第29話 これが本当の音楽なんですよ

珠洲先生は、にっこり笑うと、ゆっくりと穏やかな声で、私たちの心に届くように


「まず、始めに、みんなが音を楽しんでもらう練習をします。」


そして、私たちが珠洲先生の言葉を理解できるように、ゆっくりと間を取った後、近くにあった教則本を手に取り、パラパラとめくった後、何かを発見したのか、ひとりで頷いて、私たちに見えるように高く教則を掲げて


「みなさん、とりあえず、課題曲、自由曲の練習は置いておいて、この教則本の「朝のコラール」と言うところを開いてください。」


私たちは、珠洲先生の言われた通り、教則本を取り出して、朝のコラールのページを開いた。先生は、みんながページを開いたのを確認すると、部長を指して


「彩、コラールってどんな時に吹きますか?」


と、言われて、部長は鳩が豆鉄砲を食ったようしばらくポカーンとした後、我に戻って


「ウォーミングアップやクールダウンに吹きます。」


と、ごくごく当たり前のことを言った。そんな、部長の発言に珠洲先生は、うんうんと頷きながら、私たち一人ひとりの瞳をしっかりと見つめた後


「確かにその通りです。それでは、この曲を吹いて楽しいですか?」


と言って、再び部長をタクトで指した。再び指された部長は気まずい顔をして言いづらそうに、小声で


「いえ、特に…」


と、言葉を濁した時、珠洲先生は、首を左右に振って真剣な表情で私たちに訴えかけるように


「このコラールは、みんながつまらない気持ちで、単なるウォーミングアップやクールダウンの為に書かれたわけではないのです。作者には作者なりの想いがこの曲に込められているのです。ちょっと、いいかな…」


と言って、珠洲先生は自分の鞄の中から何かを探しているみたいだった、そして、お目当てのものがあったのか、ひとりであったあったと言いながら、私たちに向けて一本のVHSを見せた。


「みんな、これからビデオを見てもらいますが、このビデオには、コラールが演奏されている映像があります。そこから、みんな、どういった気持ちで奏者が演奏しているか考えてください。」


と言って、珠洲先生は、音楽室にあるビデオデッキにVHSを入れると再生ボタンを押した。


ビデオに写された光景は、ヨーロッパの大聖堂の様な大きな教会で、おそらくキリスト信者らしい聖職者の人がパイプオルガンの前に綺麗に整列していた。そして、オルガンの伴奏と共に、切実なまた、厳かな声で、見事なハーモニーを奏でていた。一通り演奏を見終えた後、ビデオを止めて、珠洲先生は私たちに向かって訴えかけるかのように


「コラールは、決して、単なるウォーミングアップやクールダウンのための曲ではないのです。本来コラールとは、キリスト信者が神様を讃えて賛美するするために演奏する曲なのです。あの映像に映っていた人たちは一心に、歌いながら神様に祈っていたのです。みなさんが、なんの感慨もなくただ練習のために吹く曲と、心から祈って吹く曲どちらが一流か、言うまでもないですね。」


と、珠洲先生は、私たちがその意味を理解する為に、私たちの様子を見ながらしばらく沈黙していた。そして、おもむろに


「僕は、みなさんがキリスト信者になれというわけではないのです。ただ、どんな、簡単に見える、つまらない練習曲も、心から楽しいと思って演奏しているというのをわかってほしかったのです。僕が言っている意味が分かりますか?」


と、私たちを見渡して、私たちが珠洲先生の言わんとすることが理解できたと確信すると、珠洲先生はタクトを握ると


「それでは、さっきの映像に映っていた人の様に、心から、神様に祈る、もしくは、救いを願うかのように、心を込めて、「朝のコラール」を演奏してみましょう、行きますよ、ワン、トゥ、~


~~♪


コラールの演奏が終わった後、珠洲先生は、満足そうな顔をして、私たちに向かって、拍手をした後


「ブラボー、それでいいのです。みなさんが、神様に祈る気持ちがこもっていたと思います。もちろん、細かい和音とか音色とか、色々直すべきところがあるのですが、問題は技術ではないのです。」


と言って、珠洲先生は自分の胸に手を当てて、はっきりとした口調で


「音楽とは心です。演奏していて楽しい、また心がこもった演奏が技術よりも一番大事なのです。それがわかれば、大丈夫、地区大会突破は確実です。あとは、いかに、課題曲や自由曲が作者の心を汲んで楽しく演奏できれば、全国行くなんて問題ないと僕は保証します。」


そして、珠洲先生はタクトで譜面台をコンコンと叩くと、満面の笑顔を私たちに向けて


「さぁ、もう一度、課題曲と自由曲を吹いてみましょう。各々、曲に対するイメージが違うと思いますが、それは、今後の練習で揃えていきましょう。今は、自分のイメージで楽しく吹いてください、では、行きますよ、ワン、ツー、~


~~~♪♬


私たちが、自分のイメージで少しでも作者の意図を汲んで楽しく演奏したのを、伝わったのか珠洲先生は、手を上に上げて大きく拍手しながら


「ブラボー、


― これが本当の音楽なんですよ -

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