はぐるまバディに性転のララバイを

葛猫サユ

第一章

ラヴァルとジェニスⅠ【C.C1795.01.29】


     ◆


 ラヴァル・ギールという男から、この記録を語ろう。

 ラヴァル・ギール。天球暦一七七七年生まれ、現在十八歳。男。フェーヴ一番街学園三年生。


 そんな彼は、学園の廊下で左の頬を叩かれていた。


 二月を控えた昼下がり。大理石の伸びる豪奢な回廊に、鋭い破裂音が響き渡る。学生たちは一瞬だけその音に足を止めるも、そこにいるのが短い青髪と炯眼を携えた青年と、菫色の髪に黒縁の眼鏡をかけた女生徒だと気付くと、何事もなかったかのように自分たちの日常へ帰っていく。

 それから先の二人の会話にはあまり意味はない。女生徒のヨランドはラヴァルの襟を掴んで引き寄せると、ひとしきり怒鳴ってから内ポケットに収まっていたシリンダを抜き取る。

 それは革紐に繋がった、金色の円筒だった。自分から離れていくそれをラヴァルは沈み切った表情で眺めている。

 それすら気に入らないのかヨランドは、革紐の絡んだ拳を固めるが、抵抗しない彼に呆れ、何もせずに廊下の壁に突き飛ばして歩き去った。


 殴れよ、くそったれ。


 ラヴァルは喉の奥でぼやいて起き上げると、ベルトに括りつけられた彼のシリンダが虚しく揺れる。

 胡乱な瞳が外を向く。

 吹き抜けの中庭を抜けて、フェーヴ一番街のさらに奥の奥。レンガ造りと石材建築が混在する街並みを抜けた先には、ラヴァルの視界を斜めに支配する、金色の建造物があった。

 それは時刻環じこくかんと呼ばれている巨大な円環の一つで、大小の違う六個の円環が、寸分違わない精度で三次元に回転することで、この世界の時間を知らせている。

 一日は二十四時間、一時間は六十分で、一分は六十秒。一年を三百六十五日で一周する環の最外端――地平環ちへいかんと呼ばれる水平を保つ環上――に、第五天球都市のフェーヴは今日も物理的に存在する。


 ラヴァルは時刻環の傾きを確認すると、講堂へと足を向ける。

 制服のポケットに手を突っ込み、失意に顔を沈めたまま講堂に着くと、扇状に並ばれた机の中から、入口のすぐそばを選んで、外側を一席空けて座る。

 空いた席には、彼の相棒が座る予定だった。

 ラヴァルは空手のまま、ときたま現れる知り合いに適当に挨拶を返し、頬杖をついて壇上で講釈に来た白髭の教師とスクリーンの黒い板面を無感動に見つめていた。


 その日の講義は、二十年前に行われた、降下作戦ついて。

 これにも意味はない。卒業を控えたラヴァルにとっても、それ以外の生徒にとっても。この時期の授業は教師の趣味の話が延々繰り返され、出席だけで単位を取れてしまうことを、ラヴァルは知っている。それでも彼がここにいるのは、手が尽くされ、否応なしに手持無沙汰であったからだ。

 スクリーンには、輸送機から投下される棺の色褪せた写真がスライドショーの形式で投影されている。

 棺は変形して四肢を展開して、インナースーツに身を包んだ戦士たちを都市中心へと着地させる。突如地表に降り立った三メートル超の巨人の姿に恐慌する兵士が、黎明期特有の洗練されていないアームの直撃を受けて吹き飛ばされていく。棺から補助外骨格へ変身を遂げた彼らは、二人一組の独自の陣形を組み、城壁内部へと進軍していく。

 数組の戦士たちが数百名の兵士たちを制圧していく無音の光景は、歴史の講義さながらの無情緒さに溢れていた。


 当時の企業連合が起こしたこの電撃戦は、当時の皇帝の宣言によって、わずか十日前後で終結し、これまでの王権制度を打倒したと語られていることから、この戦いは『十日革命』と呼ばれている。

 映像には、革命を象徴する有名な格言が注釈として添えられていた。


 神は死に、故に我ら神を殺すこと能わず。


 第一天球都市マーリンの現当主、オーヴァンの言葉だ。

 教えられるまでもなく、ラヴァルはその言葉を知っている。何故なら彼はこの一週間図書館へ閉じ籠り、この世界の神や宗教やその儀式……果てには歴史まで調べつくし……その全てが痕跡だけを残して消えているせいでほんのわずかな紙くずしか残されていないことに気付いたのだから。


 革命よりも前に、神なんてものはとうの昔に殺されている。


 ラヴァルは、その見栄っ張りで気取った台詞に、ほくそ笑む。


「何がそんなにおかしいんだい?」


 投げかけられた問いに、「はっ」と彼はいつものように鼻を鳴らして答えた。


「神頼みなんて考えてたのが、バカらしくなったんだよ」

「神頼み?」声は意外そうに言葉を返して。

「キミらしくないね」

 と評する。ラヴァルはああ、本当にらしくなかったと肩をすくめて自虐した。


「ただ……お前のためにできることなんでもしようと思っただ、けで……」


 調子づいた声が何かに気付き、しぼんで消える。


「ボクのため?」反して、問うた声は弾んだ調子だった。

「嬉しいなぁ。それじゃあキミの厚意に甘えて、一つ訊きたいんだけど」


 ラヴァルは、ゆっくりと、空けた隣の席に首を回す。


「は」と呟いた瞬間。

「……あぁ……?」と。


 欣喜と、疑念と、困惑と、驚愕を全て攪拌した結果、吐息ともつかない声を漏らすと、ラヴァルはそのまま視線を上下に揺らして、その姿を何度も確認した。


 中性的な顔立ちにぱっちりとした目元。口元に笑みを宿し、純真さと溌溂さを放った表情。ラヴァルの隣に座る姿を彩るのは、学園指定の濃い緑色の制服ではなく薄い青色の患者衣。それが学園から徒歩十分とかからない立地で設立された、一番街の総合病院のものであることを、彼は知っている。


 少女がいた。可憐な少女だった。


「どうした、ラヴァ?」


 見開いたラヴァルの瞳に入り込むように、少女は彼の顔を覗き込む。

 ラヴァルは知っている。

 この純真無垢な性格も。

 煌々と揺れる赤い髪も。

 姫と仇名せられる顔も。

 ラヴァという呼び名も。


「うーん?」

 黙り続けるラヴァルのおかしさに気付いた少女は、訝しげに目を伏せるも、そこにあるものに「ああ」と得心した様子だった。

 そのまま視線の先に手を伸ばし、自分の胸を鷲掴むと、無造作に揉みしだいた。


 ラヴァルの口の端が、歪みながら震えた。


「気付いたらこうなっていたんだ。そう、これも訊こうと思っていたんだが、それよりも……ボクのシリンダを知らないか? 看護師はキミに預けたって言ってるんだが……」


 細くしなやかな指が、柔らかな乳房に無遠慮に食い込む。

 目の前の現実から逃れるように、ラヴァルの視線が逸れる。

 しかしその先には、いつの間にかまばらな生徒たち全員……講釈をしていた教師すら、彼女の奇行を前にぽかんと口を開けながら釘付けになっていた。


「ジェナ」

「なに?」

「それやめろ。見られてんぞ」


 淡々と警告するラヴァルに、沈み込んだ指を眺めていた少女は、その大きな瞳を観衆に向ける。

 しばらく、茫然から立ち直って色めき立つ観衆に向かって首を傾げると。


「別に、気にしていないさ」


 一切ものともせず、少女は得意げに笑った。


「天才のボクが人気なのは、女になっても変わらないだろう?」


 この日ラヴァル・ギールは、事故で一週間眠っていた親友のジェニス・ギールの復活に欣喜した。

 しかし、それが病院を抜け出してきたことに困惑する。

 そして目の前の少女が……をまだ『相棒』だと認識した自分に、疑念と驚愕を覚えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る