赤いおうち ~杉崎と俺の不動産日記~
黒川十九彦
上編
1
駅前の住宅地なんてだいたい見通しがいいんだよ。
壁と壁、電信柱と電線、駐車場。いたるところに隙間がある。広々とした庭や放置された古家もあって、庭先のパンジーは見事に咲いているけれど、本当にここって人が住んでいるのか不思議に思う。電車の音だけガタンゴトン。誰かすれ違えって、俺は心の中で祈る。不動産選びで第一印象は肝心だ。野良犬は最悪だ、と社長から聞いたことがある。それだけで寂しい気分になるってもんだと。俺は笑顔を絶やさない。空だけは晴れていた。
「電車の本数が多いですね」
後ろからついてくるお客さんたちに、声をかける。四組の新婚夫婦は300メートル歩いていないのにもう友達同士みたいなフンイキだ。ニットのトップスにフレアスカートを合わせた綺麗な妻につきそうチノパン爽やかな夫。よしよしよい兆候。ニコニコ、笑顔。
「都心部に移動するのに不便はないですよ」
素敵な条件を必ず口にする。せっかくの内覧会だ。楽しい気分が大切ってことなのさ。
「ご来場ありがとうございます。。こちらが当社お薦めのおうちです」
木々に囲まれた土地が左手側に急に現れる。柵も塀もない空き地の奥に建物が現れた。
小さな家だった。
赤い切妻屋根に縦長半円形のドア、左右に小さな窓。壁もない空き地に急にこんな物件が出てきて、皆ぎょっとするんだ。でも女性陣の反応はにたりよったりだ。
「絵本のおうちみたい」
ふん。
そうだね。俺もそう思ったさ。一歩、土地に入ると、電車の音さえ小さく聞こえた。
ドアが口で両サイドの小窓が優しい目だ。でも二階の小さな窓があるのは誰も気にとめてないみたいだ。殺風景な地面には申し訳程度の雑草が生えている。もうガレージを作る計画を立てている夫婦がいる。必ず私の後をついてきてくださいね、と俺は先導する。目標は単純だ。今日こそ全ての部屋を案内してやる。ぞろぞろとお客様ご来場だ。お、とうれしそうな声が出るお客様。いいでしょ? クロスは全部張り替えたんだ。玄関からすぐ階段がある。廊下にはトイレ、洗面に浴室、奥にオーブンつきのキッチン。他にもいろいろ。
御案内するのは仲良し新婚家族。このハッピーなフンイキが事態を変えてくれるんじゃないかと祈るような気持ちだった。俺はけっこうな客をここに案内したと思う。特に覚えているのは最初の二人。一人目はリスカ痕の深い女学生で二人目は親に死なれたばかりの中年男性だ。どっちも家に選ばれなかった。
へえ、ほう、とか感心する男性陣に俺は声を張った。
「順番に御案内します。くれぐれも勝手に二階にあがったりしないよう」
ここまで話したとき、もう手遅れだった。
ピカピカのオーブンの蓋を開けようとしたときビターンと音がした。
しってるか? 土の上でも、ちゃんと叩きつけるような音がするんだ
悲鳴がする。誰かが二階の窓を開けっぱなしにしている。
やれやれ。
俺は慣れた手つきで119番をする。大変だ! と二階に上ろうとする男の肩を掴んだが振り払われた。どこに行くんだよ。二階行ってなにするつもりだよ。俺は渋い顔で交換手に言った。
「赤い屋根の家からです。ええ。二階の窓から」
外を見るまでもない。
内覧客が次々と飛び降りているのだろう。二階の、あのかわいい小窓から。
「クロスも綺麗にしたのに」
俺は呻く。まったく、このおうちは。
「いったいなにが気に入らねえんだ」
2
事故物件なんて言葉がある。怖い話によくあるアレだ。呪いが云々、幽霊が云々。そんでこの業界でちょっとした噂のやつがこれ。
赤いおうち。
見た目がメルヘンなのに、内見に行った客は皆、二階の窓から落ちる。説明している目の前で、客が窓を無造作にまたいで飛び降りる姿を想像してくれ。したくない? そりゃあそうでしょうよ。でも俺はもう2回見てるんだ。
東中野駅を下りて大きな通りを渡り、線路沿いに少し歩いたところにある対象不動産が俺の職場だ。磨りガラスの引き戸を開けるとなかには四人が腰掛けられる茶色い革張りのソファがある。更に磨りガラスのついたての向こう側に俺ともう一人の同僚のデスクがあって、その去らに奥に社長のデスクがある。昭和の頃からこのレイアウトは変えてないらしい。変わってるのは入り口に置かれたばかでかいモンステラの鉢。
「大規模内覧会もダメだったかあ」
とのんきに同僚の杉崎が言う。杉崎はこの事務所の後輩だ。我が大正不動産は昭和の過渡期に生まれ、平成の世を漂流し、令和に流れ着いた。児玉某と丁々発止にやりあったという先代社長は建て売りの名手で今は娘に店を譲っている。俺と杉崎は社長の趣味で似たようなスーツを着ている。少し青みのダークスーツで、婚になりすぎないシュッとした服装だ。
杉崎も1回あそこを案内している。ただ俺と違って、こいつは優秀だ。落ちてくる顧客を受け止めたんだから。助かったプロレスラーを敷地の外に引きずり出して、もうこれ以上は無理、と悟ったそうだ。そんで俺におはちが回ってきたってわけ。
「手伝いに行った方がよかった?」
「8人全部受け止めるつもりかよ。お前」
杉崎は俺にコーヒーを淹れてくれた。ついで、というやつだが、おそらくねぎらいの意味もあるのだろう。御礼を言って、ペーパードリップで雑に淹れたカップ一杯を啜った。
いい物件なんだ。それは間違いない。駅から徒歩で通えるし、庭に手をいれれば素敵な花壇にもガレージにもなる。キッチンは子豚もチキンも丸焼きできるオーブンがある。がらんとした二階にはベッドを置くも安らかに眠るも思いのままだ。秘密の地下室まである。ただ。
そもそも存在が厄い。
のぼりを立てても、絶対に立ってられない。『内覧会』ののぼりをしっかり立ててもすぐに倒れてしまう。まるで来客を拒むかのように。だから駅まで内覧客を案内する必要があった。チラシ配ってお客様来て下さいじゃたりないのだよ。
救いは、目の前で起こるショッキングな出来事のわりに、飛び降りた奴は全員怪我で済んでいる。死んだやつもいなければ、弊社を訴えたやつもいない。この物件を本腰いれて売り始めてもう10ヶ月ちかく経つ。何度か同じ通報で呼ばれた救急隊の方々の虚ろな目つき以外は、まあ不利益はないね。社長の話ではあの家を探りに行った公安の方々も二階から落ちたそうな。やんぬるかな。でもこれって当社関係ないよね? やんなっちゃう。
「まあ命に別状はなくてよかったよ」
「命あっての物種だもんね」
杉崎はしんみりする。そして奥の大きなデスクをちらっと見た。
「とはいえ、とっとと売らないとね。維持費もバカにならない」
社長は、怪しげな拝み屋と一緒に赤いおうちにお出かけ中だ。坊主、神主、修験者、ヨガマスターときてついに拝み屋だ。ついでに売れない物件の維持費もバカにならない。そもそもこの物件をどうやって手に入れたのか、社長すら覚えてない。夢のなかで貰ったとかそんなことを言ってた。夢でどうやって手に入れるのさ。俺も変な夢をよく見るけど、おうちが、僕を売ってって売り込みにきたことは一度もない。夢の内見も必要かね。
「それにしてもさ、どうしてあの家売りたいと思うの」
と杉崎がもっともなことを言う。その返答は、即答だ。
「そりゃあ杉崎くん、全てのおうちは持ち主を待っているからさ」
人が住み心地の良い場所を探すのと同じく、住居建物おうちに至るまで、住んでくれる誰かを待っているというのが俺の持論だ。だからこんな呪われてるとしかいえない赤いおうちを俺は売りたいと思えるわけだ。いろんな手をつかって。
始めの二人はあまりに暗かった。その暗い気持ちが膨らんで思わずアイキャンスカイしちゃったのかと思ったんだ。なら明るいキャラにしぼればいい。明るいキャラが一人じゃダメなら幸せカップルはどうだ。幸せカップルが続けて飛び降りるのを見た俺は、新婚さんに目をつけた。それも一組や二組じゃないぞ。一気に四組だ。家も化粧直しをし、一部を除いてリノベーションした壁のクロスをかえ床も張り替えた。それだけでも結構金がかかったが、このおうちにぴったりのお客様と出会えるように手は尽くした。リノベを頼んだ作業員は誰も飛び降りなかった。このおうちの悪評は結構鳴り響いて、最後にきてくれた業者もあまりいい筋の手合いじゃなかったけれど、ご安全に作業が終わった。皆、いい子に仕事をしてくれた。タバコを吸いながら作業してるのを見たときは、手抜き作業するんじゃないかと思ってたけれど、そんなのははじめの一日目だけだった。
さてどうしたもんかと俺は考える。社長が頼んだ拝み屋が上手くいくなんて考えてはいなかった。
はたしていま、ガラガラっと事務所の硝子戸が開いた。真っ白な髪を肩まで垂らした女社長が、ノリの効いたスーツに不機嫌をストール代わりに纏って自分の席に向かう。
「失敗だ」
杉崎が即座に淹れたお茶に手も付けず、社長は眉間に皺を寄せる。
「拝み屋も飛び降りた」
杉崎と顔を見合わせた。あいつも同じ事考えてた。予想通り。
さあて。
いよいよ万事休すってやつだ。
3
杉崎はいつも清潔な襟をしたシャツを着ている。ボブカットの裾から見える真っ白い首筋を見るたびに、こいつは生きてる影だと思う。モノクロになることで実体化した影みたいな女だった。スーツを着こな杉崎の佇まいはフォーマルな場所で様になる。服の着こなしは葬儀屋が似合う。ただし面接に行けば即座に落とされるだろう。こいつのなかにある世の中を愉快なものだと認識する舐めきったお気楽さは、おはぎの小豆が全殺しか半殺しかわかる程度には明らかだったから。
一方こいつは、ちょっとした能力者ってやつだ。杉崎から特別になにか聞いたことはない。ただ彼女は俺がたまに変な夢を見ることを言い当てたことがある。俺は見えていて見えていないものを、夢のなかで再構築する能力があると言うのだ。大学受験のあとで、夢のなかで答え合わせしたり、初デートのあとで墓に入るまでの人生のダイジェストを見たり、畳の上で黙々と飯を食うお婆ちゃんを見たりしたのもその能力のせいらしい。もっとも当のお婆ちゃんは畳の床板の下で乾いていたわけだが。
そのお婆ちゃんの亡骸の場所を言い当てたことのある杉崎が評するには「大勢は意表突かれたけど、若い夫婦の内覧会をやったのはナイス」ということだった。
俺達は東中野の新宿寄りにある焼き鳥屋で、肩を並べて飲んでいた。といっても俺は酒に弱い。バカでかいジョッキ一杯の発泡酒をちびちびとやってる。
「ようするにね。あそこはすごい暗いフンイキがあるのよ」
と杉崎は言った。
「だからね。気持ちで負けないように、ハッピーな人たちを選んだのはいいチョイス。長くそこに住んでくれそうな人を選んだのはよかったと思うの。あと子供いない夫婦を選んだのもよかった」
「ありがとう」
なんの慰めにもならないと思いながら、俺は焼き鳥を囓った。カリッと焼かれた三角が口のなかで弾ける。美味しい鳥の脂。ああ、ずっと噛んでいたい。杉崎は同意してくれた。特に塩で食べるとおいしいよね。
「今回はみんな捻挫くらいですんでよかったよ。以前の2回は足と腕折ってたんでしょ?」
「社長のときは客のあばら骨が丸々いっちゃってたってさ」
俺の担当した二人も似たようなもんだった。親の遺産でマンションから引っ越したいと言っていたおっさんは足首が取れかけてた。リスカ痕の深い長髪の女は「選ばれなかった! 選ばれなかった!」と泣いて足をバタバタさせてた。なんだこいつ。わけわからん。
俺はため息をついてジョッキに残った発泡酒を飲み干した。シェアしたポテトサラダの残りを失敬して、青い胡瓜の漬物を囓った。もう家で一眠りしなきゃいけないのに、ここでぐずぐずしていた。
「まあそれと比べればマシってもんだ。不思議なもんだ。誰も死んだ奴はいないんだもんな」
そう呟いて、俺はちょっとイヤな気持ちになった。もしかしてさ、杉崎。
「もしかしてあの家、それに耐え抜いた奴が手に入れられるって話なんじゃないのか?」
「は?」
明らかに馬鹿にした杉崎の態度にめげずに続ける。
「だとしたらさ、あたしゃこう言うね。怪我したのはラッキーですよ! あなたがこの家に気に入られてる証拠です!」
「なにいってんの。フフ」
杉崎は串から抜き取ったネギをくちゃくちゃ噛む。
「なんで家が、そんな試練をうけさせるのよ。普通なら自分を大事にしてくれる人を選ぶでしょ。そんなお行儀のいいとこじゃないよ、あそこ。
もっと人間を玩具みたいに扱ってる」
「じゃあどうすればいいんだよ」
ふてくされた俺に杉崎は「こっそりあたしもついてってあげるよ」と俺の肩を抱いた。「そんでお客さんが二階から飛び降りそうになったら、119番してあげる」
「おまえふざけんなよ」
ため息ついて俯く俺の背中を杉崎はぽんぽんと軽く叩いた。
「今日は泊まってっていいよ。またイヤな夢見るでしょ?」
杉崎の言うとおりだった。
あの家に行くまえには決まった夢を見る。
灰色のおうちのドアはいつも開いている。
俺はそこを巡って、翌日の内見に備える。
地下室を見つけたのも、夢のなかだった。
「どんな夢見るの?」
何気ない口調で杉崎が尋ねるので俺は笑顔で応えた。
「忘れた」
忘れるのにイヤな夢なのかよ、と彼女は俺の背中をポンポンしてくれる。
俺は彼女の好意に甘えて泊めて貰うことにした。杉崎は俺にパジャマをかしてくれるのだがいつも笑う。無駄に長い俺の手足がはみ出るからだ。彼女の側で寝て、夢は見なかった。翌日休日返上で、本当についてきてくれた。
ところがそんな風に杉崎が気を回してくれたのに、彼女が救急車を呼ぶことはついぞなかった。
内覧会の参加者は誰もいなかったのである。
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