無駄金持ちの悦楽

狛咲らき

面会室にて

 陰謀論と聞くと、自身が大して特別な人間でないにも関わらず、「政府や闇の組織から思考を読み取られている」と思い込んで頭にアルミホイルを巻く痛々しい中二病罹患者がイメージされるが、実際には様々な陰謀論が世に蔓延っている。


 近年ではやれワクチンにはマイクロチップが含まれているだとか、やれ政府が人工地震を起こしたのだとかと話題になりはしたものの、そのほとんどが事実無根であることは言うまでもない。


 ……先日、日本から離れた某国にて、ひとりの陰謀論者が演説中の議員を襲撃した事件が起きた。幸いにも犯人が銃を懐から取り出す瞬間を警備員が目撃したことで未遂に終わったものの、あと数秒遅ければ凶弾が議員の胸を貫くところであった。


 犯人の名前は百日ももい 團馬とんま。30歳、無職の男であった。彼は現行犯で逮捕された後、警察やメディアに向けて、恨みがましくこう言い放った。



「今回は失敗に終わったが、いずれは憎き大統領の悪行を日の下に晒し、裁きを与えてやる」









「おやおや、お久しぶりですね」


 某国の留置所の窓口に訪れたシルクハットを被った恰幅の良い男を見て、警察官が声を掛けた。


「本日もまたご面会をご希望で?」


「ああ。先日とある議員を襲った……正確には未遂に終わったが。ともかくニュースになった彼を」


「トンマ・モモイですね。少々お待ちください」


 警察官は窓口の奥へと消え、しばらくすると戻ってきた。


「お待たせしました。こちらへどうぞ」


 彼の案内の元、シルクハットの男は廊下を進んだ。

 長い長い廊下の先。突き当りを右に曲がったその先。ふたつある面会室の内の奥の方の部屋の前で、警察官は立ち止まった。


「この部屋です」


「ありがとう」


「あと、いつものように中の者は出払っております」


「本当、助かるよ」


「……毎度ながらですけど、本来は固く禁じられているんですからね。毎度貴方が我々の捜査に尽力してくださるから、特別に許可されているのですよ」


「分かっているとも。君達の信頼を崩すような真似はしまいさ」


 警察官は頷き、扉を開けた。


「留置番号014。面会人を連れてきたぞ」


 面会室は一般的な造りと同様であった。

 部屋を1枚のアクリル板で隔て、手前に看守が会話を記録するための机と面会人用の椅子が置かれてある。そして板の向こうに被疑者の男が座っている。


 彼はシルクハットの男の姿を認めると、感動に打ちひしがれたように立ち上がった。


「あぁ、あぁっ……! やっぱり! やっぱり来てくれたんだな!」


「何を言う。友の窮地に駆け出さないような愚か者がどこにいるというのだね」


「友! あぁ、私がこんな身になっているというのにも関わらず、それでも君は私を友と呼んでくれるのか!」


「まあまあ、落ち着きたまえ。君がどれだけ手を伸ばそうと、そのガラスを突き破ることはできないのだから。それに面会時間も限られている。天下の警察官様の怒りを買う訳にもいかないだろう?」


「あ、あぁ。そうだな……すまなかった」


 彼がおもむろに座り直したのを確認して、シルクハットの男は警察官に目配せをした。警察官は頷き、「それでは私はこれで」と面会室を後にした。


 面会室にて、被疑者とその知り合いがふたりきり。本来ならばあり得ないことだが、シルクハットの男は悠然とアクリル板のすぐそばまで歩み、被疑者──百日と向かい合わせになるように椅子に腰掛けた。


「随分と大変なことになってしまったようじゃあないか。あのニュースは本当なのかい?」


 静かな部屋の中でそう切り出すと、百日は興奮しながら再度口を開いた。


「あのクソ議員のことか? どうだ、世間の評価は? クソ議員や大統領の真実は明るみになったのか?」


「いや、残念ながら。ただの君の独り善がりの暴走としか思われていない」


「そんな! マスコミは俺の雄姿を、真実の言葉を報道していないのか!?」


「いや、したとも。あれを雄姿といえるかはさておき。演説中の犯行だったこともあって、テレビやSNS上で君が捕まるシーンはもう何百万、何千万と再生されているよ。逮捕された後に話した動機も一緒にね」


「じゃあなんで……」


「メディアは君のことを出汁にして、そのまま陰謀論の解説やそれに引っ掛からない方法とやらを紹介していたよ。君がどう望もうと未遂に終わってしまったからね。ネット上でも君の行動よりも逮捕後に犯行予告をするという奇抜さが話題になりはしたが、数日経てば飽きも回ってこよう。今や世界は、まるで君のことさえも忘れてしまっているかのように平穏無事さ」


「クソッ! やっぱりどこの国でもマスゴミは不都合な真実を隠蔽する! 結局、俺がやったことは全部無駄だったってワケか。あれだけ時間をかけて準備してたというのに!」


 百日は自分の脚を、まるで机に対して行うように力強く叩いた。


「あの時、銃を抜いた瞬間をSPに見られていなければ、あのクソ議員を、ひいてはあのクズ大統領を……」


 ぶつぶつと不穏なことを呟く百日にシルクハットの男は宥めるように言った。


「気持ちは分かるさ。君は運が悪かっただけ。誰でも生涯の中で何度か起こり得る不運に、偶然見舞われてしまった。仕方のないことさ。しかし事実として、君は世界に革命を起こす英雄にはなれなかった。凡百の活動家と同じようにね」


「申し訳ない……大統領を粛清するという目的を果たす前に、こんなことになってしまった。あんたの悲願でもあっただろう?」


「なあに、気に病むことはない……それにしても、随分と見違えたものだね」


 シルクハットの男は毎朝手入れしている自分の髭を弄りながら、柔らかな笑みを浮かべた。


「数年前の君は、このような大それた行動を起こすことはさることながら、銃社会のこの国に渡ることも憚るほどに小心者だったと思うが」


「……懐かしいな。あの頃はまだ俺も日本にいたっけ。確か就活に失敗して居酒屋でヤケ酒呑んでた時に、あんたが声掛けてくれたんだよな」


「ああ、そうだったね。随分と酔っぱらっている学生が見えたものだから、何事かと心配になったのを覚えているよ」


「ん? いや、当時俺は大学卒業後2年くらいニート生活してたから、全然学生じゃなかったぜ? 見れば分かるように、よく老け顔って言われるしな」


「あ、いや……私の目からは学生に見えたということだよ。君がどれだけ中年男に近い外見だろうと、私からみればただの好青年さ」


「あぁ、そういうこと。でもそこが人生の転機だった。あんたに会ってから、見える世界が大きく広がったんだ」


「最初はあまり信じてはもらえなかったがね」


「そりゃそうだろう。いきなり『彼の国の大統領は、A国とS国の戦争を長引かせる為に密かに両国に武器を渡し、年々増え続ける戦争孤児を陰で売り捌いて私腹を肥やしている』だなんて言われても。たとえそれが本当でも、他国の人間の俺からすれば対岸の火事みたいなものだったしな」


「しかし、君はこの国にやってきた。それはどうしてかな?」


「それは……あんたに信頼されてるからだよ」


 百日は静かに言った。


「家から追い出され、仕事もない。親からは勘当され、頼れる友も当時はひとりもいなかった。もう終わりだと思って、自殺しようとも思っていた中で、あんたが助けてくれたんだ!」


「なぁに、気にすることはない。有り余る無駄金の使い所を考え倦ねていたところだったのだよ。飯を求める者がいればシェフを呼び出し、路頭に迷う者がいれば、我が家ヘ招き入れる。それが無駄金持ちの義務、ノブレス・オブリージュというやつさ」


「おお、やっぱりあんたはどこぞの大統領と違って高潔な精神をお持ちの御仁だ! あんたが政治家だったら間違いなく国のトップに上り詰めてただろうに」


「しかし世界はそう甘くはない。それは君もよく知っているだろう?」


「……あぁ。少なくとも、あの不俱戴天の敵が生きている限りは」


 またしても、百日の語気が強まった。

 拳を固く握りしめ、その表情は怒りと悲しみが半々といった具合だった。


「あんたのことを信用して、ちゃんとあんたの話を聞くようになってから、ずっとあの大統領のことを憎んでいる。なのに、日本の街行く能無しの情弱共は、皆してあの野郎のことを良き政治家だと口にする。この国の愚民共もそうだ! 自分達の大統領なのに、何も知らずに呑気に最高の大統領だと祀り上げる! こんな馬鹿な話があるか!?」


「だから、君は自分が正しいことを証明しようと、このような行動に出たのだね」


「あぁ。そういえば、計画のことはあまり話してなかったよな? ほら、あんた教えてくれただろ? あいつは大統領の腹心で、あいつ自身も例の闇に加担してるんだって。奴を倒すことが、大統領への宣戦布告になる。だからあれは俺なりの警告でもあったんだ。『さっさと罪を受け入れろ』ってな。言っておくが、今回だけで終わるつもりはないさ。あいつがビクつく顔を見れるなら、俺は何だってやるつもりだぜ。たとえこれからム所に入ることになっても、今度は必ず──」


「そうかそうか。それほどまでに君は大統領のことを憎んでいるのだね。わざわざ日本から海を渡ってまで大統領を打倒しようとするほどに」


「いやいや、それくらいはあんたも知ってるし、あんたの方が奴のことを憎んでるんじゃあないのか? 戦争や戦争孤児を利用して私腹を肥やして、大金を積んで政界をのし上がって来たのが、あの大統領なんだから。到底許せるはずがないし、この国出身のあんたなら尚更だと思うが」 


「そうかもしれないね。しかし世は民主主義の平和主義が横行する社会だ。あのように暴力という時代に逆行したやり方では、君は世界を救う英雄にはなれやしないよ」


「じゃあどうすればよかったんだよ。誰も俺の声に耳を貸さなかった! 最初は穏便な方法を考えてたのに、何を言っても俺のことを馬鹿にして、協力はおろか賛同なんてほとんど貰えなかった! ネットでは大統領に文句を言う輩も決して少なくなかったのに。そりゃそうだろうさ。愚民共は真実よりもそれを言った者のことを重視する。俺みたいなニートとか社会的に底辺な人間には、信憑性も人を惹きつけるカリスマ性も、ハナから持ち合わせていなかったのさ」


「それでたったひとりでの暴力を選んだと」


「けれど俺自身はそれで構わない、とは思っているんだ。フランス革命に倒幕運動……歴史を振り返っても巨悪を倒すのはいつだってマイノリティや弱者の武力だ。俺は過去の偉人達に倣って革命を起こそうとしたまでさ」


「君の行為の理由でそれらを例示することには些か疑念の余地があるがね。しかし現実として君は、君が掲げる正義や不正を働く大統領への義憤によって遥々ここまで来たにも関わらず、成果なんてものすらも挙げられず簡単に捕まり、あまつさえ君の存在そのものが世間から嘲笑され、忘れ去られようとしている。歴史を創って来た偉人達にはなれず、大言壮語を連ねるばかりの犯罪者になってしまったという訳だ」


「なんだよ、わざわざ分かりきったことを改まって……笑いたければ笑うがいいさ。毎晩孤児の運命に涙を流し、彼らを憂いて猛進した道化だとな」


「道化……道化か」


 それを聞いたシルクハットの男は俯き、トレードマークの黒い絹帽で顔を隠した。


「そうだ」


 百日は、彼が自分の友人が皮肉を言ったことを悲しんでいるのだと思い、申し訳なさから本題に移った。


「頼みがある。というより、あんたもそのつもりでここに来たんだろうが」


「……何かね」


「俺をここから出してはくれないか」


「まさか脱走に加担しろ、という話ではないね?」


「そんなまさか! 恩人のあんたにまで罪を負わせるようなことは頼まないさ。優秀な弁護士と保釈金を用意してくれよ。さっさとこんなむさ苦しいところから出て、次なる策を講じなくては」


「なかなか懲りない男だな」


「そりゃそうさ、大義の為なんだから。それで、頼めるか? とはいえ、あんたも大統領のこと恨んでるし、こんなこと訊く必要はないと思うが」


「ああ。断るよ」


「あぁ、そうか。断る……」


 百日は大きく目を見開き、叫んだ。


「断るだって!?」


「ああ。そんなに大きな声を出す必要もあるまい。何も突拍子もないことを口走った訳ではないのだからな」


「いや、そんなはずは……何故だ! あんたはあんなにも孤児のことを憂いて、大統領への怒りを何度も俺にぶつけていたというのに!」


「……」


「海外に行くまでの出費も立て替えてくれた。襲撃の準備にも協力してくれた。それはあんたも俺の野望が果たされることを望んでいたからじゃあないか!」


「……」


「俺が失敗してしまったからか? 俺のことをちっとも頼りにならない奴だって見限ってしまったのか? でもたった一度の失敗でそれはちょっと薄情過ぎやしないか、兄弟? かれこれ5年以上の付き合いじゃないか」


「……」


「あ、あんたには山程の借りと恩があるってことは分かってるよ。裏を返せば、それだけあんたは俺に期待してたってことだろ? いつも俺に言ってたもんな、『君には君さえもまだ知らない特別な力がある』と。こんなどうしようもない俺を助けてくれたのは、そういうことなんだろ? だから俺は、あんたの期待に応えられるように、今までの借りを返せるように、大統領をとっちめようとしてるんだ!」



「…………ふむ、言いたいことはそれだけかな?」


 沈黙がひとしきり面会室を支配した後、シルクハットの男は言った。


「君はいくつか勘違い、ないしは間違いをしている」


「勘違い?」


「まず第一に。私は大統領のことをこれっぽっちも恨んじゃいない」





「……は」


 彼の言葉に、思わず百日の口から素っ頓狂な声が漏れ出た。


「何、言ってんだ。あんたが言ったんじゃあないか。大統領の悪行を、裏の顔を、大統領への怒りを!」


「どうしてあれほど偉大で民衆に寄り添う高潔な元首ヘ不満を漏らす必要があるのだね? 君は革命に成功した者らを偉人と崇め、大統領やこの国の人々を散々と馬鹿にしているが、私に言わせてみれば、彼こそが偉人であり、さらなる国の発展に貢献する最高の革命家に違いないのだから」


「な、何を言って……ま、まさか今になってビビってきたのか? 俺が捕まったから、協力したあんたも捕まってしまう、と。だからそんなふざけたことを──」


「うむ? これは私の本心だよ。そもそも何を恐れる必要があるというのだね? 私は君が渡航するを渡した。計画とやらについても、議員の演説日や場所を教えたまで。調べればすぐに分かることだ」


「け、警備員や護衛は!? あいつらの正確な人数と位置を事前に教えてくれたじゃないか! だからこそ俺は、今回の計画を実行に踏み切ったんだ!」


「ああ、そんなことも話したね。あれは事前に私と警察長が話し合って決めたガセだよ」


「ガ、ガセ!? いや、それよりも!」


 次々と聞かされるシルクハットの男の信じがたい話に、百日の背筋にすーっと、冷たいものが流れ出た。


「警察長だって……!? どうしてあんたがそんな奴と話を」


「無駄に問わず金を持つと何かと縁が広がるものでね。彼とは数年前からそれなりに親交を深めているのさ。だから君のような一般人……おっと、。ともかく普通ならばできないことも容易くできるのだよ。それに事実として、私はテロを未然に防ぐことができたのだしね」


「……俺を止めたSPは、ハナから俺のことを監視してたということか。事前にあんたが通報していたから!」


「マッチポンプとは言わないでおくれよ。金銭的な意味ならば私は損しかしていないのだから。あと、今回の事件が自分の失敗だと思っていることも、多々ある君の勘違いのひとつだと指摘しておこう。まあ、そもそもこの道を選んだのは君自身な訳なのだから、この数年間の日々そのものが失敗とはいえるのだが」


 ニヤリ、とシルクハットの男の口角が上がった。


 百日はもう何も分からなかった。今まで信じてきて、協力もしてくれた男が、急に掌を返してしまった。それまでの間、彼はずっと自分のことを支え、何度も何度も大統領の陰謀を嘆いていたというのに。


『ああ、本当に! なんと反吐の出ることか! どうしてあの邪悪が我が国の元首と認められているのか! 外道の外道を征く所業を平然と行う、人間として堕ちるところまで堕ちた猿以下の男がッ!』


 そう叫んでいた彼が、何故。


「……何が、何が目的なんだ! 俺を海外に連れ出して、警察に媚び打って捕まえて! 戦争孤児のためにと奮い立つ善良な市民を誑かして!」


「それを言えば、私には君の言っていることが分からないよ」


「なんだと?」


 顔を真っ赤にする百日に、シルクハットの男は目尻を下げたまま両手を広げ、首を傾げる仕草をしてみせた。


「戦争孤児を救いたい、それは分かるとも。いつだって世界の理不尽に虐げられるのは力なき子どもに他ならないからね。しかしだ。ならばせめて無関係な大統領ではなく、戦時中の国々にその思いをぶつけるべきではないかね?」


「無関係? そんな訳がないだろう。ここの大統領が戦争を長引かせてる、それをあんたが言ったんだ」


「証拠は?」


「しょ、証拠?」


「ああ。もしそれが本当なら、世界中で騒がれる大問題だ。しかしそれを示す根拠がなければ単なる君の妄想に過ぎない。拳銃を片手に外へ出るより、家でマンガや小説を書く方が性に合っていよう」


「そ、それは、あんたが教えてくれたから……」


 思いもよらぬ指摘を受け、百日の声が尻すぼむ。が、シルクハットの男は白い歯を見せながらそれを咎めた。


「おいおい、それは証拠にはならないだろう? 私が所謂アカシックレコードのような存在であったり、あるいは全知の神であることが周知の事実ならば多少なりとも信憑性があるかもしれないが、その実、私は一介の無駄金持ちさ。そんな私の妄言が、どうして事実になり得よう?」


「ツ、ツイッターやネットでも見たぜ! 誰も口だけで俺と一緒に革命を起こす気概のないヘタレばかりだったが。それに、そうだ! 大統領から孤児を買う富豪共が経済を裏で操作しているんだ! 現に年々貧富の差は広がる一方で、貧民街の人々は一食をありつくのも苦労していると聞く! 問題は大統領と孤児だけの問題じゃないんだ!」


「それは論理が飛躍しているし、その富豪らが経済を操っているという証拠にもなり得ないよ。それにネット上で多くの者がそう話しているから、というのも根拠にするにはあまりにも弱いと思うがね。ならばそれよりも多くの者が口にするであろう……より具体的に言葉にするのなら、君らを馬鹿にするであろう証言の方が優先されよう。即ち、『そんな事実はない』とね」


「そ、それは……メディアが隠蔽し、大衆への情報統制を行っているからだ」


「ではメディアが情報操作しているという証拠は? 君が実際にその職員として働いていたならまだ分からないでもないが、そうでもないだろう? 何せ君は労働とは無縁の生活を過ごしてきたのだからね。それともまた『誰かがそう言ってるから』とでも言うのかね?」


「……」


「先程から言っていることが滅茶苦茶だと、君自身も思わんかね? これで分かっただろう? 君の信じる陰謀なんて最初から無かったのだよ」


 次第に百日の顔が青ざめていく。

 無理もない。この数年間信じていたものが単なる虚構であったのだから。それも、自分は認めたくないのに、その一方でそれを事実として受け入れつつある自分もいるのだから。


 けれども、百日は思う。


 がっくりと項垂れた彼は、そのまま振り絞るように、しかし芯のある声で言った。


「……それでも、戦争は続いているし、戦争孤児がいることには変わらない。俺が間違っていたなら、あんたの言う通りやり方を変えるまでだ」


「そう、そこなのだよ。本当に私が言っていることが分からないところは」


 え、と百日は顔を上げた。

 目が合ったシルクハットの男は、本当に不思議そうな表情を浮かべていた。


「君は戦争は悲惨だと訴え、戦争孤児に待ち受ける不幸を取り払いたいと、強く固い意志を持ってこの国に飛んできたのだろう? あとは私の恩返しもあったようだが、それはいい。問題は君が私に言ったことだ」


 髭を弄りながら彼は続ける。


「君は自分のことを『戦争孤児のためにと奮い立つ善良な市民』と宣った。しかしそれこそ、ふざけたことに他ならないと思うのだよ」


「どういう意味だ」


「君はこうも言ったのではないかね? 目的は『大統領を粛清する』ことだと。しかしそれは、孤児を救うための手段であったはずだ。大義を抱いておいて目的と手段が入れ替わっているのは、どうも可笑しな話ではないか?」


「それは……その場の勢いだよ」


「大した勢いなどなかったと思うがね。それに、逮捕後の供述でも子どもを助けたいなんて言ってはいなかったじゃあないか。むしろそれこそが、君がいの一番に伝えたいことだったのではなかったのかな?」


 百日は押し黙った。

 その様子を見て、シルクハットの男は楽し気に笑った。


「君の信念なんてその程度なのだよ。本当に助けたい者のことなんて何にも考えず、ただひたすらに、無鉄砲に、己が社会の底辺にいるという現実を変えてやらんと夢を見る。結局は社会に見捨てられた自分でもワンチャンスがあると思い込んでいる革命家なのさ。陰謀論とやらに簡単に泳がされるところも、一般人以下のどうしようもない人間の君らしいじゃないか」


「なんで、そんなことを……」


「事実を事実のまま口にすることの何がいけない? 虚実を事実として騙るよりはずっと善いことだと思うが」


「……あんたがそれを言うのかよ」


「恨みがましそうな顔をしないでくれよ。これにはちゃんと理由があるのさ。さらに言えば、それが君が知りたがる私の目的に繋がるのだよ」


 気分が良いのか、シルクハットの男はその大きな身体を左右にゆらゆらと揺らし始めた。


「何度も言うように、私は無駄金持ちなのでね。無駄金はいくら持っておいても無駄だろう? しかしただ浪費するのも味気ない。もっと有意義に、かつ私自身が楽しめるものが良いだろう……ところで君は、映画は好きかね?」


「急に何の話だ」


「いや何、映画の素晴らしさを伝えようと思ってね。主人公の人生の一部を、あるいは人生そのものを、すぐ近くの視点から追体験できる。勿論作品の多くはフィクションであるが、フィクションであっても人間の心情や感情は、現実に生きる我々と大差はない。言って見れば、彼らは私自身が経験できないことや経験したくないことを代行し、表情や動きでその結果を伝えてくれるのだ。これほど知的好奇心を刺激するエンターテインメントなどそうそうないだろう。

 しかしながら、映画は始まりから終わりまでの道筋が決まっている。監督やら脚本やら原作者やらが、大衆向けにと考えに考えて作り上げられたストーリーだ。私が好む結末や、私が求めている展開にならないことが多々あって、もどかしく感じることもある。もし私が登場人物に私が望む道へと誘導できれば、より面白くなるというのに……君も一度はそんな風に考えたことがあるのではないかね?」


「……何が言いたい」


「流石の君でももう分かっているだろう? 私にとって君は、直接干渉できる登場人物、エンターテイナーなのさ。君の人生を、君が送るはずだった運命を捻じ曲げ、私が求める筋書きに変えた。要は君は操り人形、あるいは君の言葉を借りるならば道化に他ならないのさ」


「つ、つまり、俺と接触したのは……最初から!」


 シルクハットの男はこれ以上とないほど満面の、それでいて醜悪な笑みを浮かべた。


 そして椅子から立ち上がり、絶望に打ちひしがれる百日の顔をまじまじと見つめながら叫んだ。


「嬉しかっただろう!? 仕事もない、友人もない、何もない自分に、私のような無駄金持ちが救いの手を差し出してくれたことが! そんな自分が、世界の知られざる闇を暴いた気になったことが! 下らない存在だったはずの自分が、いきなり特別な存在になったような錯覚に陥ったことが! 自分の行いの全てが大きな正義であるという都合の良い免罪符を手に入れたことが!

 しかし! しかしだよ、君ッ! これは至極当然の、周知の事実ではあるのだがッ!」


 バンッ、と彼は勢いよく両手をアクリル板に叩きつけ、百日と顔を近づけた。



「真の陰謀というのは、君のような普通社会を過ごす人間には決して知り得ない機密情報なんだ。世の中に出回り、大衆から嘲笑されるような陰謀論というのは、大抵はそれを簡単に信じ込んでしまう馬鹿共を利用するだけの道具に過ぎないのさ」



「…………そん、な」


「受け入れられずともこれが現実さ。おっと、少し話が脱線してしまったね。まあ要は、君への協力に使った資金のすべては、君が私の掌で踊り狂って自ら破滅に向かう様を特等席から観賞するためのチップだったということさ。いやあ、その表情を含めて、中々に楽しませて貰ったよ。やはり滑稽極まる喜劇こそエンターテインメントにおいて至高! 君もそうは思わんかね?」


 法悦に浸るシルクハットの男の視線を百日は浴びる。


 これが夢であれば。しかしこの胸を締め付けられるような苦しみは、間違いなく現実である。そのうえ面会室という閉鎖的環境やシルクハットの男の下衆な声が重々しい圧となって、どうしようもないこの現実から決して目を反らすことができない。


 なんとかしてこの状況から逃げたい。逃げられないとは分かっていても、百日の頭には、さながら走馬灯のように様々な思考や体験が去来していた。

 半ばパニックに陥る彼を見ながら、シルクハットの男は溜息混じりにこう言った。


「私の性格の悪さは自認しているところだが、悪人ではないとも自負している。実際、君が議員を傷付ける前に止めさせた訳だしね。だから当初は、こんなどうしようもない君の自己中心的な頼みに応じるつもりだったのだよ。未遂に終わるのは分かっていたし、おそらく刑も軽くなるだろうと踏んでいたからね。それに、私もその過程をそれなりに楽しめた。期待以上とは言うまいが、チップの分の働きはしてくれた」


「……本当に、助けてくれるつもりだったのか? ならどうして断るなんて」


「どうしてって、君の自業自得じゃあないか。ニュースを見て驚いたよ。馬鹿は馬鹿のまま、身の丈に合った言動を知りもしない。早い話、君は私のコネの通じる範囲を自分から抜け出てしまったのだよ。あのような供述をすれば、警察は勿論司法からも厳しい目を向けられ、より刑が重くなるのはもはや必然といえように……そういうことで、もう君には用はない。私が蒔いた種ではあるが、見事に咲かせたのは君だ。ちゃんと君独りで面倒を見るが良い」


「そんな……! 俺は……!」


「しかしそれで良かったじゃあないか。私の様なに遊ばれて。他の富豪ならばさらにいいように使われて、より悲惨な運命を送っていたことだろう。なあに、たかだか数年ぽっち臭い飯を食べるだけのことさ。それに檻の中は君の同類しかいない。君の欲しがっていた友とやらにも簡単に巡り合えるのではないかな?」


「……それでも俺は、今もあんたのことを友人だと」


「おいおい。君は現実とフィクションの違いも分からないのかい? 映画はもうエンドロールさ。舞台から降りれば、あとはただの他人同士だろう?」


 それは、この面会時間の中で最も百日の胸を抉った一言であった。


 シルクハットの男は彼の表情を見て目元まで帽子を下げ、その手で口元を隠しつつ別れの言葉を口にした。


「それでは、ごきげんよう。ミスター・ミヤモト」





「……え?」


 戸惑いの声を上げる彼に、シルクハットの男は首を傾げた。


「ふむ? ……ああ、これは失礼。確か、えー……あー……………………。



 ……ああそうだ、モモイだった! それでは改めて。ごきげんよう、ミスター・モモイ」


「えっ、お、おい! 待てよ!」


 しかし、くるりと背を向け歩くその姿を呼び止めるには至らない。


「待ってくれ! お願いだ!」


 シルクハットの男の歩みは止まらない。


「俺が悪かった! 何でもする! だからここから出してくれないか!」


 シルクハットの男の歩みは止まらない。


「お、覚えてるだろう!? 何度も一緒に呑んで笑い合ったあの日々を! あれも全部嘘だったのか!?」


 シルクハットの男の歩みは止まらない。


「な、なぁ頼む! 俺を……俺を置いていかないでくれ!」


 百日の心からの叫びは、最後まで彼には届かなかった。









「お疲れ様です」


 シルクハットの男が部屋を出た時、扉のすぐ傍で待っていた警察官がぺこりと頭を下げた。


「面会時間はまだございますが」


「構わないさ。話すことは話したし、とても良い経験をさせてもらったよ」


「良い経験、ですか? 面会なんて何度もやられてきたのでしょう? それに失礼ながら、あわや人の道理から外れそうになった者との話がそれほど良いものには思えないのですが……」


「ははは。我ながら趣味が悪いとは思っているとも。しかしやはり、飽きぬものよ」


 シルクハットの男は警官に聞こえないくらいの声で呟いた。


「己の愚かさに気付いた瞬間の表情を見るのは」


 その時、彼の携帯が廊下に鳴り響いた。


「もしもし、私だ……ああ、今度はID035か。いや、問題はない。そろそろだと思っていたからね。場所は日本かな? ……なるほど、例のワクチンの製造会社に爆破予告か。分かった。明日の昼までには向かうとするよ……ああ、ああ……そうだね、今回も随分と面白いものが見れたよ。それではまた、何かあれば連絡するよ」


 男は電話を切ろうとして、ひとつ思い出したことがあったので、また携帯を耳に近づけた。


「ああ、待ってくれ。少し確認しておきたいことがあるのだが……ID035の名前は何だったかな? いやなに、折角のエンターテイナーへの敬意は忘れてはならないからね……なら番号で管理するな? ははは。そうかもしれないね。しかし人数も増えてきたものだし、困ったものだねえ」


 それでは、と今度こそ彼は電話を切った。

 そして警察官に送られながら、留置場を後にする。


 柔らかな日差しが心地良い。シルクハットの男は、雲一つない澄んだ青空を見上げながら呟いた。


「しかし。何はともあれ。明日も良きエンターテインメントが楽しめそうだ」

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無駄金持ちの悦楽 狛咲らき @Komasaki_Laki

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