新宿内見漂流記

大塚

第1話

「また窓ガラス割られたんですよね……」


 仕事の打ち合わせのためにカフェで顔を合わせた不田房ふたふさ栄治えいじは、困り果てた様子で眉を寄せ、それでも口の端には笑みを浮かべてそんな台詞を吐いた。窓ガラスを、また。テーブルの上に台本と、今回の公演のための舞台図面を広げていた宍戸ししどクサリは、少々呆れた気持ちで両目を瞬いた。笑い事だろうか。笑っている場合だろうか。


 不田房栄治は演出家で、宍戸クサリは舞台監督である。ふたりとも演劇に関わる仕事をしていて、知り合ったのは半年ほど前のことだ。不田房が演出を担当した公演を宍戸が知り合いに連れられて見に行き、その後の飲み会で意気投合──とまではいかないが、酒の勢いで「自分なら舞台上でもっと柔軟な対応ができる」というようなことを口走った宍戸のことを不田房が覚えていて、ある日突然「次の公演予算はないけど面倒な舞台装置を作りたい。宍戸さん手伝ってくれない?」と連絡を寄越してきたのだ。


 予算はないけど面倒な舞台装置を作りたい。傲慢ではあるが魅力的なオファーである、と宍戸は感じた。


 それで、今日。事前に郵送されていた台本と舞台図面を手に、不田房が「隠れ家」と称するカフェにやって来たのだが。


「窓ガラスを? ……劇場の?」

「いや俺ん家の?」

「……舞台装置の話をするんじゃなかったのか?」

「その話はします。もちろん。あ、煙草吸ってもいいですか?」

「どうぞ」


 レザージャケットのふところから煙草の箱を取り出す不田房の長い指を眺めながら、宍戸も自身の煙草をテーブルの上に置く。灰皿は、最初からシュガーポットや紙ナプキン立ての横に並んでいた。


「で、窓を? なんだって?」

「いや俺〜……宍戸さんってモテますよね?」


 何の話だ。舞台装置の話はどこに行った。

 紫煙を燻らす不田房をじっとりと睨み付け、「別に」と宍戸は唸る。


「言うほどは」

「俺はモテるんですよ! でもねなんか、俺と付き合う子ってなんでか知らんけどみんな怖くなっちゃうっていうか」

「怖く?」

「だから、窓ガラス」


 話が見えるような、見えないような。宍戸も紙巻を咥え、ライターで火を点ける。互いのコーヒーが冷めていることに気付き、店員を呼んでおかわりを注文した。


「朝起きたらもう……別れたはずの子がベッドの上にいて」

「幽霊とかじゃなくて?」


 たまに聞く話だ。だが幽霊だった場合、不田房の言う『別れたはずの子』は既に亡くなっているということになるが──


「生きてる生きてる! 今日、待ち合わせの時間ちょっとずらしてもらったじゃないすか。警察行ってて、俺」

「はあ」


 口調から察するに、一度や二度ではないのだろう。窓ガラスを割られたり、その他何らかの手段で家の中に侵入されたのは。


 不田房には、別に同情はしていない。そういうツラをしているからだ。健康的な肌をした細面に銀縁メガネのハンサム。長めの黒髪をハーフアップにまとめ、未だ顔を合わせて話すのは二回目──一回目は大勢が集まる飲み会の場で、双方かなり酔っ払っていたことを鑑みると今回が初回と言っても間違いではなさそうだ──の宍戸に何の脈絡もなく個人的な事情を開陳して甘えてくる。勘違いする男や女が現れても仕方あるまい。そういう星の下に生まれたのだ、彼は。


「今日」

「はい」

「見れるんですか、劇場の中は」

「ああはい、大丈夫です。昨日まで別の劇団が使ってたみたいですけど、今日は休館日だって」

「じゃ移動しましょう。話は劇場で」

「……はーい」


 おかわりのコーヒーをぐっと飲み干して、宍戸は言った。不田房は大人しく従った。


 電車を乗り継いで、新宿へ。二丁目と三丁目のあいだにある雑居ビルの地下に、その劇場はあった。


「小さいな」


 素直な感想を宍戸は述べる。思っていたよりもだいぶ小さい。客席は70……頑張っても100入るか否かというところ。ステージも然程広くないし、楽屋もひとつだけ。台本によれば今回の出演者はまさかの10人超え。出演までのあいだに楽屋で待機していてもらうのは難しいだろう。


「おっ! 内見っすか!」


 声がかかった。振り返ると、そこには宍戸と不田房より幾らか小柄な坊主頭の男性が立っていた。両耳と、鼻と、右の眉にピアスをしている。それから舌にも。


「あなたが……えっと、?」

「新しい?」

「わーちょっとちょっと檜村ひむらさん! 新しいとか! そういう!」


 慌てて割って入ろうとする不田房を無視し、「以前の舞台監督は?」と宍戸は尋ねる。この劇場──アートシアター・ムーンパレスの二代目支配人だという檜村はコロコロと笑って、


「今朝だっけ? が前回舞台監督やってた子に不法侵入されたの」

「ああ……」


 頭を抱えて崩れ落ちる不田房を見下ろしながら、宍戸はなんとなく合点する。この男は宍戸に声を掛ける以前から、前の舞台監督と痴情の縺れを起こしていたのだ。そのことをこの劇場の支配人・檜村が知っているから──劇場内見前に、わざわざあんな話を。

 ふ、と息を吐く。


「不田房さん立って。俺この劇場初めてなんで、ちゃんと案内してください」

「わ、分かりました……あのー。見ての通り結構コンパクトな劇場で」

「補助席は入れない方がいいと思います。台本読みましたけど、出演者の人数が多い。一部メンバーには衣装を着けた上でロビーで待機してもらうことになると思う」

「話が早い。楽屋見ますか? こっち、上手かみてにあるから、楽屋待機する出演者は自動的に全員上手かみてから登場することになって」

下手しもてには?」

「一応簡単な目隠しを付けることができます。でも、中で待機できるのはせいぜい……ひとり、かなぁ」

「なるほど」


 不田房の説明を聞きながら宍戸は楽屋を覗き、そこから舞台上に上がり、更に下手の暗がりに顔を突っ込んでこの小さなステージ上に作り出せる最大限の世界を想像する。劇場そのものが小さく、不田房曰く予算もない。その上でこの舞台上に作り出せるものと、いえば?


「……歩かせるか」

「ん?」


 宍戸の独り言に、不田房がすぐに反応する。


「何て?」

「舞台上に、こう、木製の通路を作る。可動式のものがいい。大して重たくはならないだろうから動かす役目は俺がひとりでやります、黒子として。出演者に通路の上を歩いてもらうことで、舞台上に奥行きを作る」

「なーる……!」

「え〜、いいね。面白そう。ウチでそういうのやったことないかも〜」


 いつの間に客席に腰を下ろしていたのか、支配人の檜村もニコニコと笑っている。舞台監督として仕事をするに当たって、台本と舞台図面だけでは分からないことが山ほどある。だから宍戸はいつも、劇場の内見を欠かさない。

 目算は立った。檜村に「この度はよろしくお願いします」と頭を下げて、アートシアター・ムーンパレスを後にした。

 さて、次は。


「俺が懇意にしている不動産屋に行こう」

「え? 不動産? なんで?」


 大きな目を更に大きく見開く不田房のハーフアップの尻尾を掴み、「家」と宍戸は唸った。


「不法侵入され放題な部屋にいつまでも住んでるわけにいかないだろう。もう少しセキュリティがまともな部屋を探して、引っ越せ」

「えっ……宍戸さん、まさか俺のこと、心配して……!?」


 途端に瞳を潤ませる演出家の尻尾をぐっと引っ張り、「勘違いするな」と続ける。


「あんたは演出家。俺はあんたに雇われてる舞台監督だ。あんたがストーカーに刺されて死にでもしたら、仕事がなくなって困る」

「な、内見〜! 今日内見できるところがいいな、すぐ引っ越した〜い!!」


 裏返った声を上げる不田房栄治が、宍戸クサリの住む鉄壁のセキュリティを誇るマンションの同じフロアに引っ越してくるのは──また別の話。


 おしまい。

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