信頼がおける一級の歴史書」

 と呼ばれるものに明記されていたことで、

「ほぼ間違いないだろう」

 と言われていたのを、まるで、裏を返したような発見があったということは、学術う調査団や、考古学者に衝撃を与えた。

 全国から学術調査団がやってきて。もちろん、まだ、勝手に掘り返したりはできないが、

「せめて、どういう地質から、どのようなものが出土したのか?」

 ということを確認しにやってきたのだった。

 考古学者や学術調査隊であれば、文科省の許可があれば、それくらいはできるだろう。彼らにとって、

「これからの研究に役立てたい」

 という思いが、そうさせるのだろう。

 ただ、その、

「遺跡出土ブーム」

 のような一過性のものであった。

 なぜなら、

「遺跡が出た」

 ということで騒ぐのは、学術研究者くらいのもので、それ以外の人は、ただの、

「蚊帳の外」

 だったのである。

 しかし、それでも、学術調査や考古学者といっても、一時に全国から集まってくるのだから、近くのビジネスホテルは、結構満員だったということだ。

「市の中心部にある、アリーナのようなところで年に何度か、有名アーチストがライブをやるらしいが、その時の賑わいと、それほど変わらない」

 ということであった。

 一時期のブームということで、まるで祭りのようなものだが、今回の、

「発掘ブーム」

 で全国から人が押し寄せたおかげで、喫茶店などが、お弁当を造り、発掘作業場の近くにワゴン車を止めて、

「出張お弁当売り場」

 を開設したり、

「近くのお弁当屋が、無料で配達までしてくれる」

 などと言ったサービスがあるおかげで、活気が出てきたようだ。

 そういう意味では、ワゴン車での、

「出張弁当提供サービス」

 のような形は、活性化には、一役買っていたことだろう。

 というのも、この発掘ブームが起こるまで、K市というのは、

「尊属の危機」

 に見舞われていた。

 というのも、当時というのは、

「バブルが弾けてから、建設ラッシュとして計画された場所が、計画半ばで、放りだされた」

 という雰囲気になっていたのだ。

 下手をすれば、重機がそのまま放置されているだけならいいが、作業途中のそのままで中途半端に、何もできないという状況になると、

「動くに動けず、しかも、土地に何かあったら、誰がどう責任を取るというのだ」

 ということであった。

 そのためには、その資金を誰が出すかということになり、そう簡単に動ける人はいなかっただろう。

 もし、動ける状態であっても、

「動いてしまった、自分だけがバチをかぶる状態になってしまえば、一体、何をどうすればいいというのか?」

 ということになってしまう。

 それを考えると、誰にどんな文句を言っていいのか、なぜならそんな状況は、全国の至るところで、普段見られる平素な風景なのであった。

 遺跡の発掘を行うのは、地元の大学の研究チームが中心となってのことだった。研究チームに、雇われたアルバイトなどが行うのだが、一応、期間も設定された、どれくらいの期間、発掘に要するかというのは、本当は分からない。しかし、期間を区切っておかないと、近隣の住民との問題、学校などの関係もあって、

「闇雲に」

 というわけにはいかないのだろう。

 それを考えると、最初に計画する、企画の仕事は重要になってくる。

 これは、もちろん、発掘だけにいえることではなく、他の大きな問題に関しても関わってくることであって、

「最初が肝心」

 ということであろう。

「これから、いろいろな調査をするための、さらなる調査」

 ということで、おかしな言い回しであるが、その状態は、明らかに、間違ったことではない。

 十分な調査をしておかないと、地質の問題などもあり、調査を行う面々が、学生であったり、アルバイトという、いわゆる、

「発掘のプロ」

 というわけではない。

 もし、これがマンションや住宅を建てるということであれば、それが、

「今後数十年にわたっての安全性」

 ということを考えると、いい加減な建設が許されるわけはない。

 当然、耐震構造などにも対応した地質調査なども十分に行われる。何しろ、建設に当たっては、それだけのお金を貰っているからだ。

 土地を持っている方、つまり地主であったり、地主から土地を買って、区画整理を行うことで、

「住宅予定地」

 として定めた自治体などが、中心になって、建設会社へと金を払って建てるのだから、当然、

「手抜き工事」

 などあってはならない。

 ただ、昔から建設関係というのは、

「ゼネコン」

 などが中心となり、そこからいろいろな建築部門やら、内装部門などに、下請けさせることで、成り立っているので、よほどしっかりとしていないとなかなか難しくなる。

 特に、昨今では、

「阪神大震災」

 からこっち、耐震構造にはうるさく言われるようになり、それでも、普段地震がない地域で、普段はないと思われた地震などが発生すると、意外ともろくブロック塀などが崩れ去ることがあり、たまたま、

「横を歩いていた人が下敷きになって、ケガをした」

 などと言われるようになると、その影響で、その場所はもちろん、近くも耐震構造などを調べてみると、

「出るわ出るわ、手抜き工事」

 ということで、

「耐震構造が厳しくなる前からの基準にすら至っていない」

 という体たらくが、行われているということも、ざらであった。

 要するに、

「税金の無駄遣い」

 ということは日常茶飯事であり、そもそもの基本である、地質調査すら、ロクに行われていなかったなどということも結構あったりする。

「土台が悪かったのだから、仕方ない」

 などという人もいるかも知れないが、それは、考え方によっては、

「手抜き工事」

 よりもたちが悪い。

 手抜き工事であれば、最悪建て直せばまだ何とかなるが、そもそも、建物がもたないところに建てたのであれば、まったく最初からやり直しということになる。

 これは、

「本末転倒」

 などという、当たり前の一言で許されるなどということのないものなのであろう。

 それが、まずは、問題だった。

 このあたりの発掘作業が始まったのは、2年くらい前からだっただろうか? ずっと毎日のように発掘作業をしているわけではなかったのは、出土したものがある程度集まったら、

「その研究を研究室で分析するという作業が入るからだ」

 ということを聞いたことがあったが、それが本当なのかどうなのか、自分にはwからなかった。

 その間には、アルバイトの人たちは、順次入れ替わっているということだろう。学生であれば、卒業、就活に忙しくなり、新たな道に進んでいくというのは当たり前のことであった。

 このあたりは、発掘現場ということもあるが、

「山の麓の不便な場所」

 というわけではなかった。

 なるほど、マンションや住宅地の分譲の計画を立てていた場所ということで、まわりには、まだ目立った建物は乱立していないが、この2年間の間で、かなりの店や公共機関が出来上がっていった。

 学校であったり、郵便局、警察、消防などと言ったものも、結構できてきて、街というものが形成される過程となっているのは、間違いのないことであった。

 そして、最近では、大型商業施設がもうすぐ開業予定ということもあり、このあたりの光景は、

「今とはまったく変わってしまうのではないか?」

 と言われるようになっていった。

 大型商業施設というと、基本的に本丸とでもいうような、メインの建物があり、そこで、スーパーであったり、ブティックや、家電量販店などと言った店がテナントとして入っていて、その近くには、大型ゲームセンターを中心とした、ボーリング場を装備したような、

「大型レジャーセンター」

 が運営されることになるだろう。

 そして、忘れてはいけないのが、

「客のほとんどは、車でやってくる」

 ということである。

 もちろん、最寄駅からは、ピストンバスなどを使ってやってくる人もいるだろうが、大半は、自家用車で来ることになる。

 そうなると、開店前あたりから、たくさんの車が駐車場を目指して列をなすことになるだろう。

 それを思うと、駐車場も、かなり大きなものでなければいけなくなる。

 建物の屋上を駐車場にして、さらに、地下も駐車場を作ったとしても、当然足りるわけもなく、建物のまわりに、かなりの広さを有する駐車場も完備させる必要がある。

 人間の心理として、

「1階で買い物をしたら、階を移動したくない」

 というのが、当然で、カーゴ車がそれなりに広いので、エレベーターでの移動は、人が混んでくると、かなり厄介になってくる。

 だから、普通は、

「1階の駐車場を利用しようと思うだろうから、それだけ、広い土地というものが必要になってくる」

 といってもいいだろう。

 そんな状態でも、ここに来るまでの道の広さにも限界がある。開店当日から、1カ月くらいは、ほとんど、車が満車の状態が続くというのも、無理もないことではないかと思うのだった。

 発掘の人から見れば、

「商業施設までは距離があるから、そんなに気にすることはないだろう?」

 と思っているかも知れないが、

「来る時は、まだ店が相手いないだろうから、通勤ラッシュだけを気にしていればいいが、夕方の帰りは、商業施設に来る人とかち合う可能性は十分にある」

 ということを、どこまで考えているかということである。

 若い人たちには、そこまでの意識はないだろうから、仕事が終わってからの、ラッシュが、

「今でもきついのに、これ以上ともなると、結構きついものになるのではないだろうか?」

 ということを考えてしまうのだった。

 だが、若い連中の中には、

「帰りに、ショッピングセンターを覗くのも、楽しいものだ」

 と思っている人が若干名いるのも、事実だったようだ。

 ショッピングセンターは、とりあえずは、まだ開業していない状態で、発掘作業も、一段落した感じだった。

 だが、実際には、

「まだまだ、このあたりには、発掘すべきものがたくさん埋まっている」

 ということで、一応、今は発掘をしていないのだが、いずれ発掘の調整を行うということになり、一旦、発掘現場は、

「閉鎖」

 ということになったのだ。

 そのうちに、学校も生徒が増えていき、近くの住宅街にも人が増えてきたことで、結構賑やかになってきた。

 バス路線も充実してきて、

「郊外のベッドタウン」

 という様相を呈してきたといってもいいだろう。

 そんな街の中心は、やはり、今のところは学校なのではないだろうか。

 特に、このあたりの住宅に住んでいる人は、子供が小学生の高学年から、中学高校という人が多く、当然、学校が充実してくるのは当たり前のことだった。

 このあたりには、小学校が2つ、中学が一つ、そして、高校が一つあるという感じである。

 元々、K市というと、人口も多いところなので、他の地区にも学校が結構あったのだが、一時期、膨れ上がりすぎて、

「新しく小学校を作る必要がある」

 と言われ出してきているが、そのために、中学校も、同時に作るということになれば、それだけの需要のためには、

「さらに人口を増やす必要がある」

 ということから、このあたりの開発計画が始まったのだ。

 だが、今さらというべき、

「社会問題」

 として、大きな問題となっていることとして、

「少子高齢化問題」

 というのがある。

 だから、前であれば、どんどん人口が増えてきていたのだが、今はそれほど、子供の数がいるわけではない。

 そのために、

「学校を作っても、しょうがない」

 と言われるようになってきて、他の市町村では、

「合併して、吸収された学校は、廃校にする」

 ということが続いているようだ。

 そういう意味で、K市でも、

「新たな住宅を作っても、どこまで需要があるだろうか?」

 ということが言われ始めて、それを考えると、

「時代の流れを読み間違えた?」

 と言われている中で、

 それこそ、時代をさかのぼって遺跡が出てきたことで、

「発掘調査」

 という状況になってきたのは、何か皮肉なことだったようだ。

 それでも、出てきた発掘資料は、学術的にも大切なもののようで、今では、全国の考古学者の、

「注目の的だ」

 ということになっているのだという。

 それを考えると、

「発掘調査というものが、なぜに大切なことなのかということを、もう少し学生時代に勉強しておけばよかったな」

 と思っている人は結構いるだろう。

 それを思うと、今の発掘調査団というのが、まるで、

「幼稚園児の砂場遊び」

 であるかのように見えて、それだけ自分の発想が子供じみているものなのかと思っている人も、意外といるのかも知れない。

 今の時代にはなかなかいないであろう、

「頑固おやじ」

 なる人種も、実は一定数いたりするのだ。

 昔の頑固おやじというと、

「よくマンガなどに出てきたような人で、いつも和服を着ていて、趣味といえば、庭で、盆栽いじりというものをやっている人たち」

 そして、

「縁側で、本を読みながら、一人で囲碁を打っている」

 というような姿が思い浮べられる。

 そして、空き地の近くに家があり、子供たちが野球をしていて、ホームランとなったところに、その家があることで、

「よくガラスが割られている」

 というような構図が見られる。

 そんな光景を見ていると、

「いかにも、昭和」

 というものを思わせる。

 今では考えられないような光景が、あまりにも多いではないか。

 特に、

「そんな野球ができるような公園が、今のどこにある」

 というのか?

 実際に、空き地などというものは、どこにもない。昔は空き地が児童公園の代わりになっていたが、よくマンガで見かけるものに、

「土管」

 というものがある。

 三つほど積み重ねられているところで、よく、そこに入ってかくれんぼをしている姿があったのを思い出すのだった。

 そんな土管も、今はほとんど見ることもない。

「土管って、何ですか?」

 と言われるのが関の山であろう。

 さらに、頑固爺さんなるものも、まずいなくなった。

 昔のように、

「こらー」

 などといって子供を追いかけまわしったりすれば、すぐに、父兄や警察がやってくることになるだろう。

 それに昔のような、

「庭つきの家」

 などというのは、日本家屋の家で、残っているところなど、ほとんどないに違いない。

 実際には、

「老朽化」

 してしまい、今の時代のような、

「異常気象」

 で、耐えていくのは、難しくなっていて、建て替えを余儀なくされる家も少なくないことだろう。

 実際に、建て直した家屋も、次第に、まわりにマンションなどが建ち並ぶことで、都心部では、一軒家の姿も見なくなる。

 子供や孫は、独立して、マンション住まいが当たり前のようになっていて、

「今の時代では、昭和のような光景は、まず見られない」

 といってもいいだろう。

 だが、年寄りの中には、そんな昔の光景を、今でもよく夢に見る人もいたりする。

「もう、60歳を過ぎているのに、最近になってよく見る夢というのは、昭和の頃、しかも、自分が小さかった頃の、まだ、舗装されていない道が多かった時代の、垣根だったり、庭の盆栽だったりする」

 と思っている人がいる。

 年齢的には、まだまだ60歳を超えたくらいなので、

「そんなに老け込む年ではない」

 と言われるのだろうが、最近では、そんな思いが募っているとでもいえばいいのか、

「10年くらい前の記憶よりも、子供の頃の記憶の方が近い気がする」

 という、

「明らかに錯覚だ」

 と思うようなことが普通にあったりするのだった。

「記憶が時系列になっていないということが、果たして、錯覚だといえることなのかどうか、自分でもハッキリと分からない」

 と感じていたのだった。

「年を取ると、子供に戻る」

 などという話をよく聞く。

 確かに大人になると、老化現象が早まってくる。実際に身体が自分の想像以上に動かなくなるのは、50歳を超えてくらいなのかも知れないが、

「肉体的な老化というのは、25歳くらいから始まっている」

 と言われているではないか。

 そのことで思い当たることがあった。

「20代までの頃に比べて、30代というのは、かなり早く感じられる。そして40代になるとさらに早い」

 という話であった。

 いろいろな要因が考えられるだろう。

 若いうちは、

「何でもできる」

 という思いはあるが、若さゆえに、何をしていいのか分からないという考えから、実際に行動することを怖がっていたりするものであった。

 それに、

「何でもできる」

 という考えは、その言葉の上に、

「いつだって」

 という言葉がついてくるだろう。

 いつだってできると思うと、そこに甘えができて、

「できる時にやらなければ」

 という気持ちはほとんどないといってもいい。

 だからこそ、

「いつだって」

 という言葉がつくのだが、老人の戒めとして、

「できるということと、やるということは違う。できることでも、やろうという気力がなければ、いつだってできるという考えは、いつであってもできないといえるのだ」

 ということがいわれるだろう。

 しかし、若いとその言葉の意味が分からない。

 年を取ると、若かりし頃の自分を顧みて、そう考えるのだろうが、それを信用しない人も結構いるのだ。

 なぜなのかと考えた時、一つ考えられることとして、

「子供が親になった時」

 というものを感じた時ではないだろうか?

 この思いは、子供の頃に培われたものではないだろうか?

 というのは、子供の頃、よく親から叱られていたという思いがあるからで、

「勉強しなさい」

「お手伝いしなさい」

 などと、教育という名目で、子供にあれこれ、指示をしているのだろうが、子供としては叱りつけられているとしか思えない。

「親だって、子供の頃があっただろうに」

 と考えると、親が子供を叱りつけているのを見ると、

「実に他人事で、ヒステリックに見える」

 つまりは、親である自分たちが、子供を、

「教育する」

 という名目で、説教しているようには思えない。

 それよりも、

「自分の世間体を重んじて、子供に恥ずかしいことをされたくない」

 という、

「自己中心的な考え」

 それが、

「脈々と続いてきた先祖からの考えだとして、子供である自分には分かる」

 と思うと、そのあざとさに腹が立ち、自分だって子供の頃、親の理不尽さに苛立っていて、たぶん、自分は、

「あんな大人にはなりたくない」

 ということを考えたに違いない。

 と言えるのではないだろうか?

 それを自分が大人になり、子供を持ち、自分が親という立場になる間に、忘れてしまったということなのか、実に嘆かわしいことである。

 そんな大人になると、今度は、子供の頃のことを、どんどん忘れて行ってしまう。

 しかし、これは人が行っていた話だったのだが、

「ある程度の年齢に達すると、子供の頃のことを、急に思い出すんだ。それも、それまでほとんど思い出したことがないのにだよ。そして、その時になって、思い出した子供の頃のことが、まるで昨日のことのように思い出してしまうと、それを毎日のように思い出すようになる」

 というのだった。

「毎日のように?」

 と聞くと、

「ああ、そうだよ。しかも、いつも同じくらいの時間なんだ。そんな記憶の繰り返しがほぼ、同じ時間に起こるようになると、毎日があっという間に過ぎるようになるんだよ」

 と言われた。

 その人はさらに続ける。

「毎日が早く感じられるというのは、思い出す時間が一定なだけであって、実際にその時に思い出しているわけではなく、実はこの記憶は、夢の中だったということを思い出すんだよ。夢の中というのは、実際には、同じ夢を見ることはないと思いながらも、毎回同じことを見ておきながら、実際には、同じ夢は見ないという感覚になることが、夢を錯覚だと思わせるのかも知れないと感じさせるんだ」

 というのだった。

 要するに、その人がいうには、

「眠りに就いて、いつも見ているわけではないと思っているのは錯覚であり、実際には、毎回見ていて、目が覚める瞬間が近づくたびに、次第に忘れて言っているのではないだろうか?」

 ということであった。

 眠りというものをあまり深く考えたことなど、普通はないだろう。

 たまに感じることがあったとしても、それはすぐに忘れてしまう。それだけ人間というものは、一つのことに集中できるものではなく、

「古い記憶は忘れていくものだ」

 と考えていた。

 しかし、実際には、そこまで単純なものではない。

 しかし、そうは思っても、

「親が子供の頃のことを棚に上げて、子供を怒るというのも、自分が子供の頃のことを忘れてしまうからではないか?」

 と思えてならない。

 親に対しての、

「失望」

 であり、さらに、大人になることに対しての、

「諦めの境地」

 のようなものがあるからなのかも知れない。

 だから、

「夢だって、そう何度も見るものではない」

 と思えた。

「そこまでたくさんの引き出しはない」

 という思いと、

「記憶を保つにも、限界がある」

 ということで、

「記憶は、次第に古い方から消え去っていくものだ」

 という感覚があるからだった。

 しかし、大人にあるうちに、

「夢という引き出しは、次第に膨れ上がっていくものなのかも知れない」

 と感じるようになった。

「覚えていない」

 というのは、見たということが確定したうえで感じていることであって、確か最初の頃は、

「夢など、見ていない」

 という感覚に陥ったからだった。

 それを思えば、年を取って思い出すのは、記憶の奥に格納されているからであって、その格納は曖昧なもので、

「決して、時系列に沿ったものではない」

 と思うと、理屈に適うところが結構あるような気がした。


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