隠匿の長持

Bamse_TKE

隠匿の長持

 とある介護施設にて夜勤を終えかけている中年女性介護士が、早番勤務に出てきた若い巨体の男性介護士につらつらと愚痴をこぼしていた。

せいさんよ、勢さん。明け方にシーツをびっしょびしょにして、寒いからってスタッフコールを押して。明け方にシーツ交換から、洋服から全部交換よ。」

 介護業務として何の問題もない話であるが、仮眠を妨害されたと中年女性介護士はぶつぶつと不満を述べている。

「ああ、昨日風邪をひいてお薬出てましたからね。眠くなる風邪薬出てたから、起きて自分でトイレに行けなかったんでしょうね。」

 卵に手足が生えたような若い男性介護士は、その巨体から発せられる明るい声で答えた。

「もー、余計な仕事させられた。むかついたから朝の薬は勢さんのテーブルにぶちまけといたわ。」

「いやいや、それは・・・・・・。」

 男性介護士は相手の行動を必要以上に咎めなかった。もちろん中年女性介護士の行動は度を越えている。だがしかし、これを問い詰めればその怒りは男性介護士にではなく、勢さんに向かってしまうことを心配しての行動であった。

「ぼく見てきますよ。勢さんのお部屋。」

 巨漢の男性介護士はその巨体に似合わぬ軽い足取りで、勢さんと呼ばれる老婆の部屋へ向かった。


「勢さん、お邪魔しますね。」

 男性介護士が部屋に入るとそこには誰もおらず、中年女性介護士がいったようにテーブルには薬が散乱していた。しかし男性介護士は一つ薬が足らないのに気付いた。昨日臨時で処方された粉の風邪薬だけが見当たらない。

「どこかに落ちたのかな?」

 男性介護士は呟き、そしてベッドサイドにある藤で編んだ、もとい藤で編んだように作られたプラスチック製の大きな箱に向かった。それは小さな人間なら入れるくらいのサイズで、その蓋を開けるとやはり小さな老婆:勢さんが隠れていた。男性介護士は勢さんの隠れ場所を理解していたのだ。

「勢さん、朝からかくれんぼですか?」

 勢さんと呼ばれた小さな老婆ははにかみながらうなずいた。男性介護士は可能な限り優しい声と言葉で嘘をついた。

「大丈夫、だれも勢さんのこと怒っていませんよ。」

 その言葉に勢さんはにこりとし、藤を模した箱から出てきた。藤で編んだような作りの箱であるから無数の隙間があり、中に入っても窒息の恐れはない。スタッフは誰もこの行為を咎めることは無かった。この可愛らしい勢さんの散らばった薬を拾い集め、男性介護士は薬を朝食の膳に載せるべく持ち帰った。


 スタッフステーションに戻ると中年女性介護士はまだぶつぶつ文句を言っていたがどうやら少し落ち着きを取り戻しているようだ。ステーションのテーブルに置かれた自分の名前が書かれた水筒からごくごくと文字通り喉を鳴らしてお茶らしき飲み物を飲んでいた。以前は各々の飲料に名前を書く習慣はなかったのだが、例の感染症騒ぎでスタッフ間での感染を避けるため、飲料には名前を書くことが義務付けらたのである。中年女性介護士がスタッフステーションを後にしたとき、そこのゴミ箱に男性介護士は勢さんの風邪薬、その空袋を見つけた。

「なんだ、怒っていても飲みにくい粉の風邪薬は飲ませてあげていたんだな。」

 中年女性介護士の行動を推察した男性介護士は呟いた。

「でもこれ、朝食後薬なんだけどなぁ。」



 勢さんと呼ばれた女性、彼女は街道沿いにある商家の娘としてこの世に生を得た。勢の実家は何代にもわたる老舗で、周りと比べれば裕福な家庭に彼女は育った。彼女の家には大きな長持(衣類や寝具の収納に使用された長方形の木箱)があった。幼い勢にとってはかくれんぼに最適な遊び道具でもあったが、中にはひっかいたような傷が無数にあり、一部は文字にも見えた。そんな不気味な長持であったが、勢は気にせず中に入って遊ぶのを好んだ。


 勢が10歳になったころ、夜の闇に紛れて押し込み強盗が実家に入った。強盗は問答無用で勢の両親や兄弟を殺害し、金品を奪った。勢はただ一人、長持の中で息を殺し潜んでいた。外から聞こえる家族の悲鳴に耳を塞ぎ、とにかく長持の中で恐怖に耐えた。朝になっても店を開けないのを不審に思った近所の人たちが見たのは、惨殺されている商家の家族たち、そして開けた長持の中で泣きながらも安堵の笑みを浮かべる勢であった。


 勢の実家は名家であった。勢の父が死んだとてその老舗を継ぐ者が必要になり、それが勢の叔父、父の弟がこの老舗を家ごと継ぐ形となった。叔父は真面目な勢の父と違い、酒色を好んだ。妻子が有りながらも、美しい少女となり始めていた勢にちょっかいを出すようになっていた。居候の立場で誰も助けてくれない状況の中、勢は長持の中で眠り我が身を守り続けた。


 勢は16歳で格太郎という酒屋の跡取りに嫁いだ。自分を守り続けてくれた長持とともに。格太郎は真面目に働き、勢もそれを助けた。若い二人は仲睦まじく、跡取りとなる長男を早くに授かった。しかしここから勢の人生が狂い始める。赤子にかかりきりで、放っておかれていると感じた格太郎は、よりによって人妻に手を出した。それも評判の悪いやくざ者の妻に。格太郎は勢に見られることも気にせず、その女を家に連れ込むようになった。そして見せつけるように、その痴態を晒し始めた。勢はすでに格太郎への愛情を失っていた。しかし問題は長男、こんな父親がいてはまともに育てることが出来ない。


 勢はある日長男をおぶって格太郎の不倫相手、その夫に酒を差し入れた。もちろんこの男は自分の妻と格太郎の関係など知らない。いつもお世話になっております、などと社交辞令を述べた後、しばらく酌をし酒飲みに付き合った。やくざ者に酒が回り始めたころ、勢は家に戻った。その頃には格太郎とその女があられもない姿でけだものようにまぐわっていた。勢は長男をおぶったまま電話をかけた。先ほどのやくざ者に、そして二人の嬌声をたっぷりと聞かせてやった。


 怒りに燃えたやくざ者が現れたころ、勢と長男は長持に隠れていた。やくざ者は持っていた日本刀で、重ねて四つにするが如くその刃で二人を斬り殺した。そして収まりがつかない怒りを勢たち親子にも向けようとしたが、どうしても見つからずやくざ者は家に火を放って遁走した。家は燃え落ちたが、頑丈な長持は勢たち親子をその火や崩れ落ちる建物から守った。消防隊ががれきの中からその長持を見つけ、それを開けた時泣き声を上げる赤ん坊とそれを抱きかかえ、安堵に微笑む勢の姿があった。


 その後勢は長男を女手一つで育て、決して子を困窮させることなく大学まで進学させ、立派なサラリーマンとして自立させた。表面が焼け焦げた長持は修復され、勢の家に置かれたままであった。


 長男とその従順な嫁、そしてかわいい孫たちに囲まれ勢は幸せな生活を満喫していた。しかし徐々に足腰が弱り、自分の身の回りのことが自分で出来なくなってきた、そんな衰えを感じた勢は自ら介護施設入所を申し出た。



「いやー、危なかったのよ。本当に、九死に一生とはこのことだわ。」

 冒頭で怒り狂っていた中年女性介護士は先日の夜勤から数日後、同じく日勤者として出勤した丸々と太った男性介護士に話しかけた。

「どうしたんですか?」

 男性介護士に問いかけられると待ってましたとばかりに中年女性介護士は話し始めた。

「やっぱり人間怒ったりしたら駄目だね。人に意地悪すると神様の罰が下るんだよ。」

「どういうことですか?」

「わたし勢さんのこと怒って帰ったでしょう。その後車に乗ってたらものすごい眠気に襲われて、気が付いたら対向車線にはみ出してて、向こう側からきたトラックが止まってくれなかったらわたし間違いなく死んでたわ。」

 想像以上の話を聞かされた男性介護士はその巨体を揺らしながらのけぞった。

 「とりあえず、その辺にあったドラッグストアの駐車場で仮眠取って、その後どうにか運転して帰ったわけよ。」

 言葉を失っている男性介護士を他所に、中年女性介護士は話し続けた。

「今までどんなに夜勤しても帰りの運転で眠掛けすることなんてなかったのに、やっぱり勢さんに意地悪した罰が当たったんだ。」

「でも、風邪薬は飲ませてあげてたじゃないですか。」

 ようやく言葉を発した男性介護士を訝しむように中年女性介護士は話した。

「わたし風邪薬なんて飲ませてないよ。」


 男性介護士はトイレの個室で青くなっていた。あの眠くなる風邪薬は中年女性介護士が開封したものでは無かったんだ。スタッフステーションで見つけた空の袋、その中身はどこへ?

 いやな想像が男性介護士の頭を駆け巡る。あの薬を飲んだことのある勢さんは、当然副作用の眠気を知っている。そしてスタッフステーションの飲み物にはそれぞれ名前が書いてあるから、だれの飲み物なのかもわかる。あの風邪薬はもしかして、中年女性介護士の飲み物に入れられ、それで眠気に誘われた中年女性介護士は運転を誤った。薬を持ったのは・・・・・・。

 男性介護士は箱から出てきた勢さんの笑みを思い出して、その巨体をぶるぶると震わせた。

 




 

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