第16話 古の精霊

 ハヤテとリリスは黒い龍を倒し、古代の遺跡に静寂が戻った後、山脈の頂上から降り始めていた。清らかな風が吹き抜け、世界樹のマナが再び純粋な流れを取り戻したことを感じさせる。リリスの胸のフェニルの紋章は穏やかに脈打ち、ハヤテの剣にはシエルの力が静かに宿る。二人は手を取り合い、勝利の余韻に浸りながらも、シエルの警告とハヤテが見た「影」の気配に心のどこかで警戒を解いていなかった。

 星空の下、二人は遺跡のふもとに簡素なキャンプを設ける。焚き火を囲み、リリスが革袋から取り出した干し果実を分け合う。彼女の紅玉の瞳は火光に輝き、ハヤテを見つめる。


「ハヤテ…さっき、龍が消えた後、何か見たって言ってたよね。シエルも何か感じてたみたいだし…何だったの?」


ハヤテは焚き火を見つめ、剣を膝に置いたまま答える。


 「ああ…龍の核が砕けた瞬間、祭壇の奥に何かいた。フードの男、闇の使徒に似てたけど…それ以上の何かだ。シエルが言った『主』…黒い龍を操ってた奴の片鱗かもしれない」


  シエルの声がハヤテの頭に響く。


『ハヤテ、あの影はただの幻じゃないわ。世界樹の根元に絡みつく、古老のマナ…まるで精霊以上の存在よ。黒い龍は、その力を借りて具現化したに過ぎない』


 リリスは眉を寄せ、フェニルの気配を感じながら呟く。


「フェニルも何か言ってる…あの龍は、ただの使い魔だったって。背後にいる奴が、世界樹のマナを汚してる本当の原因なのね」


  焚き火の火花が舞い上がり、夜の静寂に溶ける。そのとき、遠くの山脈の稜線に、微かな紫黒の光が一瞬だけ瞬く。ハヤテとリリスは同時に立ち上がり、剣と炎を構える。だが、光はすぐに消え、何も起こらない。リリスが息を吐き、「…何? また穢れ?」と呟く。ハヤテは首を振る。


「いや、警告だ。俺たちを見てる。…行くぞ、リリス。こいつを追う」


 二人はキャンプを片付け、山脈の奥へ進む。シエルの導きで、光が瞬いた方向—山脈のさらに深い裂け目に隠された古の神殿—を目指す。道中、風が不自然に冷たくなり、地面には黒い脈のような模様が広がる。リリスがフェニルの力を呼び、青い炎で道を照らすと、模様がまるで生き物のように蠢く。


「ハヤテ、これ…世界樹のマナを吸い取ってるみたい。誰かが、わざと穢れを流してるんだ」

「ああ、間違いねえ。闇の使徒が言ってた『主』…ただの人間じゃねえぞ。シエル、なんか分かるか?」


『ハヤテ、リリス…これは古の精霊の力よ。世界樹の誕生と共に封じられた、闇の精霊王ヴェルムドの残響だわ。黒い龍や闇の使徒は、その力を借りた者たち。ヴェルムドの意志が、世界樹を穢し、新たな秩序を築こうとしてる』


 シエルの声に、リリスが息を呑む。


「闇の精霊王…? そんなのが、フェニルやシエルと同じ精霊なの?」


 フェニルの声がリリスの心に響く。


『ヴェルムドは我々精霊の始祖の一つ。だが、世界樹の光を拒み、闇に堕した。封印されたはずだが、その力が漏れ出している。汝らの勝利は、ヴェルムドの目覚めを遅らせたに過ぎぬ』


ハヤテは剣を握り直し、目を細める。


「つまり、黒い龍はただの前座で、本命はこいつ…ヴェルムドって奴か。リリス、準備はいいな?」


リリスは青と赤の炎を両手に灯し、ニヤリと笑う。


「当たり前よ! どんな闇の王様だろうと、私たちの炎と風でぶっ飛ばす!」


 裂け目の奥にたどり着くと、苔むした石門が現れる。門には古の文字が刻まれ、黒い霧が漏れ出る。ハヤテが風の刃で門を切り裂くと、中は広大な神殿だった。中央には巨大な水晶が浮かび、紫黒の光を放つ。その周囲には、闇の使徒たちのようなローブ姿の影が複数佇み、静かに呪文を唱えている。水晶の奥に、ぼんやりとした人影—フードを被った存在が浮かぶ。その姿は、龍の祭壇でハヤテが見た影と同じだ。


「汝ら…よくぞここまで来た。だが、世界樹の終焉は止められぬ」


 人影の声は深く、まるで地底から響くよう。ハヤテは剣を構え、叫ぶ。


「ヴェルムドか? お前の穢れ、全部ぶっ壊してやる!」


 人影は低く笑い、水晶が脈打つ。


「我はヴェルムドの使者、影の司祭ザルドス。闇の精霊王の復活は近い。黒い龍は、汝らの力を試すための駒に過ぎん。世界樹を穢し、闇の時代を築く…それが我々の使命だ」


 リリスが怒りに燃える。


「ふざけないで! 私の村を、あなたの仲間が! ハヤテの故郷を、黒い龍が! 絶対に許さない!」


 彼女が青い炎の奔流を放つと、影の使徒たちが霧となって散る。だが、ザルドスは動かず、水晶から黒い触手を召喚。触手が二人を襲うが、ハヤテの風の刃がそれを切り裂く。二人の連携は完璧だ。リリスの炎がハヤテの風に乗り、触手を焼き払う。ザルドスが杖を掲げると、水晶が割れ、紫黒の霧が神殿を包む。霧の中から、ヴェルムドの幻影—巨大な闇の精霊の姿が浮かぶ。目は無数の星のように輝き、翼は夜を切り裂く。だが、その姿はまだ不完全で、封印の力に縛られている。


「ハヤテ、これは…!」


 リリスが息を呑む。ハヤテは剣を握り、決意を固める。


「リリス、こいつはまだ完全復活してねえ。今なら止められる! 一緒にやるぞ!」


『ハヤテ、水晶がヴェルムドの力を繋いでるわ! それを壊して!』


 シエルの声に、リリスもフェニルの力を全開にする。


『フレイムハートの娘よ、我が炎を解き放て!』


 ハヤテとリリスは背中合わせで立ち、ザルドスとヴェルムドの幻影に立ち向かう。触手と黒い霧が二人を圧倒しようとするが、リリスの青と赤の炎が神殿を照らし、ハヤテの風がそれを増幅。ザルドスが呪文を唱え、闇の刃を放つが、二人の絆が生み出す力がそれを弾く。


「リリス、水晶を狙え! 俺がザルドスを引きつける!」

「了解! ハヤテ、絶対死なないでよ!」


 リリスが叫び、フェニルの炎を集中。ハヤテは風の渦でザルドスを包み、動きを封じる。二人のマナが共鳴し、神殿が光と風に震える。リリスが炎の奔流を水晶に放つと、ヴェルムドの幻影が悲鳴を上げ、霧が薄れる。だが、ザルドスが最後の力を振り絞り、闇の波を放つ。「ハヤテ!」

リリスがハヤテを庇い、波を受ける。彼女の体がよろけるが、ハヤテが彼女を抱きかかえ、風で反撃。「リリス、大丈夫か!?」


「平気…! ハヤテ、一緒に終わらせよう!」


 二人は手を握り、風と炎を融合。青赤の旋風が水晶を直撃し、ヴェルムドの幻影が砕ける。ザルドスが膝をつき、消滅する。


「我が主…まだ、終わらぬ…!」


  神殿が崩れ始め、二人は急いで脱出。山脈の外に出ると、夜空に星が輝く。ヴェルムドの完全復活は防いだが、ザルドスの最後の言葉が二人の心に影を落とす。ハヤテはリリスを抱きしめ、囁く。


「…やったな、相棒。でも、まだ何かいる。ヴェルムドの本体、どこかに潜んでる」


 リリスは彼の胸に寄りかかり、笑う。


「ふん、どんな敵でも、私たちならやれるわ。…一緒に、ね?」

「ああ、ずっと一緒だ」


  二人は星空の下、手を取り合う。闇の精霊王ヴェルムドの完全復活を企む影が、世界樹の根元で蠢く。ハヤテとリリスの旅は、新たな戦いへ続く。


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