2024年3月9日 13:09 編集済
生き様の価値への応援コメント
とても面白いテーマですね。 自己犠牲イコール徳、という考え方は確かにあまりいい結果をもたらさないように思います。 とはいえ、あまりに独善的な個人プレーに走ってしまっても、周囲から反発受けて立ち行かなくなることも考えられますし。 バランス難しいですねえ。【追記】 進歩のためには他人のむやみな介入が障害になるから、その排除が必要になる、というお話ですよね。 もちろんその通りだと思います。 ただ、「自分が好き勝手できる世界」「口を出す人を自分の領域に入れない」という有様は、つまり自身の価値観を優先するということで。 それは自身を善と捉えなければ発生しない価値観のはずなので、結果の良し悪しを問わず独善と呼ぶはず、と認識したからそのように呼びました。 それは「他人目線の善悪論」とは違う話だと思いますが、語弊がありましたでしょうかね。 あとそのような排除は、他人の羽を折るという事も十分考えられますので、進歩を優先する価値観が「他人目線の善悪論」に該当するという見方も成立するかなー、みたいには思いました。【追追記】 どこに齟齬があるか理解できました、おっしゃる通りだと思います。 大変すっきりしました、わざわざありがとうございます。 ちなみに僕はこのような議論のうえでは、議論をそらす行為が無いかぎりは特に悪いようには思わないのですが、人によってはそうでもないので、少々怖いところがありますね。 こちらこそ、もしご気分害されていたらすみませんでした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。うーん……『独善』ということは、結局他人目線の善悪論に縛られている状態だと思います。バランスとか匙加減とかそういう事ではなく、単に『他人がいない環境かどうか』だけがポイントなんじゃないでしょうか。自分が好き勝手できる趣味の世界だったり、自己哲学の在り様などは、本当に千差万別あっていいと思います。口を出す人もいますけど、その人を自分の領域に入れなければいいだけです。成功してると言われる人や、多くの人に憧れを持たれる人を観察してみると、自分の世界の領域が広いように思いますし、結構自分ファーストです。そこに多くの人がインスパイアされて、群がっていくように私には見えます。まあでも、日本人には少ないタイプかなとも感じます。ああ成りたいと思いつつ、私もなかなか成れていないです。【追記についてのご返答】わざわざ、ご長文ありがとうございます。ご気分を害したら、お詫びいたします。私とたてごと♪さんの意見の合わない部分は『人が生まれつき善悪を内包しているか』って部分じゃないかと思うんです。たてごと♪さんは「ある」と思っていて、私は「ない」「すべてが後天的な刷り込み」と考えています。だから、私の目線で見ると独善も含め『全部他人を意識した思考』になってしまうんです。それと自由に生きたところで、他人を排除する必要はないかと思います。面白そうなことならば、利益が出ると見込めれば、他人は喜んで巻き込まれてくれます。少なくとも、私が今いる環境ではそのような状態が観測されています。だから、この話が思い浮かんだのもあるんですが。それがこのお話主軸でもありましたので、最初に説明すべきでした。重ねてお詫び申し上げます。
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生き様の価値への応援コメント
とても面白いテーマですね。
自己犠牲イコール徳、という考え方は確かにあまりいい結果をもたらさないように思います。
とはいえ、あまりに独善的な個人プレーに走ってしまっても、周囲から反発受けて立ち行かなくなることも考えられますし。
バランス難しいですねえ。
【追記】
進歩のためには他人のむやみな介入が障害になるから、その排除が必要になる、というお話ですよね。
もちろんその通りだと思います。
ただ、「自分が好き勝手できる世界」「口を出す人を自分の領域に入れない」という有様は、つまり自身の価値観を優先するということで。
それは自身を善と捉えなければ発生しない価値観のはずなので、結果の良し悪しを問わず独善と呼ぶはず、と認識したからそのように呼びました。
それは「他人目線の善悪論」とは違う話だと思いますが、語弊がありましたでしょうかね。
あとそのような排除は、他人の羽を折るという事も十分考えられますので、進歩を優先する価値観が「他人目線の善悪論」に該当するという見方も成立するかなー、みたいには思いました。
【追追記】
どこに齟齬があるか理解できました、おっしゃる通りだと思います。
大変すっきりしました、わざわざありがとうございます。
ちなみに僕はこのような議論のうえでは、議論をそらす行為が無いかぎりは特に悪いようには思わないのですが、人によってはそうでもないので、少々怖いところがありますね。
こちらこそ、もしご気分害されていたらすみませんでした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
うーん……『独善』ということは、結局他人目線の善悪論に縛られている状態だと思います。
バランスとか匙加減とかそういう事ではなく、単に『他人がいない環境かどうか』だけがポイントなんじゃないでしょうか。自分が好き勝手できる趣味の世界だったり、自己哲学の在り様などは、本当に千差万別あっていいと思います。口を出す人もいますけど、その人を自分の領域に入れなければいいだけです。
成功してると言われる人や、多くの人に憧れを持たれる人を観察してみると、自分の世界の領域が広いように思いますし、結構自分ファーストです。そこに多くの人がインスパイアされて、群がっていくように私には見えます。
まあでも、日本人には少ないタイプかなとも感じます。
ああ成りたいと思いつつ、私もなかなか成れていないです。
【追記についてのご返答】
わざわざ、ご長文ありがとうございます。
ご気分を害したら、お詫びいたします。
私とたてごと♪さんの意見の合わない部分は『人が生まれつき善悪を内包しているか』って部分じゃないかと思うんです。たてごと♪さんは「ある」と思っていて、私は「ない」「すべてが後天的な刷り込み」と考えています。
だから、私の目線で見ると独善も含め『全部他人を意識した思考』になってしまうんです。
それと自由に生きたところで、他人を排除する必要はないかと思います。面白そうなことならば、利益が出ると見込めれば、他人は喜んで巻き込まれてくれます。
少なくとも、私が今いる環境ではそのような状態が観測されています。
だから、この話が思い浮かんだのもあるんですが。
それがこのお話主軸でもありましたので、最初に説明すべきでした。重ねてお詫び申し上げます。