第16話 思った以上に胸糞な話だ

「おこがましいことはわかってます……! 僕がこっくりさんと共謀してあの人を殺してしまったんです……! 殺されたって、仕方がないです……自業自得です……! でも、僕……まだ、生きていたくて……! もう少しだけ、死にたくない……!」


 上野はとうとう泣き出してしまった。

 俺の眉間には谷のような皺が刻まれていることだろう。さっきの上野の話じゃないが、頭の中からプチプチ音がするような気がする。

 思った以上に胸糞な話だ。


 あのリスカ女はなんの目的かガキに良い顔をして、自分が他人に自慢できると思っていることをひけらかして、ガキにインチキ臭い降霊術まがいの占いを教えた。男に良い顔をするためか、世間知らずなガキを利用してチヤホヤされるためか知らんが胸糞悪い。

 あのトカゲの化け物がどうしてあんな形なのかもわかった。その背面ゆびきりとやらで、ずっと一緒とか離れないとかいう約束をしたから、死んでも‘’離れない”ようにあの形になったんだろう。


「安心しろ上野。お前が死ぬ必要はない。お前はクズ幽霊の口車に乗せられただけだ。お前が人を殺したわけじゃない。そのこっくりさんとやらがお前に人殺しをさせたんだ」


 声が、多分今まで上野に話しかけた中で一番低くなっている。


 (世間知らずの子供を……妄信と依存で自分に縛り付けるために、あえて選択させて、人ひとりを殺したってとこか。クズめ)


 しかも話を聞く限り、後半はほぼ脅迫に近い。クソ野郎が。だから幽霊だの怪異だのなんてのはクズなんだ。死んでるくせに生きてる人間にちょっかい出しやがって。しかも世間知らずのガキを利用するために人殺しにまで仕立て上げやがった。上野に罪の意識を植え付けるためにあいつの体を使ったんだ。

 クソ野郎。クズ、ゴミ、外道、カス、思いつく限りの罵倒文句でもまだ足りない。


 これはチャイルドグルーミングだ。


 優しそうな顔をして、親切を装って、子供に近づいて利用するためにしがらみでがんじがらめにする。

 死んでるくせに、生きてる人間に、害意を持って、策を弄して、近づいて、この年まで利用し続けてきやがったのだ。


 俺の敵意を察知したのか、上野の左肩に乗った手が強張る。上野の肩を強く掴み、痛みを与えているようだった。


「うっ……」


 上野が小さくうめく。こめかみには血管が浮き出ているように見えた。目がどこか宙を見ていて、口を半開きにしている。そこから唾液が流れ落ちていた。尋常ではない。

 これ、取り憑かれてないか?


「おい、上野……」


 返事はない。奴の手がわなわなと動いて、胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出した。

 テーブルの上に広がった紙は、五〇音と鳥居、そしてはいといいえが書かれた、こっくりさんに使うのだろう用紙だった。かなり使い古されているが、文字が掠れたりした様子はない。

 上野は相変わらず正気とは思えぬ顔のまま、さらに胸ポケットから一〇円玉を取り出し、人差し指を乗せる。とても意識があるとは思えない顔なのに、慣れた手つきで鳥居のマーク目掛けて一〇円玉を置き、指で押さえた。

 とたん、上野の背中に腕が生える。


 いや、あいつの背後から、何十という死人の手が、虫のように這い出してきたのだ。

 

 上野の左肩に乗っているような手だ。そいつらが一斉に、上野の肩やら頭やらを無遠慮に触る。

 まとわりつくように、湿度さえ感じさせるその触り方は、性的な媚びの気配を伴っていて吐き気がする。肩を撫で、頬を擽り、顎を持ち上げ、唇をなぞり、これは自分のものだと主張するように、そいつらは白目を剥いた上野の顔を覆い隠して行った。

 気味が悪い。

 腕どもの爪は黒く変色し、肌は不自然なほどに青白い。およそ生気というものを感じ取れないそれからは生気が感じられないのに、上野に対する執着は嫌というほど感じられた。トカゲの化け物に入っていた女といい勝負だろう。

 腕の一本が上野の腕を強く掴んで、一〇円玉を動かし始める。


 《きょうすけくん このひとにそうだんしても かいけつしないよ わたしが どうすればいいのか おしえてあげようね》

 《いつもどおり きょうすけくんは わたしに そうだんしてくれれば いいんだよ》

 《おねえさんと かれしは きみがしねば じょうぶつ できるんだ みんなで こちらに おいで》

 《かれしは わるいおとこ だから じごくに おちる きょうすけくんと おねえさんは わたしとたくさん あそんで くらそう》

 《いままでずっと わたしのいうことを きけば まちがい なかった だろう こんかいも そうだ》

 《かれしを ころした きょうすけくんは おねえさんに あやまらなきゃ》

 《わたしが いっしょに あやまって あげる からね》

 《もういちど おねえさんに あいたいだろう》

 《だいじょうぶ あのおとこは こないよ》

 《わたしが はいめんゆびきり の ちかい を かいじょ して あげようね》

 《だから おいで あのばけものは あしたも くるよ あしたは きみのかぞく を くいころす》

 《きょうすけくん が ころしてしまった から あいつは ふくしゅうしに くるよ》

 《このひとは まきこまれたら かわいそうだ きょうすけくんは やさしいこ だから つらいだろう かえって もらいなさい》

 《かえって もらいなさい かえってもらいなさい かえってもらいなさいかえってもらいなさいかえってもらいなさいかえってかえってかえってかえってかえってかえってかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれしてもらいなさいかえれかえれかえれかえれ》


 《きょうすけくん ゆるされたいなら こんや にじに おにわに おいで すてきなところ に いこう ね》


 こんなに流暢に喋る化け物は見たことがない。

 あまりの言い草に怒りを通り越して唖然としてしまった。

 なんだこいつは。なんだ? 何を言っている? 本気か?

 そもそも何でさっきから上野を自分の所有物みたいにしているんだ? 死んでるくせに何様のつもりだ?

 上野の所有者は上野自身に決まってるだろう。

 なのに、何を……何だ? なんのつもりだ? なんだこいつ? なんかもう笑けてくるな。こないか。そんなわけあるかクソが。


 腕野郎が好き勝手喋って満足したらしく、腕の群れがやはり虫の群れのように消えていく。腕に覆われていた上野の顔が見えるようになり、白目を剥いていたはずの目が焦点を結ぶのが確認できた。

 どうやら正気に戻ったらしい。

 意識を取り戻した上野が慌て口の端についた唾液を拭く。それから、テーブルについた唾液も備え付けの紙ナプキンで必死に拭いている。

 なんでお前が拭いてんだ。もはや上野の動作にさえ腹が立つ。腕の化け物のせいでテーブルが汚れたんだからその左肩の手にやらせろよ。


「あ、ぼ、僕寝てました!? えへへすいません! 最近寝てなくて……!」

「お前帰って庭に行く気じゃねぇだろうな」


 俺は怒りが声に乗るのを止められなかった。上野がさも図星ですという風に「え゙っ」と裏返った声をあげたので、余計に腹が立つ。


「図星か……死ぬぞお前……俺が殺すからな……」

「えぇっ!?」

「いつもあんなに流暢に喋んのか? あのクズ野郎は」

「えっ、なんか怒ってます!? え、えっと、そ、そうですね、あんな感じです……!」

「ああやって無理矢理話してくるようになったのはいつからだ」

「あ、あー……こっちに戻ってきてからです……」


 腹が立ちすぎて頭がおかしくなりそうだ。やっぱりもう腹が立ちすぎて笑えるな。ははは。ははははははははははははははは。はははは……


 はーぁ。


 俺はこっくりさんセットを片付けようとしていた上野の手を払いのけ、紙の上に手を叩きつけた。


「貸せ。俺が本当のテーブルターニングを見せてやる」

 

 口元に自然と笑みが浮かぶ。多分目は笑っていない。殺意が笑顔から漏れ出していたのか、上野の顔が引き攣っていた。

 知ったこっちゃないのでさっさと一〇円玉に人差し指を置く。ついでに上野の隣に移動し、あいつの腕も掴んで一〇円玉の上に人差し指を追うように誘導した。一〇円玉を無理矢理「はい」の上に置いて、動かないように押さえつける。


「オイコラ聞いてんだろクズ。背面ゆびきりの解除方法さっさと吐け。どうせお前にしかできねぇ事じゃねぇんだろうが。アレの本体が別にあるんだろ。おおかたその本体を壊せば解除ってとこか? どうなんだとっとと吐けクソ雑魚野郎が」


 反発するように一〇円玉が動こうとするが、俺は渾身の力で一〇円玉を押さえつけた。コイツぜってぇ許さねぇ。一泡吹かせてやる。クソ野郎が。


「お前みたいな害虫は所詮生者の力を頼らざるを得ない。吐かねぇ気ならこっちにも考えがある。今日は清めた酒を持ってるからな。上野にひっかけてやればお前ごともがき苦しむんじゃねぇか? お前がゲロするまでかけてみるか? 俺は別にアホ上野が苦しんでも構わねぇ。それでも吐かねぇならお前をなんとしてでも消す。上野が死のうと、どれだけ時間がかかろうとだ」


 上野が俺の横で「え、僕、死……?」とかなんとか言って震えている。ひと睨みして一〇円玉を押さえるよう指示すると、奴は震え上がって大人しくなった。


「お前がこの世界で人間サマに盾ついたことを後悔させてやらねぇと他に示しがつかねぇからな。どうする。何がいい? まずは酒か?」


 一〇円玉は「はい」に固定されたままだったが、動きたそうにガタガタと震え出し、火で炙ったかのように熱くなった。上野が手を離しそうになったが、腕を掴んでやめさせる。どうせこんなもんで火傷はしない。火傷したところで死にはしない。


「えっ、あの、先輩、これ、質問しながら押さえつけるのアリですか?」

「人聞きの悪ぃこと言うんじゃねぇよ。押さえつけてねぇよ。見ろ、さっきからお行儀よくお返事してくれてるだろうが」

「え、酷くないですか……?」

「あぁ? 仲良くお話してるだけだろ。テメェ目玉腐ってんのか?」

「ひぃん……」


 一〇円玉はガタガタ震えるだけで返事をする様子がない。お望みとあらばしょうがねぇな。上野を押さえつけていた腕を一旦離し、胸ポケットに入れていたアトマイザーを取り出す。まずは十円玉と上野どっちにぶっかけてやろうかな、と思案していると、突然閃いた。


 《よる じゅうにじに ゆびきりにつかった かがみを わる》


 どうせ閃くならどっちに酒を吹きかけるかの方が良かったが、まあいいだろう。


「ほぉー、そうかそうか」


 一〇円玉を見下ろすと、ガタガタ震えるのが強まったようだった。なぜか上野もガタガタと震えている。


「ヤ、ヤクザァ……!」


 あ、泣いちゃった。誰がヤクザだド突くぞ。

 上野をひと睨みした後、一〇円玉に視線を戻す。


「最後にもう一つ。二度とお前の方からこっちに話しかけんな。お前にそんな権限はない。調子に乗んなクソ雑魚。お前らは質問された時だけバカみてぇに答えてりゃいいんだよ。今日はゲロしたから許してやるが、次はねぇぞ。わかったな? わかったら帰れ」


 一〇円玉が動きたそうにしたが、人差し指で押さえつけ続けた。銅が異様なほど熱を持ち、ブルブルと小刻みに震え始める。どうしても動きたいようだったが、上下関係は徹底的に叩き込まないといけない。

 しばらく押さえつけていると、一〇円玉の痙攣がふと止まった。温度も低下していき、なんの変哲もない一〇円玉に戻る。


「次ちょっとでも調子乗ったら殺す」


 吐き捨てて一〇円玉から手を離す。全身がぐっしょりを汗で濡れていた。気持ち悪ぃな。気分も悪ぃし、最悪だ。

 一気に気が抜けて椅子に座り込んでしまう。横にいる上野は口をパクパクさせて何か言いた気にしていた。生憎疲れ切っているので、他人を思いやる気持ちの余裕がなくて尋ねてやれない。


「悪い、コーラ貰うぞ」


 自分の分は殆ど飲んでしまっていたから、上野のコーラを一気飲みする。息を整えて、声が出るようにするためだ。上野は少し勘違いしているようだから、説明した方がいいだろう。


「下手に出るとああいうのはつけあがる。あいつはだいぶつけ上がってるせいで力までつき始めてる。気をつけた方がいいぞ」

「あ、えっと……先輩、お祓いとか、できたんですね……」

「まだ半人前だけどな」


 顎の下を拭うと、汗で手の甲が濡れた。ハンドタオルとか持ってくれば良かったな。


「だからほとんどハッタリだ。ああいう奴は力がついてきても所詮雑魚出身だからな。脅してやるとすぐ降参するやつも多いんだよ。言葉が通じればこそだけどな」


 上野がどこから出したのか、ハンドタオルを差し出してくれる。コイツ準備がいいな。「ありがとう」と礼を言って受け取り、体を拭く。これ洗って返した方がいいな。


「オカルト好きにしたら釈迦に説法かもしれないが、テーブルターニングってのは元々占いだ。占いの結果ごときで生きんの諦めてんじゃねぇよ」


 とりあえず、ひと段落したので食いかけのハンバーガーとポテトを片付けたほうがいいだろう。汗を拭いてから上野と対面になるように座席を移動する。ハンバーガーもポテトもすっかり冷めていてテンションが下がった。せっかく久しぶりにジャンクフード食うのにな。全部腕野郎のせいだ。やっぱり一回くらい酒引っ掛けてやれば良かった。殺すまでいかなくても、もがき苦しんでいるのを見ればいくらか溜飲が下がる。


「とりあえず明日はお前部活休め。そんで放課後俺と廃墟と鏡確認しに行くぞ。お前の家からどのくらいかかるかも確認しときたい。あのトカゲ、獲物見つけた後は案外動きが早いからな。そんで改めて十一時にお前の家に集合だ。できるだけ本番までに手順を確認してスムーズに進めるようにしたい」

「は、はい。わかりました……! 部活はまだ本格的に始まってないですし、他の部活も友達の付き合いで見に行くって言えば大丈夫だと思います」

「お前友達いたんだ」

「い、いますよ!? い ま す よ!? 当たり前じゃないですか!?」

「その言葉は今俺を傷つけたぞ」

「ぁっ……!」

「察し、みてぇな顔すんじゃねぇド突くぞ」

「理不尽じゃないですか……!」

「うるせぇな。これ食い終わったら家まで送ってくからな」

「えっ、優しい……ありがとうございます……」


 大丈夫だとは思うが、目を離した隙に腕野郎が上野の意識を乗っ取って庭に放置なんてことになったら困る。今までのパターンを見るに、こっくりさんをやる以外の“操縦”はできないんだろうが、念の為だ。命狙われてるやつをひとりで帰すの、普通に後味悪いしな。


「おい上野。絶対に夜中二時に庭行くなよ」

「は、はい。大丈夫です! 行きませんよ」


 結果として、俺の考えは完全に杞憂だった。上野の左肩に乗ったクズは今のところおとなしい。なんかの縛りでもあるんだろう。選ばせることに意味があるのか。なんか腹立ってきたな。嫌がらせしてやろう。


「雑魚が調子づくといけないからこれやる」

「わっ」

 

 上野の家の前で別れる直前、胸ポケットに入れたアトマイザーを投げ渡す。清めた酒が入っているから、少量ではあるが護身用くらいにはなるだろう。


「これ、御神酒ですよね!? いいんですか、貰っちゃって……!」

「俺が清めた酒だが、センセイのお墨付きだからな。それ、寝る前にでも体か部屋にまいとけ。財布に入ってる札も部屋に置いといた方がいいぞ。お前からしたら上等なインテリアだろ」

「あ、ありがとうございます……!」


 今から家帰んのダリィな。もうこの時間なら寝ないで学校行ったほうが良い気がする。もう今すぐ気絶したい。家に帰るのがしんどい。体が重い。玄関の前でぶんぶんと腕を振る上野を玄関に押し込め、鍵をかけさせてから帰路につく。

 なんかどっと疲れが出てきた。


 (今回はなんとかなったが、あのクズ、相変わらず肩に手をかけてやがった。上野が妄信してやがるからそうなるんだ。つけこまれやがって……)


 汗かいてるから、帰ったらシャワー浴びた方がいいだろうな。漫画喫茶に泊まってしまいたいが、未成年だし、騒ぎになるのは面倒だ。もう何もかもが面倒だな。投げ出したいことばっかりだが、そうも言ってられない。


 (正直なところ、半人前の俺じゃああいつの存在をどうにかはできない。あいつの意思も読めない。引き下がるのも含めてあのクズ腕野郎の想定内だったりしたら……クソッ……またムカついてきた……)


 腹が立つ。もう今日はずっと腹が立ちっぱなしだ。なんで生きてる人間が死んだ化け物どもに振り回されなきゃいけないんだ。腹が立つ。本当に腹が立つことばっかりだ。


 (大嫌いだ。心が弱い奴の隙につけ込んで操って、甘い汁を啜るクズ野郎が……俺は……大ッ嫌いだ……!)

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