足りないハコはどうする
眞壁 暁大
第1話
「やべえよ」えいち氏は云った。
「ヤバイヨヤバイヨ」ディー氏もそれを受けて続いた。
「どうすんだよ」エイディシが締めくくる。
皆がアタマを抱えていたのはこの先一〇年ほど、関西圏には新しいハコが出来ないということであった。
もとへ、ハコそのものはできる。
だが興行主が満足するようなハコが作れない。
それでなくても昨今は首都圏でポコポコと好き放題にハコが生えている。収容数も3万から2千までよりどりみどり。
ステージの設営業者・ライブの運営業者なども首都圏に集中しているために仕事の発注がしやすいのも大きい。
これに対して関西圏はどうだ?
1万を超えるサイズは片手で足りる。それも一〇年かけて片手分だ。2万を超えるハコについては今のところ計画すらされていない。
興行の開催にあたっての関連企業についても、ある程度は地場の業者に任せられるもののやはり、首都圏の業者が出張ってくる必要があった。
通勤圏にない以上、宿泊その他の関連費用の負担も不可避。
関西圏での興行は、おなじタレント・アーティストでもざっくり首都圏の五割増しの集客がなければ収支が合わないというのが界隈の共通認識だった。
なのに、関西にあるハコの大きさと来たらどうだ?
いちばんスケジュールの抑えやすい数の揃ったハコはいずれも8000〜1万ていど。首都圏でおなじ規模のハコを埋められる歌手やバンドなら、 最低でも1万3千の収容力がほしいのに、そうしたサイズになると途端に候補がなくなる。
ライブ関連業者の手配、費用との兼ね合いを考えれば、1万以下のハコで興行を打つ旨みはほぼほぼない。こうなってくると関西圏での興行は、純粋に関西圏の客に向けてのサービスという色が濃くなっていく。全国ツアーを開催するにしても、敢えて赤字を出してまで関西圏での開催は避けるほうが無難。
そうした空気はこれまでもあったものの、ついに月に稼働する大規模ライブのハコがゼロという臨界点を突破したために、関西興行界を代表する三人は頭を抱えているのだった。
だが頭を抱えたところでハコ不足が解消するわけではない。
そこに口を挟むのは三人にはお門違いだ。
要望をあげるのは盛んにやれるし、その手を抜くつもりはないけれども、あくまでも三人は客の立場。自分たちの都合を強く押し付けることは不可能であった。
そうした三人のもとにアイ氏がやってきたのは、必然だったのかもしれない。
「リングの上にハコを立てるのですか」
えいち氏は訝しげにアイ氏に言った。
じっさいに正気を疑う提案だった。
「世はエス・ディー・ジーズですからね」
アイ氏は妙な具合に上がった口角を歪めながら言った。
「イベント終了後には解体する方向だったのですが、有効利用せよと言われまして」
三人はその言葉を黙って受け止めて、構想に基づく模型をかこんで見下ろした。
大屋根のリングの上に、というよりもリングを囲むようにして組み立てられたそのハコは、中心部にステージがあり、360度全周を客席が囲むという設計になっていた。付け焼き刃なのがよく分かる。
「このステージ構成は変えられますか」
「変えられませんが?」
ディー氏の疑問にアイ氏は何を愚かなことを、と言わんばかりに答えた。
逆にうろたえるのはディー氏である。これでは興行主のアーティストやタレント・歌手が望むようなステージを建てられない。
「このステージはあくまでも非常用であることをお忘れなく」
非常用だから、最低限の設備で良い。アイ氏は本気でそう考えているようだった。
中央部のステージは移動できない。
ステージまでの導線も観客席からは丸見えのむちゃくちゃ。
しかしそれはリング屋根の設計の後に付け加えたものだから、ステージの利用者都合での階層は考慮されない。
よくぞここまで酷い条件を詰め込んだものだ、と逆に感心する三人を尻目に、アイ氏は自画自賛する。
「これぞ関西を代表するハコだ」と。
アイ氏以外の三人は顔を見合わせるしかなかった。
それでもあえて三人を代表して、エイディシが懸念を伝える。
アイ氏の率いる府の政権与党が肝いりですすめている事業に対する慎重論の表明が、この先の関連事業の受注に不利益になることは覚悟している。
「こんなハコじゃ、使いたがる人だれもいませんよ」
「作る前から何が分かる!」
エイディシのおそるおそるの懸念の表明に、アイ氏は火がついたように怒り出した。ハコを欲しがってるのはお前ら! 作ってやるのは俺たち政治家! 感謝というものを知らんのか! などなど。
「ハコの負担はしないくせに、要望だけは出す。本当にどうしようもない連中だな!」
アイ氏はそう捨て台詞を残すと来たときとおなじくらいに急に居なくなってしまった。
狐に包まれたような顔をしていた三人も正気に戻り、善後策を話し合う。
話し合ってはみたがどうしようもない。
ハコがないのはどうしようもないし、その代わりのハコがろくでもない。
このまま衰退は免れないということなのだろう。
アイ氏ののこした模型をイジりながらディー氏は言った。
「こうやるとコマみたいですね」
リングの大屋根の上に設えられたハコの縁を掴んで回すのを続けていたが、言い終わると勢いをつけてハコを回し始めた。
ディー氏の手を離れたハコは抵抗をものともせずに回転しながら浮かび上がり、やがて回転軸から外れてリングの屋根から転げ落ちた。
実物のハコも、これくらい派手に壊れてくれれば使わずに済むのだが。
誰とも言わず、3人はおなじ願望を抱く。
元は同じハコにそれぞれの野望を詰め込もうとしていた三人の現在地としては、ソレはあまりにも物悲しい答えだった。
足りないハコはどうする 眞壁 暁大 @afumai
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