キープアウト!! 奈落編
羽風草
深層0
「今夜は雨の予報が出てましたので、早めに下校してください。それと、最後になった人は職員室まで戸締まり報告をお願いします。では、また明日」
「起立。礼」
ホームルームを終えて担任が教室を出ていくと、生徒たちは一斉に帰り支度をはじめた。音別高校夜間コースは妖怪被害を受けた生徒が対象で、一年から四年まである。この二年クラスは二十人弱。ふつうの外見の生徒はもちろん、尻尾で上着を整えている女子生徒、触手で落ちたプリントを拾う男子生徒もいた。紙袋をかぶった生徒は雨に濡れたくないのだろう、足早に教室を出ていった。
死人の肌をした鋼さぎりはメロンパンを出し、おいしそうにほおばった。それを見た幼なじみの字見彰人は、あきらめた口調で「こぼすなよ」と声をかける。彰人はふつうの外見だが、強大な妖怪に憑依されたので転入した生徒のひとりだ。
「アキトもひとくち食べる」
「いらん。メシ抜きだからって教科書忘れてメロンパン持ってくるとか笑えるぞ」
「五時に登校して八時半まで学校でしょ。いつご飯食べるの」
「俺は四時に食ってくるけど」
「おやつじゃん」
幼なじみなりに遠慮がない。
「また食ってるよ。すげえな。こんなに食う女子ははじめて見たぜ」
時長鏡(ときながきょう)が感心したように笑った。中肉中背の短髪男子で、彰人の隣席だ。人懐こい性格で、通学路でも会う彰人とはすぐに打ち解け、今ではさぎりとも話すようになっていた。
「彰人、雨降る前に帰ろうぜ。鋼さんもほら。みんな帰ったし」
言葉のとおり、教室には彰人たちのほかに一人しか残っていない。さぎりはメロンパンを強引に口に詰めて席を立った。
教室を出る直前、時長は教室を振り返る。
「ええと。東野さん。まだ教室にいるの」
呼ばれた女子生徒は外を見ていたのだろう、窓から顔を上げてふわりとほほえんだ。腰まである淡色のやわらかそうな髪がお嬢様の雰囲気を漂わせている。はじめて見たとき、彰人はめずらしさのあまり二度見したほどだ。
「迎えがくるので」
鈴のような声。
「じゃあ出るとき、職員室にさ」
「戸締まりの報告ですよね。わかりました、わたしがします。また明日」
よろしく、と時長は教室のドアを閉めた。
大和国(やまとこく)北端に位置する北海島は、氷雪山が中央に座す自然豊かな島だった。大和歴一九九九年九月九日、山頂から根源と呼ばれる妖怪が出現し一変。武器が効かない妖怪たちによって自然は破壊され、ふもとの朝日川市も廃墟と化す。そのまま北海島は妖怪の島になるかと思われたが、退魔封印悪魔払いが効力を発揮、多くの殉職者を出しながらも数年かけて根源の封印に成功した。
しかし妖怪は祓っても次々に出現し、次第に島民たちは妖怪を生活に取り入れていった。蛍のような妖怪を使用した街灯、カビや苔を食する妖怪などは除草や水路浄化槽に使用、退魔士協会では妖怪を使った妖怪センサーを開発する。根源出現から三十数年経った今では、すっかり妖怪は島の生活に欠かせなくなっていた。
されど妖怪は妖怪、住みつけば土地や建物を腐食したり、憑依して動物や人間を変容させるなど妖怪被害も起こっていた。大半は祓い、封印もできた。しかし人間に憑依したものは、そうやすやすと解決には至らなかった。
まず憑依された本人や家族による隠匿による問題だ。特に身体を変化させるものは心身を蝕んだり、やけくそのように犯罪に走る者も少なからずいた。憑依が判明したところで蔑視、差別、いじめなど深刻な妖怪二次被害につながり、家族ごと所在不明になったのち一家心中した状態で発見されることもあった。
事態を重くみた北海島は独自の妖怪被害支援策を打ち出す。そのひとつが公立高校による憑依者専門夜間コースだ。妖怪被害によって生活に支障を来たした者が対象で、今は十代から四十代までの生徒が在籍している。
去年、高校二年の彰人は神剣に、さぎりはよりにもよって根源に憑依された。奇跡的におおきな支障はなかったが、事態を危惧した退魔士協会たっての願いで転入する事になった。ちなみに憑依妖怪を知っているのは退魔士協会とわずかな関係者のみで、もちろんふたりとも口外するつもりはない。そもそも封印が壊れて出てきた根源と、根源を封印すべく遣わされた神剣なのだ。これらが学生に憑依して街を歩いてると知ったら、クラスメートどころか北海島全体がパニックに陥るのは明らかだろう。
三人は夜の通学路を並んで歩く。彰人の隣でさぎりはおおきなあくびをした。
「つかれた。バトミントンなんてひさしぶりだったし、もう肩ばきばき」
「俺も。ミラ、すごかったな。バトミントンやってたの」
時長は周りからミラと呼ばれている。名前の鏡をもじったあだ名で、小さい頃から気に入っているそうだ。
「いや、ずっとサッカー。彰人、おまえ体力なさすぎ。体育館二周でへばってるの見てたぜ。筋肉つけろ、筋肉。朝日川にいたら妖怪から逃げられないぜ」
「うるせ」
妖怪好きのさぎりがすかさず反応した。
「なになに、朝日川の妖怪、追いかけてくるの。かわいすぎでしょ。音別はそんなのいないしさ、最近妖怪を見てないから寂しくて」
見ないんじゃなくて、憑いてるヤツが強すぎて寄ってこなくなったんだろ。そう思いつつ彰人は黙っていた。
時長は頬をひきつらせる。
「妖怪だぜ、妖怪。俺は生まれてからずっと朝日川だけど、あんなもんのどこがかわいいんだよ。気色悪いだけだ」
「かわいいよ。あたし、妖怪観察しに朝日川に行きたいんだけど、お兄ちゃんに止められてて」
「あたりまえだろ。妖怪観察なんて観光客かよ」
「朝日川には中学の修学旅行で行ったけど、妖怪観察はできなかったからさ。もちろんあちこち行ったよ。朝日川動物園とか。氷雪水族館は行けなかったけどね。駅前のタスミドーナツでしょ、ボナルボバーガーもモンタッキーも食べたよ。地下鉄も乗ったし」
朝日川市は廃墟と化した街を捨て、隣の隣の隣村に移転した。そこで最新の妖怪対策を立ててきた結果、島一番の大都市に進化している。ただし妖怪もあいかわらずで、妖怪出没数は島で一番多い。
「せっかく朝日川に来たんだから夜も出たかったのに、夜間外出禁止なんだもん。ホテルの窓にびっちり貼りついてるの見たとき、あたし、うれしくて。音別にはいない子ばかりでさ。テンション上がりすぎて、写真もメモも取るの忘れて、もう後悔しっぱなし」
「マジかよ」
「そのせいでおまえをいじめるヤツも逃げたよな、ハギ」
「泣かせちゃって、あたしのほうが先生に怒られたんだよ。どうでもいいけど。ミラは今までどんな妖怪に出会ったの。ねえねえ教えてねえねえ」
「えええやだよ。彰人、パス」
「ミラ。なにか話せ。話せば離れるから。ハギは妖怪の話と聞けば昔からこうなるんだよ」
「うえええ。わかったよ。鋼さん、話す。話すから離れて」
さぎりは二歩離れる。
「そうだな。引っ越してきて気づいたんだけど、あっちの妖怪のほうが近いよな。絡んでくるっていうか。こっちの妖怪は遠くにいたり、人間から逃げる。でもあっちは逆。歩いてただけで、壁の隙間から出てきて腕を引っぱられたり、逃げたら服とかどこか咬まれていたとか、そんな感じ。そもそもこんな暗い時間にのんびり歩くなんて初めてだぜ。うまれた時から朝日川にいるからさ」
「へええ。すごい。音別とぜんぜん違う」
「ミラは咬まれたことあるのか」
「俺はイケメンだから、ない」
「なんだそれ」
あはははと笑いあったあと、時長は声を潜めて言った。
「なあ。朝日川に妖怪がめちゃくちゃいる原因、知ってるか」
「知らない」
「なになに聞きたい聞きたい」
「あれはさ、まだ朝日川のどこかに根源が封印されてるせいなんだぜ。朝日川ではみんなそう言ってる。でっかい碑に封印して、それごと冊幌の地下のどこかに置いたっていうけど、俺は違うと思うね。朝日川にはまだ根源がいるんだよ。出る妖怪の数から見てもおかしいだろ」
「そうだね。あたしもそう思う」
さぎりは感心したように頷き、彰人はなにも言わず遠くを見た。
あれ。
視界のすみに入った灯りが消えて、また点いた。
「どした、彰人」
「あそこの街灯」
「街灯がどした」
「角の、あれ。昨日はああじゃなかったと思うんだけど」
「故障じゃねえの」
不自然に点滅している街灯はたまに見る。彰人が気になったのは、学校を出てから数本めだからだ。
「キミも気づいたのね。あれは妖怪の悲鳴よ」
突然話しかけられて、三人は飛び上がった。
背後からスーツ姿の若い女性が歩いてきた。点滅する街灯に痛々しいまなざしを向ける。
「故障じゃなく、あれは人間の都合で縛られて苦しんでいる妖怪の悲鳴なの。ほんとうは自然のなかで生きてるはずなのに、国は見て見ぬふりをしている。死んで塵になるまでせまい場所に縛られてる命なの。あんまりよね。妖怪にも命はあるの。あの縛られた命をはやく救ってあげないと、あの子は明日にでも死んでしまうかも」
彼女は時長の顔をのぞき込んだ。時長は硬直している。
「だから、人間のわたしたちがあの子を救ってあげるの。奈落の底に眠る扉を開けて、捕らわれた妖怪たちを自由にしてあげるのよ。その時にわたしたちも彼らに導かれて、苦しみのない平和で愛に満ちた真実の世界に行くの」
時長と女性の間に、彰人が割って入った。
「すみません、一方的な勧誘はしないでください。こっちははやく帰らないといけないし、失礼します。よい信仰を」
「学生さんはお勉強しなければいけないものね。しんせかいの扉はあなたをいつでも待っています。よい信仰を」
「行こ」
女性は穏やかな笑顔を浮かべて身を引き、彰人は時長を引きずるようにしてそこを離れた。
視線から逃げるように交差点を右に左に折れ、三人は足を止めた。
「アキトえらい。あんな迷惑勧誘、あたしなら口も利いてないよ」
「はっきり言わないとしつこいからさ。ミラ、だいじょうぶか」
時長は固い表情のままうなずいた。
妖怪対策に呪術が必須の北海島には、呪術を扱うさまざまな宗教が集結している。併せて宗教活動は厳格な規制が敷かれており、人や自然はもちろんのこと、他宗教に危害を加えることや行きすぎた勧誘も禁止されている。最低限の布教活動はできても申請が必要で、些細なことでも違反があればその宗教は島から永久追放された。
よい信仰を、と交わす挨拶は島特有の宗教マナーだ。過去に天使派と悪魔派が徹底論議したことがあった。議論は最後まで平行線だったが、最後に祭祀同士が「あなたのように、神に認められるようなよい信仰をしていきたいと思う」と背中を向けたことから、島のなかで使われるようになった。
「あきひと。あれは危険だ」
彰人に憑依している神剣カルネモソミがつぶやいた。彰人にしか聞こえない。彰人も「わかった」とつぶやく。
「やばいやつは通報」
ケータイを出した彰人の手を、時長が焦ったように制止した。
「まってまって。いいって彰人。そこまではいいから。ちょっとびびっただけ」
「でも、ミラが」
「こっちは大丈夫だから。通報するなら自分でやる。俺は大丈夫。びびっただけ」
間をおいて、彰人はケータイをしまった。
「わかった。通報はやめる」
「ごめん。あのさ、俺イケメンだから変なやつにもモテるんだよ。もうすげえモテモテでさ、いちいち対処してられないんだよな、イケメンだから」
時長はおおげさに笑って腕時計を見た。
「やっばい、バスの時間、ギリじゃん。あれ逃したらしばらく待つんだよ。ターミナルってあっちだっけ。じゃあまたな」
あわただしく立ち去った背中を、しばらくふたりは見送った。
「アキト。しんせかいの扉、帰ったらお兄ちゃんに聞いてみるから、通報はやめといてね」
「うん、しない。ミラもソコとなにかあったかもしれないしな。帰ろう。今日もプリン食べてくんだろ」
「アキトプリン食べる!」
ふたりは家に向かって歩きだした。
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