第29回キューブ・ボクシング全国大会

IS

高校生の部 決勝戦

『さあ、キューブボクシング大会もいよいよ決勝戦! 竜道りんどうエヌ対、燕燕谷究武つばたにキューブの試合を始めますッッ!』


 某県国立体育館……一介の地方体育館に過ぎないこの場所は、しかしこの日に限り、異常な熱気に包まれていた。スタッフを除き、この場にいる人間は老若男女問わず皆ボクシングユニフォームを着こんでおり、更にそのグラブの中には四角い箱が握られている。各面は3×3に分かれており、それぞれ別の色が塗られている、奇妙な箱……そう、ルービックキューブである。


「究武……今度こそお前を壊してやるよ」


 赤コーナーに立つ男が言った。獄箱学園三年、竜道エヌ。その身長は日本人離れしており、鍛えられた筋肉はまるで鎧のようである。そして厳つい顔には、まるで地獄の過酷を経験してきたかのような、年齢離れした気迫と冷酷さが刻まれていた。


「へへっ、お前にリベンジする日を楽しみにしてたぜ。勝負だ、エヌ!」


 一方、青コーナーに立つ少年はすべてが対照的であった。底庭高校1年、燕谷究武。平均身長以下の身体には、健康を体現するような爽やかな筋肉が滾っている。そして彼の瞳には、溢れんばかりの未来への希望が宿っていた。たとえ何度敗れようと立ち上がってくるだろう、そう思わせるだけの力があった。


「きゅーぶっ! 頑張れ!」「クスクス……あの子、エヌがキューブ完成させるまで立っていられるかしら……?」


 観客席の陣営ごとの声もまた真反対であった。究武の支持者は皆純粋に彼を応援しているのに対し、獄箱学園側の者は皆、エヌの勝利を確信しているようであった。また、彼らの後方、体育館の壁側で腕を組んで見守る者たちもいた。


「究武、本当に勝てるかな?」「分からんさ……だが、アイツは俺を破ったんだ。どんな結果になろうとも、俺は最後まで見届けるぜ。さあ、試合が始まるぞ」


 会場が一斉に静まった。審判がリング上に現れたのだ。彼に促され、エヌと究武はルービックキューブを取り出し……コツン、とぶつけた。これがキューブ・ボクシングにおける開始前の所作である。




 ――キューブ・ボクシング。スピードキュービング(注:ルービックキューブの完成タイムアタック)と格闘技を合わせたそれは、かつて令和という時代に生まれたまったく新しいエクストリームスポーツであった。頭脳と体術、すべてに秀でなければ勝てない。故に、このスポーツに挑む者はそれだけで運動部の花形として見られていた。


 勝利条件はただ一つ、キューブの完成のみ。ただし、敗北条件は二つある。一つ、ルービックキューブを落とすこと。二つ、膝を折るなど、戦闘不能とみなされる状態になること。それ以外にルールはない。ラウンドの概念も存在しない。勝負は一度きり。すなわち……キューブを完成させるか、または体術で勝るか。それだけである。


 これまでエヌは、すべての相手を体術で破ってきた。彼のキューブが完成するまでに立っていた者はいない。一方で、究武はすべての試合で攻撃を耐え抜き、キューブを完成させてきた。戦術まで対照的な二人が、果たしてこの決勝戦、どのような試合を見せるのか――



「はじめっ!!」


 審判の合図により、試合が始まった。会場の熱気に反し、二人ははじめ、黙々と手元のキューブを完成させ始めた。まるで剣豪同士のように、攻撃の隙を伺うように……お互いに睨み合いながら、高速でキューブを回していく。


 ルービックキューブが6面すべて完成するために必要な手順は、意外と様々である。最短で20手、他にも40手、50、60……これらはすべて、キューブを回すメソッド次第で変わっていくのだ。詳しくはググってほしい。


(11、12、13……ここだっ!)


 手元のキューブを回しながら、究武はむしろ、エヌの手つきに集中していた。手順の中には、集中と思考を伴う箇所がいくつも存在する。これは単純なタイムアタックではない……そうした瞬間が、まさに攻撃の隙となる!


「ハーッ!」「デアッ!」


 同時に放たれた両者の蹴りが衝突した! どちらも顔面を狙った逆袈裟の一撃であった。強力な反動を受けて、両者はなお姿勢を崩さず、ルービックキューブを回し続けている。そして一度動いた戦局が、このまま終わるはずがなかった。


「シッ! シッ! シッ!」


 脚払い、蹴り、逆回し蹴り。究武は息つく暇もないほどの連続攻撃でエヌを攻め立てた。この競技はルービックキューブを完成させる都合上、両手をそれに割かなければならないため、必然的に攻めるのは足となるのだ。さながらサバットの名手のように細かく攻撃を続けながら、しかし、究武は思った。


(思ったより思考の動揺が少ない……まさか……!)


 不穏な予想が究武の頭をよぎった瞬間、エヌがニヤリと笑い――


「もらったァ!」


 脚払いを躱したと同時に放たれた回しの蹴りが、究武に直撃した。


「ぐわぁッ!?」


 そもそも体格差がある相手から繰り出される強烈な蹴りである。当然、究武は後ろに吹き飛ばされ、ロープに背中を預ける形となった。幸いにもキューブを持ち続けており、すぐに彼は復帰した。


(やられたぜ。わざと完成の手順を遅らせていたなんて……!)


 キューブ完成まで最短を目指さなければ、手数を変えること自体は可能である。勿論、通常のスピードキュービングであれば当然最短を目指すべきである。だが、これはキューブ・ボクシングだ。複雑な手を取るほど、相手に隙を与えてしまう。隙を減らすために思考の少ない手順を使うこと、それ自体はよくある話だろう。


 しかし……たった今エヌが取った手法は、それ自体が超絶の技巧であった。特定のメソッドを装いながら、途中でまったく別のチャートに移行したのだ。誤認した究武は攻撃タイミングを誤り、手痛い反撃を受けることになったのだ。


「どうした……!? アテが外れて悔しいか? 残念だったな」


 挑発しながらもエヌはキューブを回し続ける。しかし、今度はわざとらしく緩慢な、見せつけるような手つきだ。明らかに攻撃を誘っていた。


(どうする……? いけるか……!?)


 キューブを回しながら、究武は頭の中であらゆる攻撃手段をシミュレートした。駄目だ。すべて弾かれる。さりとて、ここで全力でキューブを回し始めれば、エヌはすかさず攻撃に転じてくるだろう。起死回生の手段が必要だった。


(何か……何かないのか? 今まで、誰も使ってこなかった手が。……………あ)


 この時、果たして究武が何を思ったのか。彼はその場で突然、野球のピッチャーのようなフォームを取り始めた。当然、会場がざわめき始めた。


「おいおい、アイツなにやってんだ……?」「さっきの蹴りの打ちどころが悪かったとか?」「キューちゃん!?」


(究武。何をするつもりだ。その姿勢から、何をするつもりだ……!?)


 エヌは困惑していた。次の行動が予想できるのに、まるで前例がないために、本当にそうしてくるかどうか分からなかったからだ。胸の前に、ボールめいてキューブを持つ。その後半身になり、矢を引き絞るようにキューブ持つ右手を振りかぶる。ならば、次にしてくる行動は……? しかし、何故……!?


「くらええぇぇぇぇーーっ!!」


 エヌの予想通りに、同時に予想に反して、究武は手元のルービックキューブをエヌの顔面目掛けて投げつけた。キューブは回転しながら、打者の命を狙うデッドボールのように迫りくる! エヌは……当然キューブを弾いた。思わず、右足を振り上げ、上に蹴り飛ばしてしまった。エヌは真下を見た。そこには究武がいた。


「ついに晒したな。隙ありぃ!」


 究武のストレートパンチがエヌの腹部を直撃した。強烈な一撃に思わずキューブを落としかけたエヌだったが、なんとか掴んだまま、バックステップで究武から距離を置いた。これまでの究武との戦いで、否、これまでのキューブ・ボクシングにおいて、エヌが初めて受けた一撃であった。


「そんな……エヌ様が攻撃を受けるなんて……!」「おいおい、それより今のはどうなんだ!? キューブを投げるなんて、反則じゃないのか?」「いや……反則じゃない。キューブボクシングは勝敗以外はルール無用だ。当然、キューブを投げたっていい。だが、しかし……」


 会場内にどよめきが起こった。前例のない攻撃に、同じく前例がなかったエヌの被弾が立て続けに起き、皆混乱していたのだ。究武を応援しにきた者たちでさえ、状況が呑みこめずにいたのだった。


「へへっ、言ってなかったか? 俺は中学までは球児だったんだぜ」


 上空に飛ばされたキューブをキャッチし、究武が言った。すかさず手を動かし、難しい手順をここぞとばかりにこなしていく。


「なぜだ……どうしてだ、究武。なぜ、お前はルービックキューブを投げられる……?」


 エヌは呻いた。それに対し、究武が答えた。


「そりゃお前、キューブは俺の魂だからだ」


 究武の発言が、エヌにはまるで分らなかった。お構いなしとばかりに、再び究武がキューブを振りかぶる。分からない。分からない。ありえない。瞬間、エヌの脳裏に幼少の記憶がフラッシュバックした――




「エヌよ。この程度の攻撃で音を上げてはならぬ。早くそれを完成させろ」


「ハ、ハイ。おじい様」


 竜道家の道場内。四方に置かれた剣道マシンに足をめった打ちにされながら、手元の白いキューブを回していた。それはただのキューブではない。ある地方では極小化された地獄と呼ばれる代物だった。それは本来この世にあってはならない、ましてや子供に持たせてはならない呪具であった。


「次は止めぬぞ。もし世界が滅びれば、それは貴様のせいである」


「……ハイ」


 慎重に、しかしすばやく、細心の注意を払いながらエヌは作業を続ける。ちょっとでももたつけば、極小の地獄は解放され、世界を覆いつくすだろう。そうでなくても、足を打つ竹刀の痛みでこれを落とせば、同じことが起こるだろう。それはそういうものだった。まだ五歳に満たない少年の手元に、突然世界の命運が握られたのだ。しかも、理不尽な責め苦に遭いながら。


 なぜ彼はこんな目にあっているのか? 幼児虐待ではないのか? その理由は、竜道家はキューブ・ボクシングの名門であったからだ。彼の父、エムは重圧に耐えかねて自ら命を絶った。ならばより強烈な教育が必要であると、エヌは子供のうちから自由を奪われたのだった。彼はひたすら痛みに耐えながら、キューブを回し続けた。何度も、何度も、何度も――。


 そうだ、地獄だ。エヌにとって、キューブ・ボクシングは、ルービックキューブは地獄である。究武は魂だと言った。ならば無数の魂を喰らう地獄の方が強いに決まっている……!




 気づけば、エヌもキューブを投げていた。時速160キロで投げられたそれは、究武が投げたそれと重なっており――カァン! 大きな音を立てて、キューブが弾き合った。互いにキューブを掴み、速やかに何手順かを済ませる。


「いくぞォ究武! 地獄を見せてやる」「そうこなくっちゃな、エヌ!」


 再びの投擲! カァン! 再びの衝突! 弾かれたキューブをキャッチし、同じことが繰り返される。硬球よりもなお固いキューブをまともに受ければ、怪我は免れないだろう。戦略的にも、これが最適解であったはずだ。それでも、それはキューブ・ボクシング史上、初めて発現した現象であった。


「これは……なんだ……?」


 観客の一人が独り言ちた。


「ルービックキューブが……殴り合っている……!」


 カァン! カァン! カァン! 地獄と魂が、凄まじい音を立てて衝突し続けた。人によって、それは恐ろしい光景にも、神秘的な光景にも思えたことだろう。そして衝突の度に、それぞれのキューブは完成へと近づいていた。


 カァン! カァン! カァン!


(あと四手! このまま渡り合えば、勝つのは俺だ!)


 手順を終え、再びキューブを投擲するエヌ。同じく繰り出された究武のキューブと衝突する。その瞬間。エヌは見た。彼の動体視力は捉えてしまった。激突の後、究武側のキューブが、衝撃で一手順進んだ姿を。


「まさか!!」


 思わずキューブを回すことを忘れて、エヌはそのままそれを投擲してしまった。究武はその通りだと言わんばかりに笑い、同じく投擲を返した。カァン! まただ。また究武が一手進めた。


 優秀な野球の投手は、打者の元に辿り着くまでに、狙ったボールの側面を投げられるのだという。果たして、ルービックキューブを極めた投手は、狙った角を相手のキューブにぶつけて、回転させることが可能なのであろうか……? しかし、究武は成し遂げている。今もなお、激突したキューブが一手終えている……!


 カァン!


 カァン!


 カァン! 

 

 カン! カン! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン……バァン! キューブのうちの一つが大破した。持ち主は膝をつき、倒れた。もう一つのキューブは、完成した姿で主の元に戻った。その者は、高らかにそれを突き上げた。ゴングが鳴った。


『しょ、しょ、勝者……青コーナー! 燕谷究武ゥゥゥッ!』


 一瞬の静寂の後、それを切り裂くような大歓声が巻き起こった。はてしないものを見た興奮が、団体の垣根を超えたのだ。声援に応え手を振った究武は、うなだれるエヌへと向き合った。


「俺は……俺は何もなくなった。地獄さえも失った俺は、どうしたらいい……」


 エヌが呟いた。これまでにない、すすり泣くような声だった。


「良かったじゃねーか! 空っぽになったってことは、また何か入れられるってことだろ!」


 しかし、究武は笑って答えた。予想外の言葉に、エヌは顔を上げた。


「……俺もさ。中学ン時、デッドボール投げてきたピッチャーにバット投げつけたら、いきなり失格になっちまった」


「……」


「でもこうして、新しい道が見つかったんだ。お前にもきっと見つかるさ。背ェでかいし、力もつえーし、きっとなんでもできるだろ」


「フ。何でもできる……か」


 エヌはつられ笑いした。邪気のない、心からの笑みだった。


「そうか。そうだな。……趣味とやらを探してみるかな」


 



 こうして第29回大会は幕を閉じた。翌年以降、怪我人が急増したのでキューブ投擲は禁止となった。キューブ・ボクシング始まって以来、久々の禁止改定であった。また、燕谷究武は足を痛め、普通のスピードキュービングの道を進むことになった。エヌの行方は、それからバタリと途絶えることになった。それでも、この第29回大会は今なお伝説として、すべてのキューブ・ボクサーに刻まれることになった。






【第29回キューブ・ボクシング全国大会】終わり

 

 



 


 

 

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