見晴らしの良い丘の上、小さな家

タルタルソース柱島

とても開放的な家

 住宅の内見に向かう男は、晴れ渡る空に大きく伸びをする。

 晴れ晴れとした日は気分がいい。

 狭いアパート暮らしから広々とした一戸建てに引っ越す予定・・・・・・いや、もう内見が終わったら即契約するつもりだった。


 ポケットの中のハンコを転がしながら、ぬかるんだ小道を歩く。

 確か木立の向こうに築14年の新居があるはずだ。


 少し住宅街から離れた丘の上にある小さな家、少しばかり特別感があって魅力的だった。


「お待ちしておりました」

木立を曲がり切る手前にぱっちりとスーツを決めた女性が姿勢よく立っていた。

「本日はよろしくお願いします」

お互いに会釈すると連れ立って木立を曲がる。



「・・・・・・え」


男の半開きの口から声が漏れた。

 まるでスプレー缶の最後の噴射のようなかすれた声が。


 え、いや無いんだけど・・・・・・。

 ちょっと洋風気味の赤い屋根の家が。


 男はサッと女性の方を振り返る。

 きれいに切り揃えられた前髪の下で満月のような丸い瞳が不思議そうに男を見返した。

「あの」

「見晴らしが良いでしょう?」

なにか言いかけた男に被せるように女性が笑った。

 それはもう、真夏のひまわりのごとく満円の笑みで。


 見晴らしが良い?

 確かに建物がないので間違ってはいないが、肝心の物件があってこその景観だ。

 なぜ建物がないのか。

「足元気をつけてください。段差があります」

「え、あ、はい。・・・・・・え? 段差?」

男が深く考え込む前に女性の凛とした声が響く。

 思考を妨げられた男は忠告に従って、足元に視線を移す。

 芝生の生え際のような茶けた地面が段差かと言われれば、そうかも知れない。

 わずか1cmあるかないかだけど。


「トントントン」

困惑している男の前をよぎった女性は軽やかにステップを踏んだ。

 変な擬音付きで。


 どういうことだ?

 もしや馬鹿にされているのか?

 はたまた内見が楽しみすぎて夢でも見ているのかもしれない。

 ああ、そうか。それだったら、この初恋の人そっくりの女性不動産ウーマンにも納得だ。

 男は自問自答し、正解かどうかも分からない答えにたどり着く。


 よし、なら最後まで見届けてやろうじゃないか。

 吹っ切れた男は、女性をマネてステップを踏む。

「トントントン」


 確か家の前に木製デッキがあったはずだ。

 きっとそこにいるのだ。

 たぶん。何もないけど。


「こちらが玄関前のテラスと木製デッキになっています」

「へえ・・・・・・」

芝生がハゲた茶色の地面を見渡して嘆息する。

 なんも無いやん。


「がちゃ」

続けて女性が何も無い空中でドアノブを回すような所作を取った。

 そこ、ドアノブなんだ。


 そのまま女性はズンズンと奥に進む。

 え、土足で上がるの?

 だいぶ思考が毒されてきた男は驚愕に目を見張る。

 洋風の家とはいえ、その歩きにくそうなピンヒールのまま室内に入るとはどういうことだろう。


 一瞬、悩んだ男は湿り気を帯びた土の上を歩くことを拒んだ。

 結果、土足で女性の跡を追う。


「こちらが日当たり良好なリビングになります」

「うん。まあ。良好なのかな?」

ぶっちゃけ壁も天井も何も無いので日当たりは良好だ。

 なんなら切り干し大根ができそうだ。

「そして、隣が開放的な書斎です」

「風通しが良さそう」

全く書斎の内部が想像できない男は無難な感想を漏らす。

 きっと天井が高くて、風通しが良いのだろう。

 知らんけど。


 結局、何も無い空き地を右に左にウロウロしただけで時間を浪費してしまった。

 さすがに浴室で

「浴室です。大きな窓からは市街が一望できますよ。自宅で露天風呂気分が味わえます!」

などと言い出したときは、

「そりゃ何も無いからな。丸見えだし露天で間違いない」

などと口走ってしまった。


 その時の女性の驚いた顔が忘れられない。

 そしてこう言ったのだ。

「え、お客さん。何も見えてないんですか?」

と。


 いや、何も無いやん。

 あ、そうか。そういう夢なんだ。

「うん。何も」

ようやく最初に言いたかった言葉を伝えた男には謎の満足感が生まれていた。

「そう、ですか」

女性が足元に視線を落とす。

「良かった! 何も無いのに必死で案内していた自分がおかしくなるところでした!!」

一転、ぱっと笑顔を向ける彼女の顔は晴れ晴れとしていた。

 逆に男の表情が曇る。

「え、どゆ事? 物件は? え、これ夢じゃないの?」

「分かりません! 朝来たら建物が無くなっていました!!」

腰に手を当て声を張り上げる彼女は前髪に隠されたおでこを見せる。


 赤く腫れていた。


「私も悪夢だと思って電柱に頭突してみたんですけど、現実でした」

「現実・・・・・・」

「でも良かったです! いやあ、お客さん何も言わないから私だけおかしくなったんだと思って」


「ところでどうですか? こちらの物件! 今ならなんと好きなだけ開放的な家が建てられますよ!!」

鼻息荒く迫る女性に男は固くハンコを握りしめた。

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見晴らしの良い丘の上、小さな家 タルタルソース柱島 @hashira_jima

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