第2話銀河人類史より2

しかしこの超大国の指導部には、ひとつ大きな憂いがあった。これ以上の地球温暖化の進行は、他の地域と同じような惨劇をこの国にもたらすのではないかという懸念である。人類全体の人口が大幅に減少し代替エネルギーの使用も進んだことでこの懸念は杞憂に終わるのだが、当時としては切実なものであった。そしてその解決策として様々な案が考え出され、議論されたのだが、その中で実行され後世に最も大きな影響を与えたものが宇宙開発である。新たなフロンティアを広大な宇宙空間に求めようというのである。この計画には様々な科学分野の進展が必要であり、投じられた巨額の予算と人的資源は人類の文明を新たな段階に至らしめたと後世評された。最初にこれらの計画がモスクワ総合学術会議で掲げられたのが二一七五年のことであったが、人類が初めて火星の土を踏んだのが二二〇三年、そこに食料生産拠点を置き本格的に稼働を開始したのは二三二七年のことであり実に一五〇年近くも続いたという点においても特異なプロジェクトであったといわざるをえない。その後も金星、水星などの岩石惑星の開発が順次行われた。さてこの計画を語る上で二人の巨星を無視するわけにはいかない。アンナ・ティモシェンコとジェームス・デイヴィスである。前者は人工大気技術を完成させ、後者は合成生物学を新たなフェーズへと導いた。人工大気技術は最初地球の大気組成を変化させ、地球温暖化を食い止めようという発想から始まった。多くの科学者によって理論構築がなされたが、それが応用可能であると示したのが新進気鋭の女性科学者アンナ・ティモシェンコであった。ティモシェンコは火星において実証を行い、人類が一惑星の大気を変成しうるということを証明した。さらに彼女は、大気の存在しなかった水星においてそれをいちからつくりだし、水星への居住可能性を飛躍的に増大させた。当時水星には豊富な鉱山資源の存在が示唆されていたが、その最高気温四三〇度、最低気温マイナス一七〇度という過酷な環境下ゆえに多くの科学者は開発に否定的な見方を示していた。しかし水星に大気がつくりだされると太陽光の当たる面と当たらない面との間で大気循環とそれに伴う熱交換が起き、水星の気温は最高気温一三〇度、最低気温マイナス二〇度という以前と比較して非常に穏やかなものとなった。当時の技術において耐熱スーツの限界温度が二〇〇度であり、これ以降水星での人類による実地調査が可能となる。しかし高価な耐熱スーツを利用した鉱山採掘はコストの面において甚だ効率が悪く、また生体への悪影響が指摘されており長時間の作業は不可能だった。その限界を合成生物学による新人類の作出という画期的な方法で乗り越えたのがジェームス・デイヴィスだった。彼は北米からの移民三世であり、父も祖父も科学者の生粋の科学一家の出身である。そしてデイヴィス自身も幼いころからその才能の片鱗をしめし、両親を喜ばせた。わずか十歳にして微分方程式の難問を解いてみせ、驚く両親に次の問題を要求したという逸話はあまりに有名である。万学に通ずといわれ、あらゆる学問領域に精通していた彼のその業績の偉大さは現生生物の持っていない形質を持った個体をつくりだしたという点にある。それまでも現生生物の形質を導入したいわゆるキメラ動物は多く作り出されてきた。しかしこの万能科学者は生体の主要成分であるタンパク質の構造に着目し、人工知能を利用して構造と機能の因果関係を推察した。そして望み通りの機能をもつたんぱく質を作り出し、それを発現するように遺伝子に改良を加えた。その結果全く新しい生物を生み出すことに成功したのである。デイヴィスはこの功績を誇って、バビロフ記念科学勲章の授賞式でこのようにスピーチした。「生命をデザインすることは、神にのみ唯一許された特権であった。(中略)我々の研究は神の手に握られたその特権を奪い去り、人類の普遍の財産とするものである」と。いささか傲慢なこの言は、後年曲解されて彼を失意のどん底に陥れることになる。彼は様々な新生物を生み出したが、その中でも水星人の作出は際立った独創性に富む功績である。当時問題になっていた水星移住を、環境ではなく人間を変化させ、適応させようというコペルニクス的転回であった。彼は二つのタンパク質を発明して、人間の生存可能温度帯を大幅に増大させた。その一つ目が断熱タンパク質である。これはロックウールなどの構造を参考にしてつくりあげた熱伝導率が著しく低いタンパク質であり、これを皮膚の角質層の上に発現させることで体内の温度を低くすることに成功した。しかしいまだ皮膚直下の温度は、気温一三〇度で六〇度程度あり、タンパク質の熱変性すなわち熱による構造変化がおこりうる温度帯であった。そこで体のあらゆるタンパク質に熱耐性構造を付与し、好熱タンパク質とすることで、この課題を克服する。熱耐性構造は、熱水噴出孔などに住む高温を好む好熱菌に共通してみられる構造であり、デイヴィスが発見したものである。この二つの改良によって生み出された水星人は、表層の断熱タンパク質組織のせいで朱色の肌をもつ奇異な存在であった。三〇年の時を経て増殖、成長させた後、雌雄それぞれ一〇〇体ずつつくられて、水星に送り込まれることが決定した。そして地球人の住むコロニーの建設や鉱山探索に従事させた。完成したコロニーには、水星開発を指導するテクノクラートと水星人の叛乱を防ぐための軍隊が送り込まれた。水星人には人権など与えられず、劣悪な環境で過酷な労働を強制された。その様を水星従軍記者のラザル・パヴロフは「水星人たちは、強烈な陽光のもとそれにもまさる苛烈な労働を強いられる。ニッケル鉱山の坑道におしこめられた彼らは昼夜を問わず採掘を続けた。耐熱スーツに身を包んだ兵士たちはその横穴に銃を向けて異様な蒸し暑さに耐えかねて出てこようとするものを容赦なく撃ち殺した。いわく代わりはいくらでもつくれるからと。その死体は微生物にいない環境下のため腐敗せず、永遠の苦しみを顔にたたえていた」とその手記に書き残した。これらの水星人への苛烈な処置は彼らが人間ではなくデザインされた新種の生物であるという認識のもと合法化された。政府はデイヴィスの件のスピーチを引用して、盛んに自己弁護を行い、水星人はタンパク質でできた感情を持たないロボットであるかのように喧伝した。デイヴィス自身がそのような詭弁に騙されるわけもなく、歴史学にも通じていた彼は自分とその発明が後世非難の的になるであろうことを知った。そして失意の中ですべての職を辞して、深い山中で二十年近く隠者然として暮らした。八〇歳で亡くなったとき残された遺書には「私の犯した罪がこの程度の蟄居で許されたとは到底思わない。しかしそれでも自らを罰さずにはいられなかったのだ。(中略)私は地獄に落ちるだろうが、一部の人間を不当に搾取することで成り立つ安逸さもそれを甘受する人々もまたいつの日か大きなしっぺ返しをくらうに違いない」と書き残した。それは彼の悔恨と歪な繁栄に対する漠然とした不安が強くあらわれたものであった。彼の不安はゆるやかに水星人に対する統制の箍が緩んでいく中で現実のものとなっていく。すなわち水星の叛乱である。

(セオドア・アッテンボロー著『銀河人類史』より抜粋)

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