ミハイロ・ジダーノフの種火

 ワタシはミハイロ・ジダーノフ。ワタシの祖国セルメイナは2年前に隣国・ローシュ連邦によって侵略された。2年経った現在も交戦は続いている。美しい西洋建築が建ち並んでいた首都クメールには瓦礫が散乱し、小麦畑が広がるのどかで豊かだった風景はもう見る影もない。ローシュ軍による見境のない爆撃によって、国土は理不尽に蹂躙され、ワタシは妻と娘と家を失った。絶望したワタシは国を捨て、避難民の受け入れを発表していた日本に移り住むことになった。

 日本に来て1年半、知り合いと呼べるのは同じセルメイナ出身の小さなコミュニティーの同朋たちぐらいだ。言葉も文化も異なる、故郷から遥か遠いこの異郷の地で、ワタシは日々を必死に生きるためにもがいて来た。生活は苦しかったが、でも、それで良かったと思う。その苦しみの中に身を置いていないと、かつての幸せだった故郷での景色を思い出して絶望の淵に沈んでしまっていただろうから。

 ワタシは弱い。家族を失った時、すべてを奪ったローシュを呪ったが、祖国防衛の戦争に加わる勇気はなかった。家族の仇を討つことよりも、とにかく失意の重圧と戦争の恐怖から逃げたかった。そして実際に逃げ出した……そう、ワタシは弱いのだ。

 逃亡の果てに辿り着いたこの東の果ての島国は、ワタシたちセルメイナ人を優しく受け入れてくれた。しかし、この国で生活を始めてみると、それが建前でしかないことがわかった。ワタシたちは日本の文化に溶け込むことを要求された。日本で暮らしていたければ〝日本人〟になれと言うことだ。それが出来なければ社会の異分子として弾き出される。避難民仲間たちの中には祖国セルメイナを捨てても〝セルメイナ人〟であることは捨てられないと頑なになる者もいたが、ワタシは従順にその状況を受け入れることにした。これもワタシの弱さ故なのかもしれない。

 日本に来てからの数ヶ月間は、この国で暮らしていくための言語や文化を教え込まれた。今では簡単な日常会話程度なら日本語で話せるようになっている。文化には少し馴染めないところもあるが、駆け出しの〝日本人〟と呼べる程度にはなっているかもしれない。

 ワタシは祖国セルメイナのIT企業でプログラマーをしていたこともあって、そこまで苦労することもなく仕事を得られた。働くことになったのは都内近郊の小さな会社だ。業務内容は特に難しいことはなく、待遇も悪くないが、給料はセルメイナで働いていた頃と較べると半分以下だった。日本では総じてエンジニアの賃金が安い。採用が決まった時に自分の給与額を知ってとても驚いたが、それでも日本で暮らしていくには特に問題がない額だったので、まぁいいかと、そこで働くことにした。この国の物価は思っていたほど高くない。いや、むしろワタシが暮らしていた欧州圏と較べるとかなり安い方だ。だからこその低賃金なのかもしれない。

 会社で働き始めてから一ヶ月後、ワタシはセルメイナ人コミュニティーから離れて、独りで生活することにした。同朋たちと一緒にいると、どうしても故郷のことが思い出されて精神的に辛くなることが多かったからだ。独りは楽だったが、たまに孤独感を紛らわすかのように家族を失った時の記憶がフラッシュバックする。その都度、ワタシは後悔と呪詛じゅそさいなまれて憔悴した。


 ある日、変な仕事が舞い込んで来た。

 とあるWEBサイトへの登録を自動で行うようなツールを作って欲しいという内容だった。上司から渡された要求仕様書を読みながら、ワタシは尋ねた。

「コレハ、コノサイトニ登録スル用ノ〝バッチ処理〟ヲ作レバイインデスカ?」

「いや、なんか登録の回数だけ稼ぎたいみたいで、ひたすら登録し続けるみたいなツールが欲しいんだってさ」

「ソレハ、〝DoSドス〟ヤ〝ブルートフォース〟ノヨウナ攻撃ツールニナリマセンカ?」

 WEBサイトに短期間に大量のデータを送り込んでサービスダウンを狙うのが〝DoS攻撃〟、パスワードなどの入力を総当たりして何度も繰り返し不正なログインを試みるのが〝ブルートフォース攻撃〟だ。これらの不正アクセスは犯罪行為であり、そんなものを仕事として作れと言うのだろうか?

「いやいや、そういうヤバイのじゃなくて。そうだなぁ……SNSに自動で投稿するボットみたいなモノかな。で、そのサイトって連続登録が制限されてるみたいなんで、ある程度のインターバルを設けて実行することになる」

 なるほど。それなら攻撃ツールにはならなさそうだ。

「サイト側ニAPIハアリマスカ?」

 もしそのサイトに、外部から情報が登録できる申し込み用紙的な〝API〟と呼ばれる窓口が準備されていれば、こちらではそのAPIに申し込み内容を記入して提出するだけなので簡単に作れる。

「ないっぽい。だから、RPAでツール化する感じかな。出来そうかな?」

 〝RPAロボティクス・プロセス・オートメーション〟とはPCで人が行っているマウス操作やキーボードの入力といった操作手順を記録して、代わりにツールがその手順を自動で行うという仕組みだ。同じような手順を踏むことが多い事務作業などをミスなく繰り返し行うことができるようになるので、人手不足の解消などに役立っている技術だ。ワタシも以前、日々の単純作業を自動化するために自分用のRPAツールを作った経験がある。

「ハイ、大丈夫デス」

「んじゃ、よろしく頼むよ。できれば、なる早でお願いできるかな」

 日本人は『なる早』をよく使う。「なるべく早く」を省略した言葉なのに、その意味は「できる限り急いで」である。はじめそのニュアンスがわからず、ワタシは戸惑っていたが、今はもうだいぶ慣れた。でも、本音としてはしっかりと期限を指定して欲しい。なのでワタシはちょっと意地悪く確認した。

「納期ハ決マッテイマスカ?」

「うーん、それは特にないんだけど……実はこれって社長案件でさ。何か社長の知り合いの政治家から来た依頼みたいで、あんまり待たせられないらしい」

「……ワカリマシタ」

「ありがとう、助かるよ」

 上司はちょっとだけ申し訳なさそうな素振りを見せたが、厄介そうな仕事をワタシに押し付けられたので嬉しそうだった。ふぅ……まぁ、大した仕事内容でもないので数日中には終わるだろう。


 開発を依頼された自動登録ツールの対象となるWEBサイトは変なページだった。

 渡された要求仕様書に書かれていたサイト名には『あなたの殺意を認証します』と日本語で書かれていたので、てっきり日本のWEBサイトかと思っていた。しかし、ワタシがアクセスしてみるとページ内の表記はすべてセルメイナ語だった。ワタシが業務で使用しているPCではWEBブラウザをはじめとしてほとんどのアプリケーションの言語設定を母国語のセルメイナ語にしていたので、それが影響していたようだ。

 ほう、このサイトって多言語対応してるのか……しかも、そこまでメジャーでもないセルメイナ語に対応してるとか、結構力を入れて作ってあるな。ワタシは母国語に対応してくれていることにちょっとだけ嬉しくなった。

 自動化する登録手順を確認するために、ワタシは試しにWEBサイトを触ってみた。

 まず『殺意の対象者』か……そうだな、これはローシュ連邦の大統領の名前にしておこう。あいつには心の底から殺意を覚える。

 次に自分の名前。ワタシは素直にセルメイナ語で自分の名前を打ち込んだ。

 そして、チェック項目は……なになに『対象者への殺意が実行された場合に認証者の名前が一覧として公表されることに同意します』か。ははは、殺意の実行とは、あの大統領を殺してくれるということか? それは良いね。ぜひともお願いしたいところだ。ワタシはあまり深く考えることもなく同意項目にチェックを入れた。

 すると灰色だった『認証する』と書かれたボタンが青色に変わった。よくあるログインページみたいな挙動なので特に違和感がない。ワタシは躊躇ためらうことなくそのボタンを押した。

『あなたの殺意は認証されました』

 そうセルメイナ語で書かれたポップアップのダイアログが表示され、数秒後、画面が切り替わった。

 殺意の対象者となった人名の一覧が表示されているようだった。ワタシが対象者としたローシュ連邦の大統領の名前が黄色くフォーカスされていて、その横に数字が表示されている。その数は七千万を超えていた。おぉ、ワタシ以外にもここで認証している人がこんなにいるのか……。七千万も殺意を集めているというのは、いい気味である。ワタシは少しだけ溜飲が下がった気がした。

 そして、目線を一つ上の行に移した。あのローシュの大統領より殺意を集めている人が気になったのだ。これは、日本の総理大臣か……? その数は一億を超えていた。だいぶ恨まれているんだな……ローシュの大統領ほど悪人じゃないのに、ちょっと可哀そうだ。

 ワタシは再び認証画面に戻り、さっきと同じ手順を繰り返す。

 『殺意の対象者』はもちろんローシュの大統領だ。自分の名前を入力し、同意項目にチェックすると、また『認証する』ボタンが青色に変わる。そのままボタンを押すが今度はポップアップの内容が違っていた。

『連続での認証はできません。しばらく時間をおいてから再度実行してください』

 上司が言っていた連続実行の制限とはこれか。ふむ、次に受け付けてくれるまでのインターバルはどれくらいだろうか?

 ……いや、今はいいか。とりあえず自動化のフローだけ作ってから、1分おきにループ実行させておけば、計測できるだろう。

 ワタシはこうして、自動化ツールの開発に本格的に着手した。


 開発した自動化ツールに問題が発生した。

 それは、ツール実行時に認証者の名前を変更すると認証できない場合があるのだ。ワタシのPCで、認証者をワタシの名前で実行すると問題なく動くのだが、他の人の名前にすると動かない。しかし、その他の人本人が所有するPCで、その人の名前で動かすと正常に動作するのだ。

 何だこれは……?

 あのWEBサイトはPCの所有者情報をどこかから入手して認証時に検証しているのだろうか?

 ……そんなことって出来るのか? いや、無理じゃないだろうか。

 結局、この問題は解決するには至らなかった。というのも、PCの所有者と自動化ツールを実行する時の名前を合わせれば問題なく実行できるため、依頼元からそれで構わないと言われたのだ。

 ワタシとしてはちょっと不満が残る成果だったが、無事納品できたのでそれ以上気に病むことはなかった。

 ここ数日、自動化ツールのテストも兼ねて殺意認証をたくさん行ったので、ワタシのローシュの大統領への殺意数はゆうに千を超えている。一度認証した後に再び認証できるようになるまでのインターバルは2分だった。中断させることなく一日中ツールを稼働させておくと、一日で720件もの認証数が積み上がる計算だ。あのWEBサイトでローシュの大統領への殺意が積み上がっていく様は、何故か見ていて気分が良かった。


 それからしばらくして、記者会見中の総理大臣が急死するという事件が起こった。その時、ワタシのスマートフォンにセルメイナ語で『殺意が実行されました』という通知が届いた。なぜ、ワタシのスマートフォンに通知が来たのだろうか、と一瞬だけ思ったが、それ以上は気にしなかった。早速あのWEBサイトを確認すると、殺意対象者一覧の一番上に表示されている総理大臣の名前の横に『殺意実行済み』のバッジが付いていた。そういえば、あの自動化ツールをクライアントに納品する時に、デモンストレーションとしてワタシの名前で総理大臣に殺意認証をした記憶があるな。少しだけ、申し訳ない気分に襲われた。

 ワタシは総理大臣の名前についたリンクを辿ってみた。新たに表示された画面には、総理大臣に殺意認証を行った人たちの一覧が並んでいる。なるほど、殺意が実行された時はこうなるのか。ふと一番上に膨大な認証数とともに表示されている名前が目に入った、それは自動化ツールの開発を依頼して来た依頼者クライアントの名前だった。

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