黎明期の終わり

斑目蓮司

第1話銀河人類史より1

二十一世紀は、そののちの惨状に比べれば繁栄と安定の時代であった。北米大陸の覇権国とユーラシア大陸東方の強国との間のにらみ合いが続き、いくつかの戦争が勃発したがいずれも地域紛争の域を出なかった。しかしこの時代、いやそれ以前から蓄積された負債こそがこののちの混乱と悲劇の主要因となった。地球温暖化である。すでに十九世紀にその影響が指摘され、二十一世紀にも異常気象が続発していたが、人類は化石燃料のもたらす繁栄をついに手放すことができなかった。西暦二一三〇年代にその枯渇が目下の課題となるまでコストのかかる代替エネルギーは普及せず、化石燃料は湯水のように利用された。後世の史家たちはこれをもって人間は愚かだと断じる者も多いが、熾烈な生存競争が繰り広げられる資本主義経済において環境を顧みて生産性を落とすことなど社会的な死を意味した。茫漠とした将来の不安のために殉じることは多くの人間たちにとっては不可能だった。

そして地球温暖化はおおむね科学者たちが描いた最悪のシナリオどおりに進行し、皮肉にも彼らのつくりあげた物理モデルの正しさを証明することとなる。激甚災害、極地の氷の喪失、低海抜地域の水没。二十一世紀末に地球の平均気温上昇が六度に到達したときにはこれらの予測は、すでに現実のものとなっていた。しかし最も重大で顕著な影響は、食料生産の分野においてあらわれることとなる。北米大陸のプレーリーや東欧の黒土地帯などの世界中の穀倉地帯において穀物の収量低下が報告されたのだ。これらの地域の気温が作物の適温域を大きく上回るようになったのがその原因である。特に小麦は開化・結実に一定期間の低温を経験する必要があり、これを春化というが二一五三年には異様な暖冬によって、この春化がおこらず北米大陸において小麦の生産量がほぼゼロとなった。それ以外の地域でも穀物の異様な不作が報告され、地球の表面は餓死者の屍に覆われた。餓死者の正確な算出は不可能である。なぜならこの飢饉の3年前から各国の政府があいついでその機能の大部分を果たすことができなり、戸籍の統計データが残されなくなったからだ。ただし税を集めることもままならず飢えてさまよう人びとを座してみることしかできない組織を政府と呼べるのかは甚だ謎であるが。北米大陸の秩序はこの飢饉をもって完全に崩壊し、殺戮を伴う略奪が横行する。そして高温耐性品種の利用が進んで、かつてには及ばないにしてもある程度の収量が確保できるようになった時、その大陸は三つの全体主義的な軍事政権によって分割統治されていた。民主主義を全世界に広めた国の残照すら大陸のどこにも見られない。

また東アジアの強国もまた衰亡の道をたどった。同様の作物の収量低下はここでもみられたが、北米大陸のそれほどの惨劇は起こらず政府の機能停止にはいたらなかった。しかし以前から内包していた自己矛盾が、この国を瓦解に至らせた。少数民族問題である。中央政府の統治能力が低下すると、弾圧をくわえられてきた新疆や西蔵の民が独立を宣言した。支配者たちは、これらへの制裁を企図して合計五万と号する大軍を差し向ける。しかし大軍の威をもってこれらを順わすはずが大軍であるがゆえに失敗に終わった。当初、中央政府の中では叛乱者たちが恐れをなして独立を撤回するだろうとの予測がまん延していた。しかしそれは、楽観的予測だったといわざるをえない。それまでの圧政の恨みは、被害者にしかわからないものであったのだ。新疆の民兵は広大なタクラマカン砂漠を、西蔵の独立派はヒマラヤ山脈の標高を利用して戦闘を有利に進めた。そして勝敗を決定づけたのは兵站である。そもそも穀物の備蓄は続く不作によって減少していたが、戦闘の長期化はこの傾向に拍車をかけた。五万人を養うのは並大抵のことではない。前線の兵士たちに配給される食料は著しく不足し、軍紀も大いに乱れた。兵士たちは戦闘よりも寇掠に熱中し、西蔵・新疆に住む同胞の漢民族からの支持すら失った。そしてこれ以上の戦闘は無益と判断し、兵を引き上げたときには五万人の兵士は三分の一になっており、戦闘による死者を飢餓によるそれが上回った。一連の顛末は統治能力の低下を誰の目にも明らかなものとし、これ以降この国は緩やかに崩壊していく。地方軍人が軍閥として割拠し、中央政府は名ばかりのものに成り果てる。古代から地球上で繰り返されてきた強権的な帝国にありがちな末路であった。

一方ですべての国が病み衰えたわけではない。同時期、ユーラシア大陸北辺の大国はかつてないほどの興隆を迎えていた。これも地球温暖化が原因である。地球温暖化による平均気温の上昇は雪と氷に閉ざされていたこの国を世界最大の穀倉地帯に作り替えた。国内の需要を補って余りある穀物を飢饉にあえぐ世界各国に輸出し、大いに富を蓄積した。さらに多くの優秀な科学者・技術者の亡命を受け入れて、世界の叡智を独占した。そして二一七〇年代には、比肩するもののない超大国として世界に君臨することとなる。その繁栄ぶりを同時代の作家アイザック・アレンスキーは「モスクワこそがこの時代の世界のすべてであった。これは比喩ではない。誰の目にも明らかな事実であった。」と表現した。それはモスクワ出身の彼のひいき目こそあったかもしれないが、決して大げさなものではなかった。

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