陰キャ少女15歳。その彼氏、60歳。

くくくく

第1話 水無月瑞樹15歳。人生最大の試練。

 全部私が悪いんです。コミュ障で陰キャだから、可愛くないから、こうしてイジメられても仕方ないのです。

 休み時間に校舎の裏でクラスメイトに囲まれて、服を脱ぐように言われています。ネットの動画で見たことのある陰湿なイジメです。陽キャでパリピの男子と、ギャルの女子。何人いるのか怖くて目の前を確認することもできませんが、全員がスマホのカメラを私に向けているのはなんとなくわかります。


「早く脱がないと、やっちゃうぞ?」


 やっちゃう、とは何でしょうか。それは、やられてしまうと二度と取り返しのつかないような酷いことでしょうか。脚は震えて、心臓が口から飛び出しそうです。


水無月みなづきって処女でしょ? ウケる」


 女子の声がしました。恐怖で顔を上げることすらできません。私は真空パックされたように体が動かなくなり、縮みあがってしまいます。

 もっと堂々とできたらイジメられていないのかも知れません。だってこんなに怯えていたら、イジメ甲斐がありますよね。ほんの少し勇気があれば逃げ出すこともできるのに。でも、そんな勇気は私にはないのです。

 ごめんなさいお母さん。私はそう心の中で呟いて、制服のリボンに手をかけました。脱ぐしかない、悲しい結論です。


「どうかしましたか?」


 弱々しい声が聞えました。それは、この中学校の用務員さんでした。今の時代、用務員さんを「用務員さん」と呼ぶことも珍しいようです。深い青のジャージに、竹ぼうきを持った60歳くらいのおじいさん。名前は佐々木さんです。

 佐々木さんは怪訝な顔をして、私と私を囲むクラスメイトを見つめています。


「あー、なんでもないんで、大丈夫っすよ」

「どっか行ってもらってもいいですか?」


 威圧するようにクラスメイトが言いました。佐々木さんは泣きそうになっている私を見て、さすがに様子が変だと察したようです。


「ですが、彼女は泣きそうですよ? 何かあったのではありませんか?」

「うるせーよ」


 ひと際体の大きな男子が佐々木さんに近づきます。


「ジジイはどっか行け。文句あんのか? あんたに暴力を受けたって話にしてもいいんだぞ?」

「それか、あたしがこのジジイにレイプされたとかねw」


 背後でギャルが爪に息を吹きかけながら続け、面白そうに笑いました。


「それは、どういうことですか?」


 佐々木さんが困惑した様子で言うと、さっきまでの笑いが嘘だったかのような冷たい声でギャルが言いました。


「どういうことか教えてやろうか」


 生徒たちが佐々木さんを囲みます。私は何か言いたいですし、どうかしたいけれど、何もできません。ジリジリと佐々木さんににじり寄るクラスメイト達。その異様な圧に、佐々木さんは後退りしようとして転んでしまいました。

 腰を打ったようで、辛そうに顔を歪めます。それを見てクラスメイト達は大笑いしました。私は、私は怖くて目を閉じてしまいました……。


「何してんだ!!」


 佐々木さんの声とは正反対の、力強く若々しい声が響きました。二十代の体育教師、力石りきいし先生です。力石先生は佐々木さんと生徒の間に割って入り、周囲を睨みつけます。それから私を見て、面倒くさそうにため息をつきました。


「ま~たイジメか? お前ら学校を舐めんなよ?」

「イジメなんてしてねーよ! 証拠もないのに言い掛かりか? 教師として問題あんじゃね?」

「黙れ! だったらなんで水無月が泣いてるんだ!」

「泣いてるからみんなで慰めてたんだろ!?」

「はぁ!? 佐々木さん、そうなんですか?」


 力石先生は私ではなく、まだ地面に尻もちをついたままの佐々木さんに確認します。


「わ、私も最初から見ていたわけではないので……」

「そうですか」


 力石先生はため息をつき、生徒たちに向き直ります。


「お前ら、今日はそういうことにしてやるけど、次は無いからな。さっさとどっか散れ!」


 口々に文句を言いながら、クラスメイトが去っていきます。私は安心したのと情けないので、涙がワッと溢れてきました。


「それと水無月。イジメられるお前にも原因があるんだからな。しっかりしろよ」


 力石先生は私の方は一切見ずにそう言うと、さっさと行ってしまいました。

 背中を震わせて泣いている私を見ながら、佐々木さんは竹ぼうきを杖のようにして立ち上がります。


「あの、落ち着くまで用務員室で休みますか?」


 このまま教室に行ってもどうなるかわかりません。私は黙って頷きました。



 用務員室は旧校舎の隅、窓からの光が入らない場所にありました。六畳ほどの和室で、ちゃぶ台とテレビがあります。逆に言えば小さなテーブルとテレビしかないシンプルな部屋ということです。簡単な流し台がついていて、そこにある電子ケトルを使い、佐々木さんは緑茶を淹れてくれました。

 温かいお茶を飲むと、また涙が溢れそうになってしまいます。佐々木さんは転んだ際に打った腰を気にしながら、ゆっくりと座布団の上に腰を下ろしました。


水無月瑞樹みなづきみずきさん、と言うんですね。良い名前です」


 名前を褒められたことが生まれて初めてだったので、申し訳ない気持ちになりました。


「イジメられたのは私が悪いんです、こんな感じなので」


 そんなこと言うつもりはなかったのですが、つい口から言葉が零れてしまいます。

 私は目が少し隠れるくらいの前髪をしています。黒髪のストレートで、野暮ったいと思われても仕方ありません。下手に髪型を変えて、それでまた笑われるのが怖いのです。こんな私は、イジメられて当然なのかも知れません。


「そんなことありませんよ」

「いいえ、そんなことあるんです。昔からずっとそうです。わかってるんです。私に勇気さえあれば、こんなことにはなっていないはずです」

「勇気、ですか。そうですか……」


 佐々木さんはなんとも言えない表情をしてお茶を啜りました。

 

─次の瞬間、私たちの運命が大きく動きました。


 今まで経験したことのない大きな爆発音がしたかと思うと、用務員室はおろか校舎が倒壊するのではないかという程に揺れました。


「地震!?」


 咄嗟に私は避難しようと立ち上がりましたが、佐々木さんは腰を痛めたせいか上手く動くことすらできないようです。


「これは地震ではありませんね。もう揺れていませんから」


 佐々木さんの言う通り、揺れは既に収まっていました。しかし、部屋のドアの隙間から紫色の煙が洪水のように流れこんできました。どこからか非常ベルの音も聞こえてきます。


「煙……火事かも知れない。佐々木さん、逃げましょう」

「お恥ずかしいことですが腰が抜けてしまったようで。水無月さん、先に逃げてください」


 既に部屋は煙で充満しています。私はハンカチを取り出して口に当てました。

 火災の煙は一酸化炭素中毒を引き起こし、体が動かなくなり最悪死に至ることは知っています。生き延びるためには、佐々木さんを置いて逃げなくてはいけません。だけど、そんなことできるでしょうか。私がイジメられていたところを、声をかけて助けようとしてくれた人物を見捨てるなんて。


「水無月さん、逃げなさい……逃げるんだ」


 佐々木さんの顔が苦痛で歪みます。どうやら煙を思い切り吸い込んでしまったようです。


「そんなことできませんっ」

「水無月さん、逃げろ……私を置いて……逃げろ……」


 ゆっくりと佐々木さんの体が畳の上に倒れていきます。私は窓に走り寄り、全開にしました。

 火事の時に窓を開けたらダメだったかどうか、バックドラフト? よくわかりません、私だって混乱しているんです。

 幸いなことに窓を開けると煙は全て外に流れていきました。廊下から入り込んでいた煙も、既に消えています。私は目が上手く開かず涙を流しながらも、倒れてグッタリとしている佐々木さんに駆け寄ります。


「佐々木さん、大丈夫ですか? しっかりしてください!!」

「……あ、はい……。だ、大丈夫、です……」


 佐々木さんを抱きかかえ、体を起こそうとします。その時、大きな異変に気付きました。


 目の前の佐々木さんは、さきほどまでの佐々木さんではなかったのです。


 具体的に説明すると60歳程度だった佐々木さんが、今では18歳程度に見えます。煙で目がおかしくなったのでしょうか? パニックによる幻覚でしょうか?


「あれ……ええと、佐々木さん?」

「な、なんでしょう?」


 さきほどまでと同じ優しい口調で話す佐々木さんですが、あきらかに若返っています。顔に刻まれた皺は消え、薄かった白髪も黒々とし、目にも輝きが見えます。


「佐々木さん、ですよね?」

「も、もちろんです。どうかしましたか、水無月さん」

「いえ。なんというか、その……え? 佐々木さん?」

「そうですよ、なぜそんな……」


 佐々木さんは、消えたテレビ画面に反射する自分の姿を見てピタッと止まりました。それから自分の手を眺めグッパッグッパッを繰り返し、肩を回し、颯爽とジャンプするようにして立ち上がり、大きく伸びをします。立ち上がることさえできなかった佐々木さんとは思えません。というか、本当に佐々木さんなのかどうか自信がありません。


「佐々木さん……何があったのでしょうか……」

「おい、瑞樹」


 突然の名前の呼び捨て。心臓を掴まれたような衝撃を受けました。佐々木さんは、さきほどまでの優しい表情ではなく、悪魔を思わせる歪な笑みを浮かべています。


「え……佐々木……さん?」

「お前をイジメてた奴らを、ブッ殺しに行くぞ」

「あの、どういうことでしょうか?」

「どういうことかどうか俺にもわかんないけど、若返った。一瞬で。それだけ」

「な、なぜ?」

「わかんないってば。でも若返った。体が昔みたいに動く。ってことで、復讐に行こう」

「ふ、復讐なんてそんな──」

「うるさいな」


 佐々木さんは私に顔を近づけてきました。異性にここまで接近されたのは生まれて初めてです。


「そんなんだからイジメられるんだよ。痛い目みせときゃイジメられないだろ? だから、わからせに行く」


 彼の冷たい切れ長の目は、冗談を言っている目ではありませんでした。たぶん、本気です。


「そんなこと許されるわけないじゃないですか。暴力に暴力で対抗したら争いしか生まれませんし、何も解決しません」

「口答えするな。なんなら俺がお前をやっちまうぞ」


 やっちまう、とは何でしょうか。それは、やられてしまうと二度と取り返しのつかないような──


「瑞樹がなんと言おうと、俺は行く。勝手にしろ」


 佐々木さんはそう言うと、ジャージ姿で竹ぼうきを持ち部屋から出て行ってしまいました。

 どう考えても、何から何までまともじゃありません。佐々木さんがいなくなると、用務員室は静まり返りました。もしかしたら夢、あるいは幻覚だったのかも。いや、そうに決まっている。だってね、急に若返ってとか、あるわけないですよね。


「なんだ夢か」


 私はそう言って、額の汗を拭ったのでした。


「ぎゃあああああああああ!!!」


 窓の外から悲鳴が聞えます。たぶん、夢じゃない。さすがの私でも受け入れました。これは、ガチのやつです。

 私は慌てて部屋を飛び出し、悲鳴が聞える方向へ走り出すのでした。

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