第14話旗色悪し

「総司令、哨戒艦より入電です。第二、第三艦隊が水星第九宙域に侵入しつつあります」

 哨戒艦といっても古い民間船に実戦部隊から排除した地球人をのせたものだった。彼らは一般の商人のふりをして敵の位置をさぐっていた。第九宙域は現在の第十三宙域から遠太陽方向の隣接宙域である。三時間以内に戦場に到達しうる距離にある。ボリスは相対する敵の意外なしぶとさに舌打ちする。現在のところ優勢ではあるが、三時間以内に指揮系統を崩壊させうるだろうか。ボリスは否と判断した。そうであれば、新艦隊に横撃を加えられる可能性がある今の状態は危険だ

「後退すべきか」

 考えに没頭するあまり、独語が漏れる。それを聞きつけた機関士がぽつりと忠告した。

「総司令、あまり向太陽方向に行き過ぎると艦外の温度が冷房の冷却能力の限界を超えて、室温が上昇しますよ」

「ああ、わかった」

 しかし、この場合仕方がない。ボリスは包囲網の一角にことさらに隙をつくってみせた。意図的に艦列を薄くしたのだ。窮地に陥っていた敵艦隊は、その地点めがけて一点突破をはかった。ボリスの思惑通りだった。窮鼠となって戦う敵艦隊を振り切って後退するのは至難の業だ。そこであえて敵自ら離脱させることにした。敵艦隊が無事突破を果たし逃げ切ったのを見届けて、ボリスらはさらに太陽に近い水星第十七宙域を目指した。太陽からわずか三○○万キロの宙域である。ここならば、敵が撓回して味方の後背に出ることはできない。後背に出る途中であまりに太陽に近すぎるため、艦内の温度が人間の適温域を超えてしまうからだ。逆にこちらも後退できない。まさに背水の陣というべきだった。

「決死の覚悟さ、まあ死ぬつもりはないがね」

 ボリスはアンドレイに冗談を飛ばしてみせた。彼らの行く手には巨大な太陽が立ちふさがっている。遮光モードにしたフロントガラス越しでもまがまがしいほどのまばゆさであった。

 地球第一艦隊は逃げおおせた後、第二艦隊・第三艦隊と順次合流した。艦艇の四割を失ったジョン・セーチン中将は立体映像通信越しのアントン大将の怒気に恐縮するばかりだった。

「貴官は、個人的な武勲に目をくらみ、いたずらに兵を損なった」

「申し訳ございません。しかし敵に遭遇しておいて逃げるのは武人としての面目がたちません」

「ふん、ものはいいようだな。貴官の処遇は敵の撃滅後にきめよう。これ以上失望させることのないように」

 一方的に通信は切れた。上官の立像が消えるやいなやジョンは軍帽を床にたたきつけた。

「おのれ、ボリスの裏切り者め、この手で絞め殺してやる」

 彼は、割れんばかりの大声でそう叫び、うさを晴らすのだった。

 ボリスがみたそれは壮麗というほかなかった。無数の人工的な光点が眼前の宇宙空間に浮かんでいる。それが二倍強の敵艦隊でさえなければ、純粋にその美しさに感嘆することができただろう。

「敵、艦数およそ三○○強、急速にこちらに向かってきます」

 わかりきっていることを電測員は告げる。ボリスは無言でうなずき、敵影を見据えた。これがおそらく最後の一戦だ。彼の鋭い「ファイア」の一声とともに壮烈な光線の応酬がはじまった。無数の恒星すらかすむようなまばゆい光の濁流は、敵味方問わずすべてを飲み込むことを欲しているかのようであった。

 数の劣勢にかかわらず、戦線は膠着した。ボリスは的確に兵力を配置し、一切の遊兵をつくらなかった。一方地球側は大艦隊ゆえに戦列が混乱し、戦闘に参加しない艦艇があらわれた。それによって戦闘力が拮抗したのである。

 会戦開始から四〇分が経過した。ボリスは焦っていた。今のところは耐え抜いているが、損失が蓄積するほどこちらが不利になる。相手は一貫して凹形陣をとって、半包囲を試みている。ボリスは相手の両翼に火線を集中し、その進撃を防いでいた。彼はフロント越しに自軍と敵軍とを睨みつけている。そして左翼集団を見て、愕然とした。

「まずい、中央集団から十隻割いて左翼におくれ」

「十隻もですか。そしたらこの方面が危ういですよ」

「いいから、早く!」

 疑問を抱きつつ各艦に指令を出したアンドレイはすぐにその真意を解した。じりじりと敵を押し返しているように見えた左翼の一角を敵の鋭鋒が貫いた。たくみな罠だった。疑似後退によって水星側の左翼を予定された宙域に誘い込み、そこに火力を注ぎ込んだのだ。左翼はいそいで後退するが、その機をついて敵は一挙に突出した。ボリスの援軍がなければ左翼は完全に崩壊し、横撃をくらっただろう。しかし急場はしのいだが、残されたものは崩壊寸前の左翼とやせ衰えた中央集団だった。

「まちがいない、イラリオンの差し金だ」

 ボリスもはや時間の問題で崩壊する自軍を前にあえいだ。多くの指揮官がここで戦意をそがれ降伏か悲壮な玉砕の二択を前に悄然とするだろうが、あいにく彼はとんでもなく諦めがわるかった。

「全軍後退せよ」

 ボリスは全知全能を傾けて、逃亡を指揮した。彼自身は最後まで残って、しんがりを務めた。それが司令官たるもの務めだと信じていた。敵は当然追いすがってくる。彼らは完全勝利の予感に酔いしれていた。かろうじて陣形を保ちつつ、水星軍は向太陽方向に向かう。自らを焼くその天体は、どんどん容貌の鮮明さをましていく。

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