来訪者

天洲 町

第一章

 真っ暗な部屋。タバコの先がチラチラと赤い光を放つ。線香のようにヒョロヒョロと細く煙を立ち上らせるそれのフィルターは、男の人差し指と中指に挟まれているが口につけられてはいない。


 次第に灰が光を覆い隠す。ぽろりと落ちては光を赤く輝かせる。灰が落ちるたびに男がごろりと寝転がっていた掛け布団から細い煙がさらに立ち上った。


 そしてある時、ぽっと小さな火が生まれた。

 化学繊維はよく燃える。水面に垂らした絵の具のようにスーッと赤黒い円が布団に広がる。


 ついに羽毛に燃え広がるとそれまで静かににじり寄っていた死の炎は、唸りをあげて男に喰らいついた。


 炎は一瞬のうちに男の口に滑り込み、舌に頬に肺に這い回った。

 激痛に息を吸うことも声を上げることもできず、次第に男は体をばたつかせるのを止めた。

 煙は部屋を埋め尽くし、火災報知器がけたたましく鳴る。


 一部始終を見ていたのは寝床のすぐそばのテーブルの上に置かれた、とっくに氷が融けて薄まったウイスキーの入ったグラスだけだった。




 春というにはまだ肌寒い三月のある日、田島芳之は自転車を転がし、とある不動産屋に来ていた。

 ある住宅の内見をするためだ。


 裏通りに面した狭い駐車場の端に自転車を停め、店の正面に回る。

 日陰の駐車場から比べると日向は随分暖かい。芳之は新生活の始まる時期の町の雰囲気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 磨き上げられたようにピカピカのガラスでできた自動ドアが開き、中からいらっしゃいませ、と景気の良い大声が聞こえる。


 不動産屋の入り口と言えば物件の間取りの描かれた紙が所狭しと貼り付けてあるイメージだったが、ここの店はスタイリッシュさを重視しているのかもしれないなと思った。


 店内に一歩入ると中もよく掃除されているのがわかる。白いタイルの床が天井の蛍光灯を映していた。開店して間もない時間帯ということもあり、店内にはまだ誰も客らしい人間はいなかった。


 奥のカウンターから前髪を上げ、ツヤツヤに撫でつけた髪型の男が現れる。


「いらっしゃいませ、お客様。予約はされてらっしゃいますでしょうか?」


 明るめの紺色でシャドーストライプの入ったスーツはいかにも体育会系な雰囲気を感じる。


「はい。今朝電話で内見の予約をした田島です」


「田島様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらのお席へ」


 緑色のシートが貼られたスタッキングチェアを指される。芳之がそちらに向かうと男は、田島様ご来店です、と奥に向かって声を張り上げる。やまびこのように、いらっしゃいませ、とこれまた大きな声が返ってくる。


 プラスチックの板で仕切られたカウンターの一席に腰掛け、となりの椅子に必要そうな荷物詰めてきたリュックサックを下ろす(正直何が必要かはわからなかったが適当に詰めてきた結果大荷物になってしまった)と先ほどの男が改めてカウンター越しに現れる。


「改めましていらっしゃいませ、お客様。私店長の高林と申します」


 男はそう言って高林和貴と書かれた名刺を差し出してくる。深く頭を下げた様は慇懃無礼にさえ感じられた。


「こちらが本日お客様の内見をご希望された物件の担当の森脇です」


「森脇です。よろしくお願いします」


 今度は深緑のスーツを着た男が森脇義隆と書かれた名刺を差し出してきた。高林の名刺の店長と書かれていた位置に副店長の文字があった。

 高林よりもいくらか背が高く、長めの髪はパーマをかけている。


「あとは彼が全て引き継ぎますので。副店長に就任したばかりですがうちのエースです。ご要望があれば何なりとお申し付けください。しっかり頼むぞ、森脇」


「もちろんです」


 やや芝居がかった高林と多少緊張したような様子の森脇を見て、芳之は少し口元を緩めた。

 挨拶を終えると高林はカウンターの奥のドアから事務所のような部屋に引っ込み、芳之は森脇と差し向かいに座ることになった。


「では、お客様。ご予約の物件に行く前にこちらを。あらかじめこちらの方でよく似た条件の物件をいくつかピックアップしておきましたので、ぜひご覧ください」


 そう言うと森脇はクリアファイルから建物の写真と間取りの書かれた紙を広げ始める。


「こちらなどは最寄駅までの時間もそう変わりませんし私の担当物件なので今からでも内見することが……」


「いえ、結構です。すぐに行きましょう」


 森脇の説明を切るように芳之は言った。


「ですが……お客様。いずれはご説明するつもりでしたがご予約のお部屋はその……」


「事故物件、でしょう?」


 その言葉に森脇が目を丸くする。


「ご存じだったんですか。ええ、その通りです。普通進んで事故物件に入りたがる人はいませんからね。一応他のお部屋を、と思ったのですが」


「結構です。ぜひこの部屋が見たいのでね」


 森脇は気味悪いものを見たような顔を一瞬浮かべた。しかし接客業に従事しているだけあって次の瞬間には笑顔を戻してみせた。


「……そうですか。どうしてもということならご案内いたします。車を回して参りますのでこちらでお待ちください」


 静かに立ち上がり、くるりと振り向くと森脇も先ほど高林が入ったドアへと向かった。

 広く明るい店内の朝の光に、不釣り合いな不穏な静けさが立ち込めていた。







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