第31話 大丈夫 僕がいるから

私は、ゆっくりと園田さんに歩み寄って、ベッドに座っている園田さんと視線に合わせるように膝をついて園田さんの瞳を見つめてみた。すると、園田さんの瞳からあふれるように涙がこぼれていた。涙に濡れた園田さんの顔は、月明かりに照らされて、綺麗だと思うと同時に、脆いガラス細工の様に私の心に映った。私は、かなり動揺している園田さんを落ち着かせようと、冷静に、また暖かい口調で


「園田さん、楽器が吹けなくなるって、どういうことなの?」


と言ったが、園田さんは両手を顔に当てて、嗚咽を漏らしながら、泣き声しか病室に響いていていなかった。


一体、どれくらい園田さんは泣いていたのだろう、私には、園田さんの悲しみの原因がわからず、実際には少しの間だったかもしれない、それとも、本当に長かったかもしれない、それは、わからないけど、園田さんは、しばらくして落ち着いたのか、顔の涙を両手で拭いて、うるんだ瞳で私を見つめながら


「私ね、私ね…」


と、一生懸命に話したい気持ちがあるのに心と体が追いついていないみたいだった。私は、そんな園田さんの背中を優しくさすりながら


「大丈夫、僕がいるから、時間はまだ、いっぱいあるから…ね。」


と、園田さんに向けて暖かい笑顔を送ったが、その私のセリフが園田さんの心に刺さったのか、再び、涙をこぼしながら


「藤村君…私には…時間がなくなっちゃった…」


私は、園田さんの言葉の意味の理解が取れずに混乱したけど、ここで動揺するとなおさら園田さんを傷つけると思って、自分のハンカチを取り出して、園田さんの涙を拭いて、背中をさすりながら、穏やかな声で


「一体、どうしたのかな?もし、言いたくなければ言わなくてもいいんだけど、よかったら話してくれないかな?」


私の言葉は、病室の中に響いたはずなのに、まるで声が吸収されてしまったかのように空虚に聴こえた。そして、またしばらく沈黙と言う、見えない重りが私たちにのしかかっていた。そして、園田さんは、とぎれとぎれに声を絞り出すかのように


「私ね、今日…検査を受けたの…それで、病気が判ったんだけど…若年性パーキンソン病の特異症状で…まれにみる難病なんだって…世界でも十人いるかいないかみたいなの…私、長くて来年の春まで生きれれば…いい方なんだって…そして、私の体がだんだん筋肉が弱くなって…はじめは歩けなくなって…そして、立てなくなって…足が動かせなくなって…手も動けなくなるって…寝たきりのまま死んでしまうんだって…」


私は、園田さんの両手を握りながら、園田さんの瞳を見つめて、敢えてただ黙っていた。そして、我慢していた園田さんの心の奥に閉じ込められていた感情が爆発したのか


「私、まだ死にたくない…!やりたいことも、行きたいところもいっぱいあるのに…わたし、私…高校に入って、これから楽しい学校生活があると思ったのに…それなのに…こんな終わり方なんて…」


と言って、再び両手で顔を押さえて泣き声を抑えながら園田さんは嗚咽を漏らしていた。私も、悲劇的な事実に動揺したが、その内心を現わさないように、泣いている園田さんを抱きしめた。園田さんの涙で制服のワイシャツが濡れていくのが実感できる。私は、優しく園田さんの頭を撫でながら


「なら、残りの人生、一生分の思い出を作ろう。やりたいことをやって、行きたいところに行って、楽しい学校生活を残りの時間を目いっぱい使って作ろう。僕も一緒に手伝うよ。」


と言って、園田さんを安心させようとできる限りの優しい笑顔を園田さんに送った。泣いて俯いていた園田さんは、涙で濡れた顔を上げて、私の瞳を見つめてきた。園田さんの顔は月明かりで照らされて、陽の下にいるよりとても綺麗に映った、しかし、この園田さんは、今この時にしか存在できないという現実がとても辛く、悲しく私の心に締め付けてきた。これから、園田さんは日を追うことに、病に侵されて、弱っていき、見るのもつらい体となってしまい、そして何よりこうして話している残り時間が限られている事実に。それでも、私の内心を悟られないように、少しでも前向きに園田さんを勇気づけようと、明るい口調で


「園田さん、今日ね。部に外部の先生が来たんだ。その先生、珠洲先生って言うんだけど。その先生のおかげで初めて音楽が心の底から楽しいと思える指導だったんだ。だからきっと珠洲先生に会って、教えてもらえたらきっと、園田さんも、一生分の楽しい演奏ができるって僕は思うよ。だから、これからできなくなることを考えるんじゃなくて、今これから何ができるかを考えて、僕も全力で助けるから高校生活を楽しもう学校も部活もね。」


と言って、園田さんの頭を撫でながら安心させようとにっこりと微笑んだ。そんな、私の笑顔みた園田さんは、微かな希望に縋るかのように小さな声で


「藤村君、本当にできるのかな?私、思い残すことなくできるかな?」


私は、そんな園田さんの体を包むように抱きしめると


― 大丈夫 僕がいるから -

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