あ、俺、この人のこと好きだ。

「ふーん」


部室に、マウスホイールを軽快に転がす音が響く。

あれから文章をパソコンに書き起こし、6月5日、つまり今日までに何とか小説としてまとめ上げた。


俺は東雲先輩の対面に座り、彼女の活字を追う視線を眺めながら、胸に穴が開いたかのような、この気持ちを持て余していた。


いつもなら自然にしている呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、上手くできない。

緊張で口の中が乾いていくのを感じた。



「リク君、ダサいね」


彼女はそうポツリと呟く。

頭にハンマーで殴られたような衝撃が走る。


──ここから今すぐにでも逃げ出したい


「でもね。」


パソコンに向けていた視線を上げ、呼吸すらおぼつかない俺に彼女は目を合わせた。


「私はね、ダサい方が良いと思うよ」


そう言って、ニコリと笑った。



あ、俺、この人のこと好きだ。















そこから、なんと言葉を返したのか。どんな会話を続けたのか。

ハッキリと覚えていない。

何だかフワフワとして、地に足がつかない、そんな時間がしばらく続いた。


「東雲先輩、やっぱり、滅茶苦茶本読んでるんですね。凄いな」


「本を読むのが単に好きなんだ。別に凄いことでもないんだけどね」


彼女は頬をかきながら、そう言う。


「意外に思うかもしれないけど、私は漫画とか、映画とかのサブカルチャー系もかなり好きなんだ。でも、お金のことを考えた時、本の方が長い時間楽しめるし、何よりタダで借りれたりもするからね」


「確かに、お金のことを考えると、本はかなりコスパが良いですよね」


少し考えてみる。話の進みを考えた時、本一冊分の分量で、大体漫画3巻分、もしくはそれ以上必要になるだろう。

なるほど。確かに本はコスパが良い。


ふと。

俺は、気になったことを口にする。


「先輩は、いつから本を好きになったんですか?」


「えーっとね...」


もしかしたら、勘違いかもしれない。

でも確かに、彼女をまとう空気が、変化した気がした。


「私が、小学六年生くらいの時かな」


彼女は一旦口を閉ざしたかと思うと、さらに続ける。


「本を読んでいる間は、現実から逃げ出して。何もかもを忘れて、夢中になれたんだ。そういう意味では、私は本に救われたんだろうな。」


彼女は、どこか一点をぼんやりと見つめながら、ポツリポツリと語った。


...奇妙な沈黙流れる。

変わらずどこか一点をぼんやりと見つめる東雲先輩。


俺は、彼女がどこかここではない別の場所を見つめているようで、そのことが無性に、寂しい。そんな気持ちに襲われた。




「...ああ、ごめん。変な空気にしちゃったよね」


「いや、全然。むしろ良かったです」


あなたのことが知れて、


「何だいそれ」


彼女は半笑いでそう返す。

その姿からは、先ほどの奇妙な雰囲気は跡形も無かった。




この後もしばらく雑談をしたが、東雲先輩のどこか一点をぼんやりと見つめる、その姿。頭にこびりついて、離れることはなかった。















あれから数日経ったお昼時。

俺と矢田、田中の3人で適当な空き教室を陣取り、黒板に美少女イラストを描いたり、机をくっつけ寝そべったりと各々が好き勝手にやっていた。


のんびりとした空気の漂うこの空間から、矢田がゆっくりと口を開く。


「リク、お前、東雲の先輩の事どう思ってるんだ?」


「娘に男を紹介された父親みたいなこと言うなよ」


俺は矢田からの言葉に、珍しく昼飯にありつく田中を見つめながら、言葉を返した。

矢田は「確かにな」と笑いながらも、続ける。


「でも、俺としても結構真面目に聞いてるんだぜ?」


矢田はニヤニヤとしながらも、真剣なまなざしでこちらを見つめていた。


...俺の言葉を待っているんだろう。


うん。

それなら、俺は口をつぐむ訳にはいかないな。


「好きだよ。人として好きなんだ。」


口に出してみて、かなり恥ずかしかった。


「オイ思ったより強烈だな!俺まで恥ずかしいぞこれは」


アチャー額に手を当てながら、そう言う矢田。


「まあ、良かったよ。もあったしな」


窓側の壁に腰かけていた奴はそう呟きながら、悠々とこちらに向かってくる。


思えば悲惨な高校デビューが終わって、精神的にかなり参っていた俺を2人は支えてくれた。

クラスの腫れ物になった俺に関われば、自分達だって似たような扱いを受けることなんて、分かり切っていたのに。


そして、

その行為に二人とも、恩着せがましい態度を欠片も見せることはなかった。


もし、俺が2人に感謝の気持ちを伝えでもしたら、「そんな無粋なこと言うなよ」

とでも言うんだろう。


でも、それでも。

俺は二人に感謝の気持ちをつた




────グフゥ!!!





「それはそれとしてムカつくから、お前を今からボコボコにすることにする」


「おー!気が合うな矢田、丁度俺も同じこと考えてたんだ。持つべきは友だな」




クズ共が!!!!!















「痛ェ・・・」


昼休みから3時間経ったのに、体のあちこちがまだ痛い。

アイツら、手加減無しでボコボコにしやがって。


部室への廊下を歩きながら、頭の中で思いつく限りの悪態をつく。



そんなくだらないことを頭の中でグルグルと回していると、程なく部室に到着。

そのまま扉を開けた。


「――」


――東雲先輩がいる。

別にそれだけの事なのに、俺はハッキリと、強くそう思った。

窓側をぼんやりと見つめる彼女の姿は、そこだけ何かに切り取られたかのように、


強烈に引き寄せられる。

得体の知れない不安感をひしひしと感じる。


......


「やあ」


「――ッ!」


驚きで大声を出しそうなところを、声をかけてきた張本人、神田が手で口を塞いできた。


あんまりな行動に、俺は神田を睨み付ける。


「まあ、落ち着いてよ。口を塞いだのは悪かったけど、僕だって野郎、しかも生徒の口を物理的に塞ぐなんてこと、したくないに決まってるだろ?つまり、それを差し引いてもこの行動をとる理由があったってことだ」


小声でそう囁くように言った神田は、顎で東雲先輩を指し示す。


「...東雲君があんな感じになるのは、別に今日が初めてって訳じゃない。ずいぶん久しぶりだけどね。」


それだけ言うと、神田は口を閉ざす。

神田の意図が良く分からない。

そう思った俺は、その疑問を直接投げかけることにする。


「...何が言いたいんですか?」


「別に何も」


俺の疑問に対して、そんな愛想のない言葉を返した神田は、こちらに振り向き、再度口を開いた。


「ただ、君がこの部活に入るまでは、彼女はかなりの頻度であの状態だった。だからかな。僕はただ、君がこの光景を見ておくべきだと思ったんだよ。」


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