猫目の彼女と敏感な俺 -sakura-

判家悠久

-sakura-

 三沢セント・ウィステリア病院は、篤志藤原家、所謂俺達の主家の系列部門に当たる。

 そして俺は、毎四季を通じて、毎週一回は、昏睡状態で入院している橿原鑑のお見舞いに行く。


「なあカッシー、いつまで寝ているんだよ。呼吸器つけられてないのに、お前、本当にマイペースだよな」

「カッシー、ねえカッシー、」


 斎賀美鈴がカッシー事橿原鑑のベッドのシーツを強く握り、シーツに涙がまた落ちる。

 俺が三沢に来たのは、2008年。三沢には一門の、まあ広義での親戚、同じヒト科ネコの斎賀美鈴がいたので、天パのノリの良いやつの紹介で、ごく自然に知り合いの輪が広がって行った。


 そんな、小学生時代の2011年新学期に、橿原鑑が転校してきた。上背は俺より上で、不思議に人を遠ざける雰囲気を持っていた。うっすら、あの大人の付き合いずらさのそれだ。

 ただそれも、同じクラスの美鈴と連れ添う時間が増えて、自然と俺との付き合いが増えた。それは、美鈴が市内のバレエ団研究生なので、レッスンの日は、太喜雄お願いと渡されるので、まあいいかだった。


 カッシーとの遊び場所は、俺の家だったが、カッシーは基本内向的で、小学生の解散時間より早く帰っていった。それもどうかなで、カッシーの家で次第に遊ぶ様になった。

 カッシーの橿原家は、祖父祖母の家で、カッシーの祖父が教授である事から、家の一切はアカデミック仕様の、大層にドイツ製のアップライトピアノ迄あった。そうカッシーはピアニスト見習い。俺達は、この曲あの曲と、音間抜群のカッシーが動画配信を一聴すると、軽くなぞって完コピする。その時だけは、俺達は笑顔になる。

 全部笑顔にならないのは、カッシーが橿原家祖父祖母の養子だからだ。これは、風呂屋に通い詰めた挙句の油断で漸く聞けた話だが、カッシーの両親に弟は、石巻市の東日本大震災の大津波で未だ行方不明らしい。カッシーだけ生き延びたのは、ピアノ教室に通って一人避難し逃れたと。そうやって、カッシーは大人にさせられた。カッシーは多分泣いていた筈だが、俺も悲しくて泣き、カッシーを直視出来ずにいた。


 そのぐるぐる巡る思いは、カッシーが昏睡中の2年を重ねた。そして俺は中学校に上がった。俺だけ中学生になってものどうなんだの察しからか、祖父方の叔母の保科大洋が尋ねてきた。名刺では何ちゃらコンサルティングだが、平たくいうと魔法使いだ。いやそんな不思議事案は、いるのか、いないのかとつい問われる。俺を含めて、いるのがこの世を繋ぐ理りだ。

 そしてここ数日ずっと、三沢セント・ウィステリア病院に詰めている。


「駄目だよ、カッシーの箱の中に入っても、声が出ないです。そして気付いてもくれない」

「あら、そうでもないのよ。こんなご立派な箱、そうそう見れるものではないわ。鑑君の才能と言うよりは、太喜雄が接触しているからこそ、今はない十和田鉄道も走っているんでしょう」

「えっつ、俺に役立ってのかな。まま、制服の赤鬼に囲まれカツアゲされて、強制退場なんですけど」

「そこは、太喜雄の背中右肩に触れて見てるけど、3分は箱の中にいないと、鑑君も気付いてくれないでしょう。さあ、」

「さあって、一日一回じゃないの」

「小比類巻交通のバスに跳ねられた、いつも鴇町北通り停留所前。今日は時刻表を見ていなかったわ。あと一押しね」

「それ、何でカッシーが、飛び出したか、今も謎なんですよね」

「私には、それとなく分かるわ。あともう一押しよ」

「まあ、初のダブルヘッダー、全力で頑張りますけど」


 俺はカッシーの右手を両手で包み込み、感覚を研ぎ澄まし共鳴の心音を聞く、そして箱の中へと。


 国道越しのカッシーは冬の海岸を背にし、鴇町北通り停留所前で、小比類巻交通バスに乗り、在三沢ピアニストの鬼火庸子先生のレッスンに通おうとしている。この箱を足掛け2年、寸分違わずいつも見送る。そんなの1日位サボればいいのにと思うが、それが知れば知る程のカッシーだ。

 あれ、カッシーは、懐から何かのパスを見る。定期券見たって、行くところ決まってるだろうに。

 ウミネコが多く鳴き、不意に海風が吹き、海岸の潮も5m以上舞ったその時、激しい風圧でカッシーのその手からパスが飛び去った。グイン、俺以上の何かの力が加わった、視力が25.0になる。舞うそのパスは、いつか見た写真だ。カッシー、父さん、母さん、弟、そう言うことか。俺の声がやっと溢れる。


「カッシー、お前、同じ写真何枚も持ってるだろう」

「太喜雄、」


 カッシーが、歩道で踏みとどまり、鴇町北通り停留所に定期バスが横付けされる。そしてブロロと音を立てると出発し、定期バスが過ぎ去った後に、カッシーは無事に鴇町北通り停留所に立っていた。おい、そう言うことだったのかよ。


「3分、上出来ね。鑑君、もう起きましょう。お父さん、お母さん、弟さんが、皆旅立てないわ」

「鑑君って、太喜雄だよな、」


 今の箱の俺は、厳密に言えば、大洋叔母さんの接触によって、俺の口伝で進展している。飛び散る厳冬の潮の中に、何故か桜の花びらが混じり始める。これは何だ、不意に背後を振り向くと、十和田鉄道一帯は桜のトンネルに展開する。そして背後の2連結車両の最後尾には、いる。俺はハッとする、そう鑑の父さん、母さん、弟が晴れやかに乗っている。意味がさっぱり分からなかった。

 俺の振り向いた視線に、鑑が気付き慟哭する。


「父さん、母さん、敦史、気づかなくてごめん、」


 そして2連結車両が発進する。いくつもの鑑の堰を切った言葉が、箱の中に澄み渡る。ただそれでも、2連結車両はゆっくり進み、そして大きく桜の花びらが満開隣、そう大きく舞う。そして、俺と鑑は桜の花びらの嵐の渦中にいる。足元が桜の花びらで埋もれて行く。やがて箱の側面からゆっくり閉じてゆく。


「待って、待って、」


 ベッドで昏睡中の筈の鑑が唐突に目覚め、個室で叫ぶ。同時に生命維持装置がけたましく鳴り響く。

 もうだ、鑑とハグしたいが、俺は体力全て使い切って、身体中から汗が吹き出る。俺は個室の床にたまらず寝そべり、消毒液の香りを嗅ぐ。何か無性にプリンを食いたい。と言うべきか、まず鑑なのに、どうかしている。耳がやたら遠くに聞こえる。看護婦さん達が咽びながら飛び込んで来て、鑑に甲斐甲斐しく接する。これで良かった。


「太喜雄、三日は起きないでしょうけど。美味しいプリン用意しておくわ」


 俺は、大洋叔母さんの腕の中で、それはとても長く眠る事になる。



 橿原鑑の復活は、青森地方4紙の記事になり、全国のワイドショーにも取り扱われた。それにそつなく対応したのは、在三沢ピアニストの鬼火庸子先生で、程よくテレビ慣れしていたのでしめやかにクローズされた。

 結局鑑が立てる様になったのは、激しすぎるリハビリを経ての、中一の一学期の終わりには杖なしで歩ける様になった。鑑の身長は、俺も伸び盛りなのに、未だ5cmその先を行く。まあ鑑であるし。鑑は、寝る子は育つと、ハニカミながら言うが、まあ微笑むだけでも成長したかだ。


 そして夏休み。公立三沢第三小学校時代のクラスメイトが揃った。中には、両親の転勤で、各地及び海外にも散っていたが、ある目的を遂行するために、はるばる集まった。

 そう、鑑のいない小学校卒業写真の撮り直しだ。やや成長はしているが、川崎先生も交えて、いつものひな壇の定位置に並ぶ。


「ああ、もう、私も写りたいな、」

「美鈴、お前、隣の隣の組だろう、そう言うの後だって」

「あの、あなた誰ですか」

「えっつ、酷い、鑑くーーーん」

「鑑、そう言うボケって、かなり女性傷つけるから」

「そうか、中学生になると女性に変身するよな」

「もう、一々、感情が揺さぶられちゃう。涙でピンボケしないうちに、写真撮りますね。はいチーズ」


 カシャ、一写真家美鈴のデジタル一眼のシャッターが落ちる。

 俺が、カッシーではなく、鑑になったのは、箱の中で大洋叔母さんが、俺の口を借りて鑑と呼んでからが、いいなこれで、こっちが自然になった。

 鑑、太喜雄、美鈴、そうだよなニックネームもいいけど、名前の方が青春真っ盛りでいい感じとは思う。

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