第342話 『よく寝ていられるよな』
湿気を多く含んだ夜風の中、宣言通り近くのコンビニまでやってくると五反田部長はすずちゃんを抱えて涙目で振り返った。
「で!? 上野! 居たの!? 知らないおじさん! クローゼットの中に!?」
「居たというか、居るんだろうなという感じです。あの……五反田部長。クローゼットの中にある小さい台みたいなのって、何に使ってますか?」
「小さい台? どんな? 覚えがないけど……」
「えっと、いつもは畳んでおける足台みたいなやつなんですけど。僕のふくらはぎくらいの高さで、深緑色の……」
語彙力の無い僕がジェスチャー込みで説明しようとしていると、思い当たる節のあったらしい五反田部長はスッキリした表情で「あっ」と声をあげた。
「もしかして昔母さんが台所で使ってたやつかな? いつだったか、ずーっと探してたんだよね……。そんな所にあったんだ〜」
沈黙。
僕も神田先輩もすずちゃんも五反田部長を凝視していた。そんな視線を浴びていることに気づいたのか、それとも別の事に気が付いたのか、部長は三拍ほど置いてからいつもより一オクターブ高い悲鳴を響き渡らせた。
「……なんでそんな所に!?!?」
「やっぱり覚えがなかったですか……。一人になりたいときに座ってるとかだったらよかったのに……」
あの台を見て不思議に思った。何でこんなところに踏み台があるのか。それで部長に質問してみたけど、どうやらクローゼットを心の避難場所に使っている訳ではなさそうだった。
目を白黒させてしまっている五反田部長に僕は追って訳を説明した。
「あの台の上、天井裏への点検口があったんです。それ見て僕、自分だったらこの台がなくても登れるなって思ったんですけど、よく考えたら『じゃあ誰がこの台を使って上へ登ってるんだろう』って……」
「誰かが台を使って登り降りしてそうだったのか?」
「はい。壁に黒い跡が付いていて、たぶんアレは足をかけて力を入れた跡です。毎回そこに足をかけるんだと思います」
「毎回って……」
神田先輩の苦笑が夜の空気に溶けていく。そして先輩はそのまま、この事件の結論を口にした。
「つまりアレか。そいつは……
五反田部長が息を呑む。当たり前だ。だって知らない誰かが住んでいる事に気づいた場所が場所だから。
「おそらく……ですけど。でもそう考えると、侵入経路が見つからないのも、目立った盗難も無かった事が説明できます。多分、盗られたものは水とか食料とかなんです。だから気が付かなかったんですよ」
「五反田んちは両親とも夜勤やら宿直やらがあるから家族全員が別の時間帯で動いてる日が多いだろうからな。そうなると食い物が減ってたりしても『誰かが食ったんだろう』で済まされやすいんだろうな」
常にそこにいるのならば、家から盗るものは金目の物じゃなくていい。むしろ目立つものは盗れないだろう。だって、そこに居る事を悟られる訳にはいかないんだから。
「じゃ……じゃあ……そのおじさん、ご飯盗りに降りて来る度……俺の横を通ってたって……事……?」
「お、おそらく……」
あの後少し見た限りだと天井裏への点検口は五反田部長のお部屋にしかなかった気がする。だからきっとそうなんだ。五反田部長の言う通りその人はほぼ毎日のように、寝ている住人の横を通りすぎていたんだろう。
「で、昨日は遂に呟いちまったんだろうな『よく寝てられるよな』って」
神田先輩の言葉の後、誰も言葉を発せなくなってしまった。
夜な夜なひっそりと降りてきては幸せそうに眠る住人の横を通りすぎる男。その男は住人に存在を知られないように物音を控えなければならない。期間は解らないけど、ずっとそんな生活を続けていた男の精神は鬱屈としていたんじゃないだろうか。こそこそと食料を盗りながら生きていく害獣のような生き方をしている人間が、健全な精神のままでいられるとは思えない。
そしてある日突然、口をついて出てしまった『よく寝てられるよな』という言葉。
――その言葉の続きは『殺されるかもしれないのに』なんじゃないか。
そう考えてしまった途端、僕の表皮を鳥肌が覆った。
あの言葉を呟いてしまう人間が一体何度横を通り過ぎていったのか。僕でも顔色が悪くなる気分なんだから、きっと五反田部長は物凄く怖いだろうな。
涙も出ずにわなわなと震える五反田部長はすずちゃんを抱えたまま俯いている。
「で……あの。どうしましょう?」
「一応物理戦になってもいいように金槌は持ってるぜ。はっ倒すか? 俺と、お前で」
「そうですねぇ。ではまたツープラトンにしますか? 今度は金槌で」
おそらく天井裏に棲んでいるであろう不審者をどうするかについて神田先輩と話し合っていると、やっとのことで言葉を出せる程に回復したらしい五反田先輩の涙を滲ませたツッコミが宙を舞って僕らに直撃した。
「いや、警察でしょ!?!? 何、普通に戦おうとしてんの!?」
「あ、そっか」
そういえば失念してた。金槌持って自分たちで戦うのってあんまり普通じゃないんだった。
神田先輩もすっかり自分の手でシバき倒す気で居たらしく、手を打ちながらスマホを取り出し警察へ連絡した。
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