第4話 最後の一軒

 シミのある天井、壁の落書き、使い古した学習机、セミシングルのベッド、文庫で埋められた小ぶりの本棚。


「なんだ、私の部屋じゃん」


 最初に来た実家に戻ってきただけだった。さっきはあまりにも変化のない母にがっかりして、部屋まで来なかったけど。


「ここがどうしても見せたかったの?」

「さようです」


 私はベッドに腰かけた。生前よくそうしていたように。部屋の様子は少しだけ私の記憶と違っていた。一人暮らしをするさいに持って行った本が本棚に収められていたことと、1冊読みかけの本が机の上においてあったこと。それから、カーテンレールに吊るされた、スーツのかかったハンガー。大学の入学式で着ただけだから、ほとんど新品だ。


 お母さん、ここで本を読んでたのかな……私のスーツを見ながら。

 なんだか急に切なくなって、しばらくそのまま座っていた。


 不動さんは何も言わず、ただ静かに待ってくれていた。


 きれいすぎるスーツ。本当はこれを着て、就活をがんばって、時にはへこんだりもしながら、それでも何とか内定をもらって、お母さんにどんなもんだい!って自慢したかった。


 あふれた涙が、ベッドと床に落ちては染みることなく消えていく。私は魂だけの存在だから、見たり感じたり触れたつもりになることはできるけれど、物質的に干渉することはほとんどできない。そのことを考えたら、余計に涙があふれてこぼれた。


 ひとしきり泣いたあと、不動さんに連れられて居間へ向かった。今日もカレーの匂いがしている。


 お母さんが台所から二つお皿を運んできて、「しまった」とつぶやいた。


「今日は松田さん、来ない日だった」


 来ないほうが珍しいくらい、松田さんはこの家に入り浸っているらしい。仲良くやってるみたいで何よりです。


「じゃあこれは、かなでの分にしよう」


 と言って、お母さんは私の指定席だったテレビの正面の位置にカレーを一皿おいた。そしてテレビを見て、またあーだこーだしゃべりだした。


「この俳優さん、かなでが好きそうな顔してる。隣にいたらぜったいに画面にくぎ付けになっていたね」

「よくわかったね」

「やっぱり? そうだと思った」


 お母さんも私も、一瞬「えっ?」という顔で見つめあった。見えてるのかなと思ったけど、お母さんはまばたきしてからまたテレビのほうに顔を向けた。

 

  私は、ちょっとおかしかったけど、お母さんのテキトーな独り言にあーだこーだと口を挟んで、しばらく楽しんだ。不動さんはここでも、静かに見守ってくれていた。


 それから仏間へ行って、おじいちゃんとおばあちゃんとお父さんに、もうすぐそっちに行きますと挨拶をした。

 仏壇にはずんだ餅が備えてあった。きっと松田さんだ。

 ありがとう。母をよろしくお願いします。

 私はずんだ餅に向かって手を合わせた。


「これでよし。不動さん、行こう」

「よろしいんですか。こちらに決めなくて」

「うん。お母さんは私がいなくてもきっと大丈夫だよ。松田さんもいるし。まあ、ときどきは様子を見に来たいけど……」

「なるほど」


 不動さんは腕を組む。


「ここがお気に召さないとあれば、奥の手があります」

「うん? 何それ?」

「抜け道、と言いますか……」


 不動さんは床にぐるっとまた例の魔法陣を描いた。


「ついてきてください」

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