第9話
母方の祖母の介護手伝いのため、生まれ故郷に帰省した。
元々は母の姉と弟、つまり私から見て叔母と叔父にあたる人物が、交代で行っている。
病気を押して、私は電車と新幹線に乗って、祖母の実家へと赴いた。
果たしてそれを帰省、実家と呼んで良いのかは、甚だ疑問である。
私は今一人暮らしをしており、本当の、生まれ育った実家とは別の場所に住んでいるけれど、正直あの場所を実家とは呼びたくはない。
私は、凄惨な家庭で育った。
俗に言わないで表現すると、機能不全家族であった。
母も父も弟も、今はそれを無かったことのようにして普通に生活している。
私だけは、あの頃の辛さ、しんどさ、苦しさ、そして抑圧を忘れることができない。
何かを表明することが許されなかった。
何かを表現することが許されなかった。
まあ、詳しくはまた別の、調子の悪い日に語ろう。
良くある、教育熱心な母親と、教育に無関心な父親の、将来社会不適合者生産ルートまっしぐらの、酷い家族である。
だから私が実家と呼ぶ時は、両親が住んでいる場所ではなく、母方の祖母が住む場所、生まれ故郷を差す。
そういう家庭の事情である。
どの家庭にも物語があるのだ。
祖母は6年ほど前に脳梗塞を発症し、入院。一命をとりとめたものの、左半身が不随となり、介護が必要になった。
良く、色々なところに連れて行ってくれる祖母だった。
だからこそ、自分の身体が思うようにいかないことに、最初はなかなかどうして納得いかなかったようだ。
当然だろう。
今まで出来ていたことができなくなる。
子どもは、日々沢山のことを吸収し成長してゆくけれど、老人は日々できないことが増えてゆく。それを歯痒く思わない訳がない。まだ私は学生の身分であり、その状況を想像するしかないけれど、できているはずのことができなくなった自分を受け止めるのは、相当の時間が必要なはずだ。事実、祖母もそうだったと、叔母から話を聞く。
新幹線や電車は、私はかなり無理をしなければ乗ることができない。
実際無理をし過ぎた反動が次の日に来た。
若干パニック障害に近い症状が出た。テレビのドラマで、最近流行っている大声で叫ぶ演技が、とても苦手だ。
でも、叔母曰く、祖母は私を見て、顔が変わった、口角が上がったようだった。
孫孝行、というほどに役に立ててはいなかったし。
介護のやり方も、叔母や叔父、そして母が手伝うのを更に手伝うという、末端の末端の事柄しかできなかったけれど。
それでも、祖母に会えて良かった。
生きていることは、悪いことだけではないのだな、と。
私は思った。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます