放課後のっぽ

 廊下の端っこのロッカーの影まで来たとき、ルーノを連れ出した人物は止まった。教室の一番後ろの席の子だ。彼が本を読んでいない姿を、ルーノは初めて見た。彼は、休み時間の間も、ご飯の間もずっと本を読んでいるのだ。いつも両手いっぱいに本を抱えて学校に来ている。雨の日、本が濡れないように慎重に包みを抱え込む姿が、なんだかティアに似ていて、ルーノはクラスメイトの中で一番初めに彼の事を覚えた。

 立つとすらっとしていて、背が高かった。後ろでひとつに結ばれた髪の先っぽが、ルーノの目の辺りでゆらゆらと揺れている。ルーノは彼の事を心の中でのっぽと呼ぶことにした。のっぽと呼んでいたら、ルーノも彼のように背高になれる気がする。今までは本の虫と呼んでいたけど。


「よし、誰もいないな。」


のっぽはきょろきょろと辺りを見回して、その場にしゃがみこんだ。ルーノも同じようにしゃがんだ。


「あいつら、酷いと思う。」


教室の方を見ながらのっぽが言う。


「だって、もし俺だったら、あんなに大勢に囲まれて、ぺちゃくちゃ話しかけられたら上手くしゃべれないよ。」


ルーノはほっとした。のっぽは、クラスメイト達からルーノを助けてくれたみたいだ。


「うん。……緊張、しちゃって。」

「だよな。でも、知ってて欲しい。みんな話しかける口実が欲しいだけなんだ。君と友達になりたくて。いや、本当のところは、星の事も、ちょっとは知りたいと思ってるけど。」


のっぽは気まずそうな顔をした。


「その、君はすごい奴だ。だって、遠くの街から星屑拾いに弟子入りするために、この街に来たんだろ? それも、親もなしのたった一人で。」


ルーノは驚いた。


「どこで知ったの?」

「あー、この街は狭いから、話のネタがすぐに尽きる。みんな退屈してんだ。だから、奴らはいつも新鮮なニュースってやつを探してんの。そんな暇があるなら、本を読めばいいのにって思うんだけどな。そりゃあ、魔術書とかの専門書は高いけど、小説とかはちょっとお菓子を買うのを我慢すれば買えるのに。」


のっぽはため息をついて、ルーノの顔をちらりと見た。


「転校生ってのは、未知のかたまりだ。それも、星屑拾いの弟子。絶対面白いって、みんな興味津々で、新しい情報を見つけては嬉々として暴露してる。こっちは本を読んでるってのに、勝手に話してきたりする。」

「なんか、ごめんね。」

「君が謝る事じゃないさ。悪いのはあいつらだし、むしろ怒ってもいい。あいつら、俺が本に夢中で聞いてないふりしてたら、すぐに別の奴に話しかけにいくから大した実害もないし。あっ、俺が本に夢中になってるふりしてるのは、誰にも言うなよ。本好きの間に伝わる、秘密の必殺技だからな。」

「わかった。」


ルーノは答えながら、ティアが本を読んでいる間にルーノの事をほったらかしにしているうち、どれがふりだったのか考えた。

お鍋が吹きこぼれているのに気づかなかったのは、演技だったのかも。突然掃除がしたくなったけど、どこを掃除していいかわからなくて、とりあえずお鍋を吹きこぼれさせたとか。


「ともかく、それで知ったんだ。みんなの間で、君は勇気のある奴だって人気者だ。君の隣の席に座ってるヴィーは気に食わないみたいだけど。あいつ、君が来るまで一番の人気者だったから。」

「えっと、ぼく、選んで一人で来たわけじゃないよ。親は家を出て行っちゃったの。ぼくをどこの星屑拾いの弟子にするかで、喧嘩して。」


ルーノは、首をかしげて二人が喧嘩した時のことを思い出した。あの日は、ルーノの人生の中で最悪の日だった。


二人とも始まりは普通だったのに、ポストに入っていた手紙を見てから、朝ごはんからおやすみなさいをするまで、ずっと難しい顔で話していた。しまいにはどっちが大きな声を出せるか張り合っていた。それが、とんでもなくうるさかったから、ルーノは寝るまでの間ずっと枕に顔を埋めて、頭の中から声を追い出さないといけなかった。


後になって、手紙は有名な星屑拾いからのもので、ルーノを弟子にしたいというお誘いだったことを知った。弟子入りはきっぱりと断った。手紙一つであんなにうるさくなるのなら、一緒に生活したらどんな騒音に囲まれるのか、想像しただけで身震いがする。


「それって、どっちが喧嘩に勝ったんだ?」

「わからない。二人とも夜中にこっそり家から出ていったから。朝起きると誰もいなくて、ぼくは家で一人だった。ばらばらに出かけたから、両方とも、もう片方が家に残ると思ってたのかもって、保護してくれた人が言ってた。」

「うわ、自分勝手な奴らだな。きっと負けるのが怖くて逃げたんだ。」

「そうかも。」


引っ込んでいた涙がこみ上げてきて、ルーノは顔を伏せた。


「ぼく、てっきり二人が迷子になったんだと思って、デパートの迷子センターに電話した。ぼくが迷子になったとき、そこに行くから。」

「でも、迷子センターにはいなかったんだろ。」

「うん。だけど、迷子センターの人は親切だった。いろんな所に連絡してくれて、ぼくは朝ごはんの前に保護された。」

「それっきり親には会えてないのか?」

「……会ってない。船に乗って、海の向こうの国まで行っちゃったみたい。ぼくは星屑拾いに弟子入りしなきゃいけなかったし、向こうには、星屑拾いはいないもの。」

「ちょっと行って帰ってこれる距離じゃないな。」

「二人とも、元はあっちの国の人間だったんだ。前の星降りの夜に、星を買いにこの国まで来て、僕が生まれたからこの国に住んでたの。」


言ってから、涙がこぼれた。


「若いのに星を買えるなんて、金持ちだったんだな。」


のっぽはそう言って、そっとハンカチをルーノにくれた。


「ごめん。」


のっぽが謝った。


「嫌な気分にさせた。でも、君は勇気のある奴ってことで間違いないさ。」

「こっちこそ、ごめんね。」


ルーノも謝った。しばらくの間、ルーノものっぽも黙り込んだ。


「そういえば、俺とは自然に話せるんだな。」


のっぽが口を開いた。


「ヴィーが話してくれないって言ってたからさ。君の隣に座ってるやつだよ。あいつ、ちょっと自尊心が高いけど、社交的な奴だから。ヴィーがだめなら、俺なんてもっとだめだと思ってた。」

「だって、君は背が高くて、しゃがんでても目が合わないから。」

「あはは。背が高いからか。なるほど。」


のっぽは手を叩いた。


「この背丈でよかったって、久しぶりに思った。」

「いつもは思ってないの?」


今度は、ルーノが質問をした。


「だって、背が高いってだけで後ろの方の席に追いやられるんだぜ。活字を読むのは好きだけど、黒板の小さな文字を見るのは、もうたくさんだ。君が羨ましいよ。」


のっぽはため息をついてルーノを見下ろした。ルーノはクラスで一番背が低いのだ。


「ぼくは、君の背が羨ましいよ。」


ルーノはむっとして言い返した。


「背が低いってだけで、一番前に座らなくちゃいけないもの。前に誰か座ってたら、何も見えなくなっちゃう。」


本当に、ルーノはのっぽの席が羨ましかった。一番後ろの席なら、わざわざ後ろの席まで行って話しかけてこようとは誰も思わないだろうし、先生にノートを覗き込まれないから、ノートいっぱいに落書きが出来る。

それに、教室の一番後ろの棚には、鉢植えに入ったサボテンが置かれている。ツンツンとしたトゲのドレスを着た、小さくてかわいいサボテン。あと半年もすれば、きっと小さなつぼみが出来る。ルーノは植物が大好きなのだ。


「へぇ。小さいと小さいなりに不便なのか。」

「そうだよ。」


ルーノは答えてから、悲しい気持ちがすっかり消えているのに気づいた。


「のっぽ君って、魔法使いだったの?」

「確かにのっぽだけど、俺の名前はサーゴだ。呼び捨てでいいよ。それに、魔法使いなのは君の方じゃないか。」


のっぽは、サーゴというらしい。サーゴはお腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。


「ぼくのことも、ルーノでいいよ。だって、さっきまで悲しかったのに、今は全然悲しくないんだもの。サーゴが魔法を使ったのかと思った。」


ルーノが言うと、サーゴはピタッと笑うのをやめた。


「大抵の気持ちは、怒りに弱いのさ。多分、ルーノは俺に対してむかついたから、悲しい気持ちが吹き飛ばされたんだ。」

「じゃあ、わざとぼくを怒らせたの?」

「まさか。うっかり怒らせちまった。」


サーゴは、にやっと笑って、ポケットから飴を取り出した。


「やるよ。これ好きだろ? 今度はうっかり飲み込まないように、気を付けな。」


ルーノは驚いてひっくり返りそうになった。


「サーゴって、もしかして」

「そろそろ教室のみんなは帰ったはずだ。じゃあ、また来学期。いや、もっと早くに会えるか。念のため言っておくけど、俺はカウンターの下にお菓子を隠したりなんてしてないからな。」


サーゴはそそくさとロッカーからリュックサックを取り出すと、廊下の突き当りにある窓から、ひょいと外に出た。慌ててルーノは窓に駆け寄った。サーゴはどんどん歩いていく。


「待ってよ。」


ルーノは小さくなるサーゴの背中に呼びかけた。サーゴは歩きながら振り向いた。


「ルーノも早く帰れよ。もうすぐこわい先生たちが見回りにくるからな。」


サーゴはひらひらと手を振って、また歩いて行った。ルーノの荷物は、教室の中だ。急いで取りに行っても、間に合いそうにない。


「サーゴも人間じゃないのかな。」


ルーノが今まで知らなかっただけで、意外とみんな人間じゃないのかもしれない。手の中の飴をじっと見つめると、夕日に照らされてゆらゆらと金色に染まっていた。


「星って、こんな感じなのかも。」


呟いて、ルーノは飴を口に放り込んだ。

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